38 愛ゆえに

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38 愛ゆえに

「……それはまた、突然の話ですね」  冷たい声に、ビクッとする。だけどここが虚勢の張りどころだ。私はあえて、シャンと胸を張った。 「はい。当時ノットリー国の公爵だった方も、この侵略には不可解な点が多かったと疑問に思ってらっしゃいました。その行動をノットリー国が決めた理由は何だったのか。意義はあったのか。サンジュエル国の姫として、私は何が起こったかを知りたいのです」 「……」  先生は、私の様子を窺っているようだった。そんな緊張した沈黙が流れたあと。 「……そう言われましても、自分も詳しくないのですよね」  気怠そうに彼は答えた。嘘をついているかどうかは、声の様子だけでは分からない。 「百年前、自分は他国に出ておりました。連絡を受けて戻ってきた時には、全てが手遅れ。王は死に、国は蹂躙され、あなたは長い眠りについていた。だから自分はノットリーに異を唱える人々の間に混ざり、彼らに協力を申し出たのです。自分の全てを奪った国に復讐する為にね」 「……ヴィンから聞きました。先生は、サンジュエル国が滅んだ後にノットリー国の打倒に動いてくれたと。それこそ、建国の礎となるほどに」 「はは、恐縮です」 「でも、どうしてそこまでしてくれたんですか?」  思わず強い口調になる。……いけない。疑念が表に出てしまわないよう一度深呼吸をして、私は姿勢を正した。 「先生の話を聞いた時、すごく嬉しかったんです。けれど不思議でした。だって先生ってはっきり言って……その、血も涙も無いというか。人が死のうが生きようがどうでも良さそうって言うか」 「本当にはっきり仰いましたねぇ」 「だから、なんでそこまでしてくれたのかなって」 「そんなもの、答えは一つしか無いでしょう?」  先生の機械の機械の腕が持ち上がる。揃えた指先が私を差した。 「ロマーナ姫の為ですよ」 「私の?」 「ええ。言ったじゃないですか。自分はあなたを愛していると」 「……」 「愛しているからこそ、ノットリー国を憎んだ。愛しているからこそ、こうして百年の時も耐えられる体になった。愛しているからこそ、あなたに何不自由無い生活をさせたいと願っているのです。……全ては、あなたへの愛ゆえに」  芝居がかった話し方だった。まるで、感情の無い人形に無理矢理情緒と名付けたものを詰め込んだかのような。  この人、こんな性格だったっけ。それとも百年という時間は、やはり人格を変えてしまうものなのだろうか。 「……ありがとうございます」  とにかく今は相手を警戒させてはならない。感情全てを押し込めて作ってみせた笑顔に、先生も小さい笑い声で答えてくれた。 「本日、主人は所用にて外出されます。アナタのご昼食は部屋の前まで運びますので、自由にお食べくださいませ」 「わかったわ、ありがとうルフさん」 「気安く我が名をお呼びになりませぬよう。それでは」  つれない態度で、ルフさんは部屋を後にする。ドアが閉まるまで笑顔をキープしておいて、ふうと息を吐く。  さあ、早速一つ判明した。今日先生はいない。つまり、絶好の探索機会というわけである。 「……ドアの上に、怪しげな機械があるな」  私の腕の中のアッシュが、ドアに向かってクンクンと鼻をヒクつかせた。 「我が封じられていた店にもあったから知ってる。あれは、遠くにいてもロマーナが部屋にいるか見張ることができるものだ。慎重に行動したほうがいいな」 「壊すことはできないの?」 「無論可能だが、最後の手段にしたほうが良いだろう。何故なら壊した上で捕まった場合、拘束は更に厳重になるからだ」 「あ、そっか。んー……じゃあ、どうしよっか」 「そうだな。幸い、あの機械は微弱な魔力を感知することができるゆえ……」  アッシュがこちらを見上げる。黒いビー玉みたいな目に、不安そうな顔をした私が映っていた。 「あの機械の目に映らぬよう、移動するのが良い。その為の道は我が案内する」 「分かったわ。それじゃお願いしていい?」 「うむ。ならば早速窓に行け」 「窓?」  言われるがまま窓辺に移動する。転落防止の為かほんのちょっとしか開かなかったけど、アッシュはつんつんとガラスの隙間をつついた。 「そこに体をねじ込め」 「え? 本気?」 「本気も本気である。頭が通れば体は全部通るだろう」 「それ猫の話だよね?」  じっくりと窓の隙間を見つめる。……うーん、ギリギリいける、かな? 意を決し、体を横にして片方の手足を出してみる。どうにか頭の向きさえ頑張れば通れるように思えた。でもこれ、外から見たら人間の開きみたいになってんじゃないかな。少なくともヴィンにだけは見られたくない姿だ。  しかし、アッシュは満足したらしい。 「良し。では最後の一押しは我がしてやろう」 「一押し?」 「うむ。絶対に叫ぶなよ。せーの」  叫ぶ余裕も無かった。アッシュに突き飛ばされた私の体は、窓を離れて宙を舞っていたのである。  青空を見つめたまま、私は無抵抗に落下する。――ヤバい。ヤバいヤバい死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。ぎゅっと目をつぶった私だけど、突然その落下は終わった。 「ここだ。この窓の奥からは、魔力の気配が無い」  ふわりと体が浮いていた。人型になったアッシュが、空中で私をキャッチしてくれていたのだ。 「埃の積り具合から見るに長く使われていない部屋のようだな。喜べ、ロマーナ。壊して侵入しても問題無さそうだ」 「は、は……」 「しかし声の一つも上げぬとは豪胆である。我は見直したぞ」  ……ただ単に、びっくりし過ぎて声が出なかっただけである。けれど私にもプライドはあるので、懐っこく頬をすり寄せてくるアッシュに「もちろん」と精一杯の返事をしてやったのだった。
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