2人と1匹

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2人と1匹

私が彼に出会ったのは、小学校低学年のころ。 こっちに引っ越してきたばかりの私は、母と二人で近所の挨拶回りに行っていた。 「近所に引っ越してきた佐藤です〜。これつまらない物ですが…」 そうおずおずと母が差し出したのは、少し高級なお菓子の包みだった。 「わざわざご挨拶どーも。…あら、可愛らしい娘さんですねぇ。うちにも同じ年頃の息子がいるんですよ。ちょっと呼んできますね…ハルー?」 それが私とハルの出会いだった。 腕や首には包帯が巻かれ、青アザや絆創膏だらけの顔。 目も当てられない程の痛々しいその姿に、私は顔を背けたと同時に怖いという印象を受けた。 「よく喧嘩をする子で…全く誰に似たんだか。」 「まぁまぁ、男の子は少しヤンチャなくらいが可愛いですよ。うちの子なんて大人しすぎて…」 ふふふと談笑を続けているも束の間、家に帰る途中母は私にこう言った。 「さっきの子、あまり近づいちゃダメよ。…危なそうだから。」 無表情で言い放つ母に私は何も言わなかった。 母に言われる以前に、私自身もあんな怖そうな人、近づきたくないと考えていたから…。 コクッと頷く私に母はフッと優しく笑い、その大きな手で私の手を包み込んで、共に温かな夕焼け色に染まった帰り道を歩いた。 同じ小学校の登校・下校の際ずっと彼を避け続けた私に転機が訪れたのはある日のことだった。 いつもの帰り道、その日はふとある公園に目が止まった。 小さな子供達が楽しそうに遊ぶ公園に、その日は高学年の男子小学生3人しかいなかった。 地面に置いてある四角いダンボールを見下ろし、何かを言っている。 つい足を止めてその様子を伺っていると、真ん中にいた男子学生がまるで嘲笑うかのように笑いながら、何かを持ち上げた。 「…っ!!」 それを見た時、私は驚きのあまり絶句した。 その人が手荒く持ち上げたのは、小さな痩せ細った子猫だったのだ。 ニーニーと力なく鳴く子猫を3人は面白そうに笑い、乱暴に激しく揺らした。 ダメ、やめて…どうしてそんなことするの。 そう近づいて言ってやりたいのに、足が鉛のように重くなって1歩も動けなかった。 どうして…どうして動かないの…! 私よりもあの子猫の方が怖い思いをしているというのに。 動いてよ…っ! 恐怖で動かない自分の足を呪いたい思いに駆られ、子猫の鳴き声と3人の笑い声が、私を責め立てているように感じた。 何も出来ない自分の不甲斐なさに、視界がぼやけてきたその時、 「何…やってんだよっ!」 言うのが早いか殴るのが早いか。 ハルが彼らに飛びかかり、それに驚いた彼らはその拍子に子猫を手放した。 呆気に取られ動けないでいる私に子猫が駆け寄ってくる。 その姿にハッとし、しゃがんで猫を抱き抱えた。 その瞬間、ハルがこちらに向かって噛み付くように叫んで言った。 「ソイツ持って逃げろっ!」 その言葉にビクッと肩を震わせ、私はまるで反射のようにその場から走って逃げ、気づいた時には自分の家の前に立っていた。 はぁはぁと肩で息をして子猫を抱いている私に、母は目を丸くして驚いた様子で何かを話していたが、この時の私には何も聞こえていなかった。 家に着いた途端、彼の事が急に心配になり、猫とランドセルを母に押し付け、また公園へと駆け出す。 公園に着くと3人の姿はもうなく、ボロボロになったハル1人が倒れていた。 タッタッタッと駆け寄る私の足音に警戒して、急いで頭を上げたハルは、私を見てふぅと息をついた。 「…なんだ、お前かよ。」 そう言ってまた寝そべる彼に、私は大丈夫そうであると悟り、ホッと心が落ち着いた。 「んで戻ってきたんだよ。」 傷だらけで喧嘩っ早くて、それでいてぶっきらぼうな態度なのに、私は彼を怖がることはもうなくなっていた。 「心配だったから。」 「…俺の事怖いくせに。」 「もう怖くないよ。優しい人だって分かったから。…猫ちゃん助けてくれたんだよね。」 「……。」 何も言わずプイっと顔を背けたハルだがその耳は赤く、私は何だか可愛いと思ってしまっていた。 それから何も言わない、言葉を交わさない無言の時間が十数分続いた。 しかし気まずく感じることはなく、そんな時間でさえも大切に思え、次第に2人の距離を縮ませていった。 「…ゴホゴホ。」 「…?大丈…っ!?」 夕暮れ時、まだ肌寒い季節。 だから咳が出たのだろう、とその時の私は容易に考え彼の方を見たところ、彼は口元に手を立てて、その手の隙間からは吐き出したであろう血がタラリと漏れ出ていた。 「え、なん…え!?」 訳が分からず狼狽える私に、ハルは落ち着けと一言で制し背中を向けた。 そして服でその血を拭いながら、 「ただの病気だよ。」 「病気?」 「そ。…いずれ死ぬ病気。」 「死ん、じゃうの?」 「寿命がきたらな。」 そう静まり返ったその場にハルは、心底嫌そうな溜息をつき、 「お前、今俺の事可哀想とか思っ、て…」 そう言って振り向いた時、涙をポロポロと零す私を見て、ギョッとしたような顔になった。 「うぅ…死んじゃヤダー!!」 ヒックヒックとしゃっくりが出るほどの大号泣をする私に驚いたのか、ハルはさっきの態度とは打って変わり、オロオロとし始めた。 「な、なんでお前が泣くんだよ…。泣きやめって、な?」 それからの事はあまり覚えていない。 後に母が教えてくれた内容では、大泣きして疲れ果てて眠ってしまった私を、ハルが家まで連れてきてくれたらしい。 私が覚えているのは、彼が死んで欲しくないという思いと、そして…同じ位の背丈の男の子が必死で私を落とさないように、起こさないようにおぶってくれた愛おしい思い出だけ……。
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