13 その日、恋に落ちた。(千道side)

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13 その日、恋に落ちた。(千道side)

俺の兄は5年前、高校時代からの付き合いで、既に番になっていたΩ男性と結婚した。 兄の結婚相手が女性ならば義姉になるんだろうが、この場合は男性だから義兄、という事になる。 そしてその義兄は、Ωながらも (というと、差別的だと言われそうだが) 優秀な人で、社長である兄の秘書でもある。 そして俺は、家庭の事情なんて大層なものでもないけど、多忙で国内外を飛び回り不在がちの兄夫婦に変わり、兄夫婦の子…甥っ子の嵐の世話をしている。 とはいえ、2歳迄は義兄は年に数回兄の元へ行くだけで、基本的には日本に残って嵐を育てていたから、俺が嵐を見るようになったのはここ一年程度の話だ。 理由は、俺の方は兄に代わり国内に腰を据えてるから。 俺の業務はPCさえあれば殆どが何とかなるものだ。 でも幼い甥っ子の送迎を運転手や雇い人のシッターに任せる訳にはいかない。 勿論、家には世話係はいるが、あくまで家の中だけの業務に留めていて、決してその者達が嵐を外に連れ出せる事は無い。 俺や兄には、子供の頃に何度か誘拐されかけた苦い記憶がある。 その手引きをしたのは何れも雇っていた運転手やシッター達だった。 人間、目の前に金になりそうな非力な存在がいると目が眩むらしい。 そんな経験から、俺達兄弟は嵐が生まれた時に決めた。 この子は絶対に、他人ではなく血の繋がった俺達が守らなければならないと。 だから、実は運転手をしてくれているのも父の歳の離れた弟である叔父だし、シッター役も俺という訳だ。 この叔父は俺達との方が歳が近く、叔父というより兄のような関係で信頼している。 だからといって、100%全てを任せる訳では無いけれど。 嵐を保育園に預けると決めたのは最終的には義兄だったが、当初は結構意見が割れた。 特別に扱われない、普通の価値観を知る子に育てたい義兄と、生まれながらに選民意識を持つべきだ、という兄とでは推す園も違うのは当然といえば当然。 義兄は頭脳明晰だったが、一般家庭出身という事と、Ωという性が足枷となり、若い頃は苦労した人だった。 不屈の根性で勉強して、奨学金で大学迄卒業したという。 兄が居てくれたから同世代の他のΩ達よりはヒートもラクだったんだよ、と笑っているが、それでも十分すごい人だ。 金ならいくらでも支援する、と言っていた兄に頼らず自力で道を切り開いたんだから。 そりゃ兄も惚れる訳である。 そんな義兄だが、嵐を置いて兄の元に渡る時にも再びかなり揉めた。 幼い我が子の傍にいてやりたいと思うのは親なら当然の事だ。 しかし、現在兄が手掛けているプロジェクトは、将来的な社運のかかったものであり、番不在の精神的不安感を抱えてモニター越しに泣きついてくる兄の事も、義兄は放ってはおけなかった。 そんな訳で、断腸の思いで嵐を俺に託した義兄は、 『俺が行くからには2年でカタをつける。』 と言い残して旅立っていった。 …兄よりも漢気のある義兄。 重ねて言うが、Ωである。 そういう義兄を、兄と付き合っているカッコいいお兄ちゃんとして中学時代から見て来た俺は、知らずの内にΩに対するハードルが上がってしまっていた。 いや別に義兄が初恋という訳では無い。 義兄は確かにかなりΩらしい美形だが、俺の好みとはかけ離れていた。 けれど、義兄のお陰で自分の中でのタイプというか、理想が明確になったのは確かだ。 俺のα性と家の財力に擦り寄ってくる人間は多くいたが、全く興味が湧かない。 俺が欲しいのは、αに依存して甘ったれて生き、セックスや子作りするだけの相手じゃない。 精神的に支え合える、他力本願とは無縁の自立した人。 それでも何処か隙があって、甘やかしてあげたくなるような、全部差し出しても惜しくないと思わせてくれるような…。そんな人を、俺は求めていた。 そしてある日、出会ったのだ。 嵐を迎えに行ったある日の夕方。 今日が初めての登園だったという可愛い女の子と、その子を迎えて、どうだった?と聞いている男性。 その人を見た瞬間、何故だか胸がザワついた。 最初は普通に別の父親が娘を迎えに来たのかと思った。 けれど至近距離に近づいて、それが間違いだとわかった。 だってその男性はΩだったのだ。俺の胸のザワつきは間違いではなかったという事。 とはいえ、世の中にはΩの父親だっている。いるが、非常に少ない。 それに、その男性からは他のαの匂いはしなかった。 番がいる訳ではない、のか…? 目で追ってしまう。 男性は、楽しかった!とニコニコして帰りたがらない女の子に、よかったね。友達たくさんできた?パパはおうちでお仕事だったよ、と話している。 男性と話していた園長先生をさり気無く捕まえてそれとなく聞くと、一人で娘を育てていると言う事だけは聞けた。 詳しい事を口にするのはNGなんだろう。 だが、俺にはひとり親という情報だけで十分だった。 微かだけれど、俺にはわかる。彼はΩ。 おうちでお仕事、という事は在宅勤務で経済的に自立して、一人で子供を育てているという事か。 むずがる娘に、明日また来ようね、と言い聞かせている彼をまじまじと観察した。 清潔感のある長過ぎない艶のある黒髪。 そこそこ身長もあるし、きっちり筋肉もついている腕。 顔は小さいが首は細い訳でもない。 すっきりした顔立ちで、肌が綺麗だ。 Ωというよりは、外見的な特徴だけを見ればβに近い。 けれど、清潔感の中に垣間見える婀娜っぽさは確かにΩのものだ。 色っぽい唇。 その婀娜っぽい切れ長の眼差しが、ある瞬間 俺を一瞥して、直ぐに逸らされた。 稲妻に撃たれたかと思った。 くらくらと、眩暈。 こんな人は見た事が無い。 こんなにも、魅力的な人は。 この人と、身も心もひとつになれたなら、どんなに幸せになれるだろう。 平坦だった日常が、一気に鮮やかに色付いた。
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