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5月は青紅葉に風が吹く
「バイバイ、またね」
リオンはバーテンダーに会計を仲間のテーブルにつけてもらうよう話すと、スツールから立ち上がった。
やはり、言いすぎたんだろう。
時間は元に戻せない、俺の言葉がリオンを傷つけた。
好き、という感情を"正しさの枠"にはめようとしたのは俺の方か。
「ああ、また。リオン……」
「名前、覚えてくれたんだぁ」
パッと笑ったけれど、リオンはどこか寂しそうな目をした。
バーを出て、新宿駅から電車に乗ったところで、俺はリオンの連絡先すら聞いてなかったことを思い出した。
気づいた時には手遅れで、リオンをバー"あわ"で見かける事はなくなった。
バーテンダーに聞くのも無粋だし、たまにバーに長居してみたりしたものの姿はない。
リオンどころか美亞も見かけないから、手がかりはさっぱりだ。
数週間後、美亞とその友達が"あわ"にやって来た。
俺は1人でカウンターの隅で飲んでいたけれど、居ても立ってもいられず、彼女に話しかけた。
「リオンのことで聞きたいんだが……」
美亞はハッと驚いた顔をし、友達のいる手前、場所を変えようと提案してきた。
俺は自分の席に戻ると、グラスに残っていたバーボンのロックを飲み干し、会計を済ませた。
外を出て、美亞と新宿の飲み屋街を歩き出す。
夜でも、この街は煌々とネオンが輝き大人たちが集まっている。
"不夜城"と呼ばれるワケだ。
学生やサラリーマンらしき集団がかたまって、道端で大騒ぎしているというのに、俺と美亞は言葉を交わさない。
美亞が選んだのは雑居ビルの地下にある、いわゆる"オネエ"と呼ばれる女装家が接待するクラブだった。
「あら、美亞ちゃん、珍しいわねぇ」
ドアを押し開けると、派手な赤い着物姿の大柄なママらしき人が出迎えてくれた。
艶やかなメイクをほどこし、長いつけまつ毛が印象的だが、どこか気の抜けない雰囲気を漂わせている。
"夜の新宿"を生きている人間たちが、何を見てきたかは知らないが、一筋縄ではいかない街にいるのだから当然か。
「うん、ママ、リオンのことで聞きたいって人がいるから」
「奥でいいわよ」
ママは何かを察したかのように、一瞬だけ険しい顔をしたかと思うと、俺に向かって"ごゆっくり"と媚びた様子で微笑んだ。
カーテンで仕切られた奥のソファ席は、他の客から見えないように作られていた。
美亞と俺が隣同士になって座る。
すぐに、ママが美亞のネームホルダーのついた焼酎のキープボトルを手にして現れ、席についた。
慣れた手つきで3人分のウーロン茶割りを作っていく。
美亞はここの店の常連か。
「元彼が束縛強すぎて、好きな人がいるってリオンが言ったから、顔を殴られたんです」
美亞がおもむろに口を開いた。
「病院は?」
とっさに俺はたずねた。
「大丈夫です。内出血だけで骨には響いてないから」
「元彼、どんな男なんだ?」
「さあ。リオンは話したがらないから。
愛情に飢えていて、いつも好きに依存しすぎるから失敗するんですよ」
「依存させてくれるなら、リオンは誰でもいいのか?」
つい、感情的になって聞いてしまった。
「誰でもってワケじゃないけど、まあ……」
美亞は言葉をにごした。
「……そうだよな」
深入りはやめよう、そう思っていたのは俺の方なのに。
過去の男関係を暴いたところで、どうなるのか。
「そんなに気になります?
今は誰も会わせられるような状況じゃないから
住んでる場所も元彼にバレたし、皆に迷惑かけらんないって、私の部屋に居候してます」
「いや、大丈夫だ。リオンは、君を信頼してるんだな」
「出来の悪い弟ですよ、タバコ大丈夫ですか?」
「ああ 構わない」
美亞は電子タバコをマットブラックのケースから取り出すと、スイッチを入れた。
「あの子、いつも実にならない恋愛ばかりするのよね。あなたがリオンの好きな人?」
ママが話に入ってきた。
「ええ……」
俺は何もしていないが、リオンは事件に巻き込まれた。後味の悪さは残る。
「あの子のことは忘れた方が、あなたにとっても良いわ。
どちらにとっても幸せになれないから」
ママはウーロン割りの入ったグラスを手に、目をふせた。
「そう……ですか」
反論したくなるのを、こらえて返事をした。
リオンの何が分かる、よく知りもしないくせに。
俺だって、リオンを知らないというのに無性に腹が立つ。
あの寂しそうな目、リオンのことが気がかりでたまらない。
俺は、無意識のうちに狼の足がつかむ紫水晶のリングをずっと、反対の親指でなぞっていた。
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