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「母親はなぜ?」
覚えの早い初人はすぐにコツを掴んで手元のナイフとフォークをサクサクと動かしていたが、その質問を訊いて一瞬だけ手を止め顔を上げて郁の顔を見る。
『何で死んだかって?へえ、そういうの遠慮なく聞くんだ』
「ふっ、まさか可哀想な子だな、苦労したなって言って欲しい訳じゃないだろう。それにお前だって知ってるんだろ、俺も母親はいない」
『あー知ってる。だからあえて深く突っ込まないと思ってたけどさすが冷徹な人間は違うね』
皮肉を言って口を大きく開けてお皿に残った料理を全て平らげた。ほっぺを膨らませて見せつけるようにモグモグの動かして見せて飲み込み、ぐびっとお酒も飲み干した。
『お酒はお代わり自由?』
そう言う初人の表情からは"お酒があれば話す"と圧をかけている様で、郁は田ノ上に"酒をやれ"と目配せしそれぞれ無言の会話が続いた。
「それで、続きを話せ」
『お母さんは倒れて入院した。なんか難しい漢字が並んだ病名だったかな、まだ幼い俺は少し具合が悪いだけですぐ退院して家に帰るとだけ聞かされて信じてた』
入院から一年くらい経った寒い冬の日。母親は病院で治療の甲斐なくそのまま亡くなったと。特に悲しい顔をすることもなく淡々と話す初人を郁はじっと見ている。
「そうか」
『あのさ、別にあんたの家庭の事情には興味ないから聞かないけど、多分あんたも俺と同じ感じ?』
「まぁそんなところだ。こんな事でお前と共通点があったとはな」
『あんたとの共通点なんて欲しくないね。それより次の料理まだ?』
足を浮かせてプラプラと揺らせ退屈そうにすると、田ノ上が部屋を出て行き次の料理を運んでくる。完全に初人のペースに飲まれている郁と田ノ上。これは完璧に全てマスターするにはまだまだ訓練時間が必要だと、郁の叱責は最後のデザートを食べ終わるまで止む事はなかった。
「お疲れ様でした。いかがでしたか?」
食事が終わって郁の部屋を出た初人に田ノ上が訊く。訓練所初日だからこれでもお手柔らかな方だと言うと、初人は苦虫を噛み潰したような顔した。
「料理の方はお口に合いました?」
『えー、美味かったけどさ何かそれだけって感じ。いつもこれを1人で食べてんだろ?何か悲しいなって思った』
「、、悲しいと言うのは?」
『俺は豪華な料理を1人で食べるより、家族で食べる質素な食事の方がいいな。その方が何倍も美味しい』
初人は母親を亡くして父親と2人になっても必ず一緒に食事をして、たわいもない一日の出来事を話す。晩御飯とはそういう時間で何を食べるかではない大事なものがそこにはあると。
「そうかもしれませんね」
『まぁアイツは人と食べるのを嫌うんだろうけどなっ』
「それは違いますよ。今日の郁さんはいつもより楽しそうに食事している様に見えました」
『えっ?どこが?すげー怒ってたじゃん』
「私にはわかります、付き合いも長いですから。今日の郁さんは何か違いました」
田ノ上は笑みをこぼして嬉しそうに眼鏡のズレを直しながら言った。長い間側にいるからこそ分かる微妙な心情の違いを郁から感じ取った様だ。
『マジ分かんね。あんなずっと険しい顔してんのに楽しそうとか、、あ!とりあえず暴力は辞めろって言っといてくれる?』
「分かりました、お伝えします。ではまた明日おやすみなさいませ」
軽く頭を下げて田ノ上は部屋の中に戻って行った。一人になりやっと解放されたと初人もぐっーと身体を伸ばした。
「あーあ、食事ってこんなに疲れるもんだっけな。帰って寝よ、、膝痛いし」
蹴られた膝を擦りながらただっ広い廊下を歩いて帰る。計画とは違う流れになっていても目的である父親を救う事は叶いそうだ。
やっと緊張や不安から解放され平穏に眠りにつける、こんなに心穏やかな夜は久しぶりだと痛む脚もなぜか軽やかだった。
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