2人と1匹

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数年後 「行ってきます。お母さん…それにムギ。」 「気をつけて行ってらっしゃい。」 「ニャー」 あの日捨てられた子猫を飼いたいと母に駄々をこねた結果、私達の家族の一員となったムギ。 名前の由来はお風呂に入れた時、泥だらけで最初は分からなかったが、あの子猫は茶色のような薄いオレンジかかった毛色に、赤褐色の縞模様があり、まるで虎のように見えた。 その色からムギと名付け、あの痩せ細った姿の面影はなく、今では立派なオス猫になった。 鍵のように少し折れた尻尾を、ゆらゆらと揺らすムギ。 「ムギ、やっぱり最近太った?放課後散歩行こうね。」 「ニャー!」 元気に返事をするムギを背に私は高校へ向かった。 彼と出会って約10年近く。 私はずっと彼の病について治療法がないか、どこなら治療してくれるかのか調べ続けていた。 難病に指定されてる彼の病。 何が炎症を起こしその病を引き起こしているのかは分かっているが、治療法があまりにも危険で未だ行われていなかった。 ネットだけでなく図書館で論文を読んだり、医療関係者にアポを取って話を聞きに行ったり、学生として出来ることは全て行った。 …しかしそれらしきものは全然見つけられなかった。 唯一見つけたのは、海外で手術を試みようとかしないとか噂を聞いたという看護師の発言のみ。 彼の寿命まであと1年もない…それなのに私に出来ることはこれくらいしかないの…? そう思い歩いていた時、周囲の生徒がヒソヒソと話しているのが聞こえてきた。 「おい、あれ…」 「うぉっ、トラだトラ。おっかねー。」 「少しでも気に触ったら襲いかかるって聞いたよ。」 「昨日も先輩5人を1人でなぎ倒したとか…」 "トラ"というその一言で皆が誰のことを指しているのか理解できた。 私の幼なじみであるハルのフルネームは遠藤虎。 "トラ"と書いて"ハル"とよむのに対し、周囲の人達は見た目や噂から"トラ"だと覚えていて、今じゃ彼を"ハル"と呼ぶのは私と彼の母親くらいであった。 「ムギー、久しぶりだなぁ!」 いつもの放課後、いつもの公園で毎週同じ曜日・時間に、『ムギの散歩』と言う名目でハルに会いに行く。 こんな風でしか会うことが出来ないといつ事実に嫌気がさす。 「こうでもしないと会えないなんて…」 そう呟く私に、ハルはムギを撫でながら答えた。 「しょーがねぇだろ。世間の目もあって、朱莉が学校で噂の的になるのは避けたいし、お前の母親は俺の事嫌ってんだから。」 何でもないようにサラッと言う彼に対して、私はズキズキと心が傷んだ。 本当は優しいのに、噂に尾ひれが付いて周りから怖がられているハル。 人の目や評判を気にする母は、私と彼が仲良くなるのを快く思っておらず、それを察した彼が私から離れようとしたが、私がそれを望まなかったため今の結果になっている。 「…ごめんね。」 「いーって。お前が悪い訳じゃねぇから。」 そう二カッと笑う彼の笑顔が、この時の私には眩しすぎて、申し訳なくて、私は咄嗟に顔を逸らした。 ハルは最近学校に行かなくなった。 寿命も残り少ないから病院にも行かないで、自由に過ごしたいって彼は言っていたけれど…多分本当は違う。 きっと根も葉もない噂により自分を怖がる周囲の人に気を使って行かなくなったのだ。 いつの日だったか、以前ハルが私に『普通の奴らみたいに普通の生活を送って、穏やかに死にたい』と話していた事があった。 あの時の彼の真っ直ぐに澄んだ瞳。 あの言葉こそが昔から変わらない今の彼の願いであり、切実な訴えなんだ。 それなのに私は…。 ぐっ…と拳を強く握る私の手をハルはそっと両手で包み込む。 「そんな力入れたら怪我するぞ?」 「…私、悔しい。何であんな噂の一つや二つでハルが行動を制限されないといけないの?ハルは何もしてないじゃない。誰よりも優しくて周りを見て気を使って…色々頑張っているのに…!それなのに、」 …それなのに私は、彼に何もしてあげられない。 私一人の言葉じゃ、誰も動かせなくて、私一人の力じゃ治療法も見つけられない。 自分の不甲斐なさに涙が込み上げてくる私に対し、ハルは優しく声をかける。 「俺はそんなの気にしてねぇよ。ただ俺がいなくなった時、お前がどうなるかが心配だ。…俺とじゃなく、もっと学校の友達と仲良くしろよ、な?」 眉間に皺を寄せ微笑む彼。 困ったような悲しそうな、こちらを宥めるような目をしたその笑顔は、無理をして自分の気持ちを誤魔化そうとする彼特有の癖だった。 そんな彼に私は言葉が出てこず、その代わり行動で自分の意思を伝えるために、力いっぱい彼を抱きしめた。 嫌…絶対離れない。 そんな顔をされて、あぁそうですかと離れられる訳がない。 今まで何度も彼から引き離すような言葉をかけられてきたけど、私は1度も離れることはなかった。 私は私の意思で彼の傍にいる事を選んだ。 それを今もこれからも一切曲げることはしたくない。 彼が大切だから…ずっとずっと、大好きだから。 「ちょ、おい!…全く。」 はぁと溜息をつき、私を無理に引き剥がそうとせず、されるがままのハルだが、自分から私に腕を回すことはしなかった。 その時じんわりと涙が出てきたのは、彼への申し訳なさからか、自分の不甲斐なさからか、それとも…。 私は自分の頭をグリグリと彼の厚い胸板へと押し付けながら、それ以上深く考えることをやめた。 「…ッゴホ。」 そしてこの日を最後に、彼が公園に来ることはパタリとなくなってしまった。
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