砂を噛む、あなたの足音

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 いつか観た映画のように、砂浜を走ることが好きです。  ザッザッと砂を踏み散らし、波の音を聞きながら走ることが大好きです。  ボクは、(けい)()とは違う姿をしていて、どうやらレトリバーという種族みたいです。    ボクは、ルイという名前です。かっこいい名前でしょう?   圭司がつけてくれました。  知らない人からは、ワンちゃんと呼ばれます。  その違いが、ボクにはちょっとあいまいです。  圭司はボクのともだちです。  いちばん大事なともだちです。  だけど、圭司にとって、ボクはいちばんではないようです。  圭司は、女の子のともだちがとても多いです。  その女の子たちは、ボクよりもたくさん圭司と撫で合って、笑ったり、怒ったり、おかしな声を出したりします。  ボクは男の子だから、いちばんのともだちになれないのでしょうか。  ボクはこんなにも圭司のことが好きなのに、なぜか気持ちは通じ合えないみたいです。  ボクたちは、雨の日以外、毎日砂浜をお散歩します。  時間はだいたい夕方です。  圭司は大学というところに通っていて、昼間はおうちにいません。  女の子のともだちと遊ぶために、お酒というものを飲んでくる日もあります。そういうとき、ボクはひとりで待ち続けます。  なんにもすることがないので、とても退屈です。  だから、昼間は眠る時間になりました。  圭司の夢を見ると、すごく寂しくなります。  早く帰ってこないかな。  早く遊んでくれないかな。  女の子に生まれたら良かったな。  そう思うことはたくさんありました。  砂浜をお散歩していると、ボクはどんどん気分が高まってきます。どこまでも続いていくようなこの場所は、全力で走っても怒られません。むしろ、ボクがはしゃいでいると、圭司も一緒になって走ってくれます。ふたりが一つになったようで、言葉にできないうれしさがあります。  ボクは、いつか観た映画のように、全身を大きく動かして駆けまわります。  とても楽しくて、本当に幸せな時間です。  だけど圭司は、ボクの喜びを途中で放り出して、砂浜にいる女の子たちに声をかけたりします。 「何してるの。一緒に遊ぼうよ」なんて言うんです。  時には、ボクを差し出して、 「触っていいよ」なんて言うんです。  知らないひとに触られたくないのに、女の子たちは笑顔になります。  それがすごく悔しくて、圭司のことを恨んでしまった日もありました。  ボクたちは、海の近くに住んでいます。  夏になると、たくさんのひとが集まってきて、ボクの大事な砂浜に、いろいろなものを捨てていきます。  過去に尖ったガラスを踏んで、大けがをしたことがありました。  圭司と同じ種族のひとたちは、ちょっと自分勝手だと思います。  優しいひともいるけど、怖いひともいます。  あんまり好きにはなれません。  ずっと、観察してきました。  だけど、まだ、答えにたどり着けていません。  男のひとは若い女の子が好きで、女の子はそうした男のひとを軽蔑しています。  本当はうまくいかない関係のはずなのに、なぜか女の子は男のひとについていってしまいます。  圭司は口ぐせのように言います。 「みんな、一夜かぎりの恋がしたいんだよ」と。  それは繁殖が目的ではなく、「火遊び」なんだそうです。  砂浜から消えたひとたちは、みんなどこかで火を使って遊ぶのでしょうか。  火は怖いです。  何が楽しいのかわかりません。  今日も、ボクたちは砂浜を駆けて遊んでいました。そうしたら、若い女の子がこちらを見つめていました。  圭司は、うれしそうに女の子に近づいていきます。  いつものように浮かれてはいませんでした。  なんとなく同じにおいを感じたみたいで、いつもよりも優しい声になっています。  圭司の問いかけに、女の子はうなずきました。  ふたりは「シツレン」という言葉で一致したみたいでした。  それがどういうものか、ボクにはわかりません。  火遊びと関係があるのでしょうか。    ボクはシツレンを知りません。  ふたりの話を聞いていると、どうやらシツレンは寂しいもののようです。  そうだとすると、ボクは昼間、圭司の夢を見たときにシツレンしたってことでしょうか。  もっとよく話を聞きました。  大好きな人に会えなくなることだそうです。  ボクはホッとしました。  圭司に会えなくなるなんて考えられません。  