調査

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調査

 次の日のお昼時、僕と奈々実は、奈々実の実家に来ていた。  彼女のお母さん、妙子(たえこ)さんが用意してくれた冷やし中華を食べながら、奈々実は早速スプーンの話を切り出した。 「あのね、お母さん。この前買い物に行ったら、おばあちゃんのスプーンと全く同じものがあったの」 「あら、えーと……何の話?」  妙子さんは、よく分かっていない笑顔で首を傾げた。 「これの話」  奈々実はテーブルの上に箱を置いた。中のブリタニア・スプーンを見ると、妙子さんはパンッと、小さく両手を打つ。 「あーこれ、おばあちゃんの!」 「そう。これと同じものを、街のアンティークショップで見つけたの。商品じゃないからって売ってくれなかったんだけど……ねぇお母さん、このスプーンの事、本当に何もおばあちゃんから聞いてない?」 「うーん、そう言われてもねえ……。お義母さんが亡くなるまで、そんなもの持ってる事すら知らなかったし。そもそもアンティークのスプーンの話なんて、一度もした事ないし……」  眉尻を下げて、困ったように笑っている妙子さん。  妙子さんはいつもこんな感じで、どんな時も笑顔を絶やさない。ずっと専業主婦で、結婚してから今までほとんど働いたことがないと聞いた。やり手の営業部長だった父と、バリバリのキャリアウーマンの娘とは正反対。森口家の癒し担当なのだ。 「おばあさんて、どんな方でしたか?」  僕が聞いてみると、妙子さんは思い出し笑いをしたのか、小さく吹きながら答えてくれた。 「お義母さんはねぇ、ふふっ、とても面白い人でしたよ。いつも冗談ばかり言っていて、とても昔の人とは思えないくだけた感じの人でした。そうかと思うとお琴を爪弾いてる時はキリッとしていらして。ここぞという時は礼儀作法もキッチリこなす、メリハリの付いた素敵なおばあちゃんでした」 「おばあさんは若い頃、イギリスに留学されてたんですよね?」 「正確には、留学していたのは前夫の旦那さんで、お義母さんはその妻として一緒に行ってらしたはずです。でも当時の旦那さんは、現地の流行り病で亡くなられたとかで……お義母さんはそのままイギリスに残って暮らしていたらしいですけど、戦争が始まる前にお義父さんと一緒に日本に帰国したと言ってました」 「という事は、奈々実のおばあさんとおじいさんは、イギリスでご結婚されてたんですか?」 「いえ、日本に戻ってきてからですよ。昔、結婚式の写真を見せてもらった事がありますけど、会場は日本の有名なホテルでしたね」 「じゃあ前夫の旦那さんが亡くなってから、イギリスでおじいさんと知り合って、一緒に日本に帰ってきてから結婚した、というわけですね」  奈々実が子供の頃に聞いたおばあさんの話とほぼ同じだ。違いがあるとすれば、魔法のスプーンで帰ってきた事くらい。  やはり、自分の経験に子供向けの脚色をして聞かせた、作り話なんだろうか。 「そうそう。帰国した時には、既にお義母さんのお腹の中に主人がいたようです。結婚しようにも外国にいたわけだし、仕方ない事だったのでしょう。身重での長旅は大変だったと思いますが、戦争が始まる前に帰国できた事は、とても幸運だったとおっしゃっていました」 「そうだったんですか……」  戦争とは、一九四一年十二月八日に開戦した、太平洋戦争の事で間違いないだろう。  当時日本は、米英含めた諸外国との関係が急速に悪化していたと聞く。確かに戦争が始まっていたら、帰国は絶望的だ。  何度も同じ話を聞かされているのだろか。奈々実は妙子さんの話には興味を示さず、ブリタニア・スプーンを持って溜息混じりに呟いた。   「それにしても……どうしてこのスプーンが、アンティークショップに売られていたのかしら……」 「売られては、いなかったじゃん」  僕の揚げ足取りの返しに、奈々実はスプーンを、ビシッと差し向ける。 「そうじゃなくて。あのお店にもう一本あったって事は、おばあちゃんか誰かが、ペアのスプーンを一本だけ売ったって事でしょ? セットで揃ってた貴重なアンティークを、一本だけ売ったっていうのもおかしな話じゃない? お金が欲しいんだったら二本セットで売った方が、買取金額も高くなるのに」  確かに、奈々実の言う事はもっともだ。  どこかの誰かが、たまたまペアの一本を手に入れて、あのアンティークショップでブリタニア・スプーンを売った。そこに、たまたま片割れのブリタニア・スプーンを譲り受けた奈々実が訪れ発見する。それではあまりにも、偶然が過ぎる。  