穀雨

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穀雨

 雨が嫌いだった。雨が降ると辺りは暗くて自分の心も沈んでしまう。濡れると寒くて心も寒くなってしまう。僕は本当に、絶対に一人きりなんだなと嫌でも思い知らされるから。雨が降ったらじっとしていた、歩き回ると濡れてしまうから。雨は命のもとなんだとあの人は言っていた。確かに、それはそうなんだ。水があるとすべての生き物が生きられる。だから今、こんなにも辺りは枯れている。  ずっと雨が降らなくてカラカラに乾燥している。草木は枯れてかさかさしていた。そんな中、ついこの間麓で火事があった。火を使って火の粉が飛んだみたいだった。風も少しあってあっという間に火が広がった。皆必死に火を消そうとしたけど、なかなか手が回らない。年寄りと女しかいなかった。 このまま山にも火がまわってしまうだろうか、そんな風に思っていた時。  激しい雷とともに雨が降った。いつぶりの雨だっただろう。豪雨とは言わなくてもざーっと音をたてて振り続ける。火事はなんとかおさまった。  その後はようやく田んぼの準備が間に合ったらしい。このまま雨が降らなかったら苗が育たなかったらしく、人々にようやく笑顔が戻った。それまでは見ていてもみんなどこか暗い顔をして、年よりは怒りっぽくなり女は黙り込み子供が遊ぶと怒鳴られていた。たぶん、雨が降らないだけじゃなかった、人々が暗く落ち込んでいたのは。  人がたくさん死んだからだ。  そのうえ長く雨が降らずこのままでは食う物にも困ってしまう。生活できない、いや。  生きていけない。  そんな不安に押しつぶされそうになっていたんだ。ようやく雨が降ってなんとかこれでしのげると喜ぶ人々。雨は植物を育てる、食べ物を作るためには必要不可欠なのだ。雨が降ることは喜ばしい事だった。井戸も枯れずに済む、水があればなんとか生きていける。 「母ちゃん、なんで山に食べ物とりにいっちゃだめなんだ? 木の実とかあるかもしれねえのに」 「あっちはダメだ」 「それに山はたくさん隠れられるところがあるべ? もしまた、あいつらが来たら逃げられるだろ」 「……」 「もうここに村があるのは知られてる。いつまた来るかもわからねえぞ、山に隠れ家作っておいた方がいいだろ」 「アタシらは逃げるモンじゃねえ、戦うもんだ。あいつらが来たら女、子供、じいさんばあさん、みんな戦わなきゃいかん。お前も男だ、もう少し大きくなったら自分から戦いに行かないかんのやぞ。逃げる、隠れるなんて考えは持つな。あと、山さ行くな、絶対にだ。あそこは入っちゃいかん」 「なんでだよ」 「あそこにゃ、化け物がいるんだよ。まだ退治できてねえ。退治できるのは、あの御方だけだ。いいか、山菜取りにも茸取りにも行くなよ、猪狩にも行くな。男たちが戻ってきて、しっかり休んで力を付けたら退治してもらうからな。お前も戦い方を見ておけ。いずれお前も戦いに出るんだから」 「うん……」  そんな親子の会話が聞こえてくる。  そうか。人が少ないと思ったけど、村の男たちは今戦いに出ているのか。またアレが襲ってきたのか。ああ、だから死人が増えたんだな。  勝てるわけない。あの人がいないのに。  雨は優しく降る。すべての命を潤す。雨によって米が、野菜が、食べ物が育つ。その食べ物を食べて人は子供を産んで子供を育てて。そしてその子供は戦いに行って死んでいく。  人って一体何のために生まれて、どうして自分から死を急ぐんだろう。どうして誰も、もうこんなことをやめたいって言わないんだろう。母親は死ぬような大変な思いで子供を産んでいるはずなのに、戦いに行かせることを嫌だと思わないだろうか。死なせに送り出す事を悲しみ嘆かないんだろうか。  僕にはわからない。僕は違う存在だから。  それにしても化け物か、久しぶりに聞いたな。そういえばそう呼ばれていた。あの人が僕に名前をくれて名前で呼んでくれていたから、すっかり忘れていた。 戦いから男たちが帰ってきたら、今度は僕の番か。  逃げることもできるんだけど、僕はここを出るわけにはいかない理由がある。戦いに行っている人たちも似たようなものなんだろうか。やめるわけにはいかない、逃げるわけにはいかない、住む場所を変えるわけにはいかない、のかな。ちゃんと話したことがないからわからない。 「母ちゃん、化け物っていうのは一体どういうものなんだ。何か悪さをしたのか」 「とんでもない化け物だ、あの化け物のせいで私たちはこんな大変な思いをしてる。あの御方さえいてくれたら、こんなことには」  そうだね、僕は悪いことをした。村の人たち全員を騙して、この村の大切な ものを滅茶苦茶にした。それはそれは悪いことをしたんだろう。  だからこそ、ここを出るわけにはいかないんだ。僕がいなくなったら大変なことになってしまう。あと何回僕は雨を浴びて冷たいと感じることができるだろうか。 穀雨 穀物をうるおす春雨が降る
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