たとえ圭司が別の場所で暮らし始めても、ボクが置き去りにされることはないのです。  女の子は、不思議な雰囲気を持つひとでした。海で会う女の子たちとは違う感じです。  どこか穏やかで、どこか悲しげで、どこかまっすぐなひとです。  難しい言葉はまだよくわかりませんが、圭司のことが好きだと言っています。  ボクはムッとしました。  女の子は、ボクから大事な時間を奪う存在です。  圭司もこの女の子に気持ちが向いているようです。ボクのことを忘れて、ふたりで話し込んでいます。  すごくいやな気分です。だけど、大きな声で吠えることはできません。噛みつくことも禁じられています。それをやると、ボクは恐ろしい場所へ連れていかれるそうです。  だから、じっと様子をうかがいます。  そしてふたりが仲よくならないことを祈りました。  波の音が、ボクの耳の中で、おかしな音楽になってきました。  ぐるぐる、ぐるぐる、まるで忙しい言葉のように。  ふたりが口にする言葉がそこに混ざり、もっとおかしな音楽になりました。  ボクの尻尾は垂れ下がり、ぜんぜん楽しくありません。  さっきまでうれしかったのに、やっぱり女の子はボクにとっていやな存在です。  絶対に触らせてやるもんか。  この女の子は、本当にいけない。  圭司がどんどん優しくなっていきます。  いつもみたいに「一夜かぎりの恋」ではなく、長い長いあいだの関係になりそうな予感がします。  もしもふたりが一緒に住むようになったら、そこにボクの居場所はあるのでしょうか。そうなったら、この女の子にも尻尾を振ってあげないといけません。悔しさと、やきもちと、むかむかした気持ちを我慢して、このひとにかわいがってもらえるようにしないといけません。ボクのプライドが、それを許せば、の話ですけど。  どんどん太陽が沈んでいきます。  だいぶ暗くなってきました。  ふたりは砂浜に座って、空を見上げています。  ぐるぐる、ぐるぐる、おかしな音楽が止まりません。  ふたりは小さな声で、たくさんの言葉を交わしています。  だんだんと、からだの距離が近づいて、見つめ合い、くすくすと笑い合います。  ボクは目がまわってしまい、砂浜に寝ころびました。水も飲みたいし、おなかもすいてきました。遊んでくれないなら、もう帰りたいです。  今日はそもそもおうちに帰れるのかな。  心の奥の方から、不安がこみ上げてきました。  圭司が女の子と仲よくなって、そのまま遊びに行ってしまったことがあるのです。  そのときのボクは、どこかのお店の入り口にしばられて、おなかがすいても、のどが渇いても、なんにも与えてもらえませんでした。  一度や二度のことではありません。  それでもボクは、圭司と一緒にいたかった。  気持ちが通じ合わない寂しさは、痛いぐらいに知っています。  ボクがひとの言葉を話せたら、伝えたいことはたくさんあります。  圭司が女の子たちに言う言葉の百倍ぐらい、圭司のことが好きだと言いたい。  いくつもの喜び。  いくつもの寂しさ。  数えきれないぐらいの、ありがとう。  だから、ボクにシツレンを与えないでください。  圭司に会えなくなるなんて、すごく、すごく、つらいことです。  ずっと一緒にいたいから、たくさん女の子のともだちを作ってもいいです。  そのとき、ボクをそばにいさせてくれたら、悪いことはしませんから。  火を使う遊びは、あぶないのでやめてくださいね。  女の子にけがをさせてもいけませんし、何よりも圭司がけがをすることがいやです。  ボクはちょっとずつ、うとうとしてきました。  ふたりの言葉が、ぐるぐる、ぐるぐる……。  ふたりがうれしい気持ちなら、ボクは少し眠っておきます。  ほかのひとがいなくなった砂浜で、仲よく話せばいいですよ。  そしてボクたちのおうちに帰りましょう。  最初はいやだったけど、ふたりが一緒に住むようになっても許してあげます。  だけど、女の子に尻尾を振るかどうかはわかりません。  圭司がこの女の子よりもボクを大事にしてくれたら、気持ちが変わることもあるかもしれません。  今のところは、よくよく観察して、圭司がどのぐらいこの女の子を好きになるか──、それ次第ですね。  ボクのいちばん大事なともだち。  ボクのすべてと言ってもいい圭司。  きみのそばに、ボクの居場所を作ってくれたら、  ボクはずっと、幸せですよ。                                     (了)
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