元々ペアで持っていた琴子さんが、最寄り駅近くのアンティークショップで一本だけ売ったと考えるべきだ。でもそれだと奈々実が言う通り、ペアで売らない理由はない。  戦争直前に帰ってきた、祖父母。  一本だけ売られたブリタニア・スプーン。  孫娘だけに語られた『魔法のスプーン』の話。  全てが関係しているようで、その全てが繋がってこない。  もし繋がりがあるのだとすれば……。  僕は冷やし中華を食べ終わると「ご馳走様でした」と言って席を立った。 「ちょっと調べ物をしに、図書館に行ってきます」 「あ、何か思い付いたの? 私も行く!」  僕らが立ち上がると、妙子さんはにこやかな笑顔で見送ってくれた。 「何か分かったら私にも教えてね。いってらっしゃい」 * * *  学生時代によく足を運んだ都立図書館で、僕はコンピュータを使って新聞の検索を行った。  年月日の範囲は、『一九四一年六月から十二月』、キーワードは『留学生』だ。  蒸気船しかなかった時代、イギリスから日本への船旅は四十~五十日程度かかる。戦争直前の半年間を調べれば見つかるはずだ。  検索ボタンを押すと、思った以上の数が検索に引っ掛かった。僕は後ろの日時の記事から順番に確認する。  目的の苗字はすぐに見つかった。一九四一年十一月三十日の記事だ。 —— 『英引揚留学生横濱港着』  時局急迫し如何なる事態発生するやも想像し難い事を理由に、英より留学中の学生が横濱港に帰國せしめるに至った。引揚留学生三名(うち女学生一名) は左記の通りとなってゐる。△森口勝治(二三)△敷島幸士郎(二四)△内田陽子(二一)以上、東京帝國大学。 —— 「この森口勝治という人、奈々実のおじいさんで合ってる?」 「うん、間違いない……この時代って、留学先から帰ってくるだけで新聞に載っちゃうのね」 「当時の海外留学は、政府がお金を出して有能な学生に知識を習得させる一種の公共政策だからね。プライバシーなんて概念もないし、公費で勉学に努めるわけだから、大学名と実名公表くらいは当たり前だったんだろう」 「でも、この女の人の名前……琴子じゃない。おばあちゃんは留学生じゃなかったから、記事にはならなかったのかな?」 「いや。他の帰国の記事を見ると、学生と一般人が一緒に帰ってきた場合は『学生及其他邦人』という文言になっている。つまり、この船に乗っていた海外からの帰国者は、この留学生三人以外にいなかったはずだ」 「……やっぱりおばあちゃん、おじいちゃんのポケットに入って帰ってきたのかな?」  奈々実が嬉しそうな顔をする。  いよいよ魔法のスプーン説が、現実味を帯びてきたのかもしれない。  僕は図書館の複写サービスを利用して、記事のコピーを取った。  奈々実と連れ立って、夕陽を背に帰路に着く。 「私としては魔法のスプーンでも一向に構わないんだけど、そんな話じゃあのおじいちゃん、スプーン売ってくれそうにないよねえ」 「ああ」  奈々実の話を生返事で聞き流し、僕は頭の中で推論を組み立てていく。  妙子さんが本人から聞いていたように、勝治さんと琴子さんが同じ船で日本に帰ってきた事は間違いない。でも新聞には、勝治さんの名前はあっても琴子さんの名前はなかった。一か月以上かかる船旅で、身重の妊婦を誰にも見つからず匿うなんて、できるわけがない。  留学生が賄賂(わいろ)を渡して密航なんて、それこそ現実的じゃない。……現金じゃなかったとしても、買収できるような価値のあるものを持っているわけなんて……⁉ 「ねぇ、聞いてる? なんか夢中で考えちゃってるみたいだけど、私はただ、あのアンティークショップのブリタニア・スプーンを売ってほしいだけなんだからね!」 「分かってる。だからこそこうして、あの店主を説得する材料を……」  アンティークショップの、老店主の顔が脳裏に浮かぶ。  緻密な装飾のブリタニア・スプーン。彼は、本物のアンティークには果たすべき役割、あるべき場所があると言った。  琴子さんも同じように思っていたとしたら、あのスプーンを奈々実に遺した意味は……。  そうか。  そういう事だったのか! 「悪いけど奈々実は先に帰っててくれ。僕はちょっと寄るところができた」 「え? 今から⁉ 何か分かったんだったら一緒に行くよ?」 「いや、ちょっと確認したいだけだから大丈夫。収穫があったら、あとでちゃんと話すよ」 「……分かった、絶対だよ!」  少し不満げな顔を見せる奈々実だったが、最後には笑顔で送り出してくれた。  僕は手を振って奈々実と分かれると、駅に向かって走り出した。
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