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18 騒ぐ心、待つ辛さ
店を出て、真田にマンション近く迄送られたのは午後2時前。
近所で昼食と言っても、それくらいはかかると想定していたから、問題は無い。
「じゃあ、またな。
今日はご馳走様。美味かった。」
結局真田に払いを任せる形になってしまって、もう素直に礼だけを言う事にした。
金を差し出しても絶対に受け取ってはくれないから仕方無い。
礼を言って、助手席のドアを開けようとしたらロックがかかっている。解除して貰おうと思って真田に向いた時、運転席から乗り出して来た真田に抱き締められた。
大きな片手に後頭部をがっしり支えられれ、逃げられない。
おい、昼日中の往来だぞ、という言葉は真田の唇に飲み込まれた。
強引に歯列を割り、侵入して来て余すところ無く舐め回された。
深いくちづけ。
熱い唇だった。
情熱的で、奪うような。なのに優しい、真田らしいようで、らしくないキスだった。
暫く口中を舌でまさぐられて、吸い尽されて、名残りを惜しむように銀糸をひきながら離れていった唇で、真田はまた、あの言葉を口にした。
「俺、絶対に諦めませんから。」
「…いいひと、見つけろよ。」
俺は今度こそ車を降りた。
車中では真田が 唇を舐めている。
かっ、と顔に熱が集まり、誰かに見られてなかっただろうな、と気恥ずかしくなって周りを見回した。
車の中の真田を睨むと、悪びれずに笑いながら手を振ってハンドルを握り、去って行った。
走り去っていく車を見送りながら、真田はあんな風にくちづけをするのかと、俺は初めて知った。
俺にとっては最初で最後だと思うけれど。真田も…何処かでそう思っているんじゃないだろうか。
……いや、どうかな。
アイツは性格が粘り強い。
未だ濡れている唇を指の腹で撫でる。
俺は本当に運命だった男を振ったのかもしれないな、と 少し笑った。
その日のお迎えには少し早目に行った。早目と言っても、ほんの10分程度だ。
早目に行っても、彼がいるとは限らないけど。
そう。俺は今日、すごく千道に会いたかった。
何なら、真田と料理屋にいたあの時からずっと。
今迄すげ無くしていたのに随分と身勝手な、と自分でも呆れるが、俺は早く何時もと変わらないあの穏やかな笑顔を見て、波立った心を落ち着かせたかったのだ。
けれど、その日千道には会えなかった。お迎え時間になっても車は来る気配が無い。
朝の様子は変わりなかったのに、何故だろうと思った。
その内莉乃が出てきて、嵐くんはお昼にお迎えが来て帰ったと言う。
「お昼に?早かったんだね。何時ものお兄ちゃん?」
「うん、おひるごはんのまえ…。なんかねえ、とってもあわててたみたい。」
「そう、か…。」
おそらく、家庭内で何かあったんだろう。
嵐くんを急遽連れて帰らなければならない程の事が起きたんだな。
立て込んでいるのなら、連絡は遠慮した方が良いかもしれない。
落ち着いたらその内、向こうからくれるよな。
そう思っていたが、その翌日も翌々日も、嵐君が登園してくる事は無かった。
園の保育士達やママ友さん達も何も知らないようで、心配そうに嵐くんの靴箱を見るばかりだった。
俺は何だか不安になってきた。
土日は除外し、毎日毎朝塩対応の俺に話しかけ続けた男が、ある日突然消えるように居なくなったのだ。
千道だけじゃない、彼の可愛い甥っ子迄も姿を消してしまった。
当分休むと最初に聞いただけで、後は音沙汰が無いと言う。
只事では無いのでは、と胸が騒いだ。
だが、別に俺と彼とは未だ何か特別な関係では無い、という気持ちが、連絡先をタップする指を止めさせていた。
俺が、彼を気になっていたとしても、只の保育園のママ友かパパ友の延長線上の関係でしかない。
此方から連絡するのは図々しいのではないかと思っていた。
だがそれも、1週間もすると限界を迎えた。
声が聴きたかった。
顔は見えなくても、声さえ聴けたら安心できるのでは。
でも、忙しくしている所に連絡をして、煙たがられたら…。
毎晩スマホとにらめっこする俺に、とうとう莉乃が呆れたように言った。
「だれかにでんわしたいならしたら?へんだよ、パパ。」
「…そう、だな。」
そうだな。何時もの俺なら、こんなにグズグズ考えたりしない。
こんなに情緒を乱されるくらいなら、電話してしまえ、と通話ボタンをタップした。
長いコールは鳴るが、千道は出ない。
…これは、無視されているという訳では…ないよな、多分…。
やはり何かあったのだ、と確信した。
千道からコールバックがあったのは、その日の深夜近くだった。
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