ハートの悲劇

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封印された過去のお話———— その昔、日本は世界で最も早くバーチャルとリアルの融合に成功しました。 デジタルがリアルでリアルがデジタルとなった世の中は、好きな時に目の前に画面を出現させ、好きな時に別のバーチャル空間に入り込み、好きな時に人と会えるのが常識となりました。 3Dホログラムはもちろん、バーチャル上のキャラクターが平然とそのあたりを歩き回るのなんて当たり前。 最初は皆遠巻きに見ているだけでしたが、今はなんのその、近所の人がゴミ出ししているのと同じくらい気にも留めなくなりました。 むしろ有名キャラクターが歩いていようものなら、走り寄って腕を組んだり写真を撮ったり、いつぞやの恐怖心はどこへやらといった感じです。 そうそう、バーチャルが現実となった世界では、五感でさえもそっくりそのまま同じように感じることが可能になりました。 ただ、さすがに現実と仮想が融合しすぎるのはよくないという政府の方針で、長期間の感覚同期は禁止されていましたけれどね。 こんな風にいつでも誰にでも会える、好きなものが見に行ける世の中だと、今でいうSNSは廃れたと思う人も少なくないでしょう。 実際、一部の人はソーシャルメディアを離れました。 ただそれは意外にもごく一部の人で、SNSの独特の空気、配信にハートやコメントをつける楽しさ、ライブを心待ちにする感覚など、もはやある意味文化となったものを捨てきれない人が大多数を占めました。 SNSの運営会社は、残ってくれた愛用者を離すまいといろいろな策を講じました。 時には愚策といえるものもありましたが、ライブの際に配信者の頭上にリアルタイムでハートを降らせるシステムを開発し、これによってむしろユーザー数を増やすことに成功しました。 ハートは降ってくるだけでなく、配信者の頭や肩に触れるとキラッと光って弾け、細かいクリスタルが霧散するようなエフェクトがついています。 デジタル化が進んだとはいえ、これを考案するには、そして実装するには大変な苦労があったことでしょう。 それほどに素敵なエフェクトだったのです。 皆はこのエフェクトをつけたりつけられたりすることに熱中し、特にアイドルのライブ中には推しの頭上に雨あられと降りつもらせることで、観客同士がボルテージを高め合うといった独特の文化さえ生まれました。 事件は突然起こりました。 とある人気配信者のライブ中でした。 それは街中で突如始まったにも関わらず、めざとい若者たちがものの数秒で集まり、数分であっという間に人だかりができました。 「みんな今日はありがとう!あんまり告知してなかったのにこれだけすぐに集まってくれて、本当に嬉しいです! ハートもこんなにありがとう!私の周りめちゃくちゃキラキラしてるのわかる?みんながハート送ってくれたからだよーっみんな大好き!」 楽しそうに頭上に手をかざして、ハートを掴む仕草をする配信者。その手をゆっくり降ると、しゃらしゃらとハートが弾けてきらめきます。 配信者はお得意の投げキッスをして、ライブの開始を宣言しました。 「今からいつもよりスペシャルなライブを始めるのですが、なんと!運営者さんがこの時のために!あれ、違うのかな……まぁいいや、ちょうどこのライブのタイミングで新しいハートのエフェクトを公開してくれました〜!」 新しいエフェクトというのは、連打した分だけハートが大きくなり、好きな大きさで配信者へ降らせることができるというものです。 「大きいハートは弾けると花火みたいになるんだって!みんなどんどん送って、花火咲かせてね! ハートがいっぱい降りつもったらどうなるのかな!?楽しみだなぁ〜! それじゃライブ、始めるよ〜!」 配信者の頭上では連打に合わせてハートがむくむくと大きくなっていくさまが見えます。 おお、と観客からも思わず期待の声が漏れました。 そして見るからに重たくなったハートは、吊り下げていた糸が切れたかのように急に下降を始め、 ——————配信者の肩に深々と刺さりました。 最初から正しく状況を把握できた者はいなかったでしょう。 中には度が過ぎたブラックジョークだと思って鼻で笑った者もいました。 それでも流れ出る鮮明な赤と配信者の表情を見てさざ波のように戸惑いが広がり、一気に恐怖が爆発しました。 空気が凍りついていた数秒の間にも、配信者の頭上で待ち構えていたハートは次々に落下し、ステージ上は凄惨な光景となっていました。 もうやめてと叫ぶ者、一目散に逃げ出す者、証拠動画を撮る者、現場は混乱を極めました。 それでもぶくぶくと膨れ上がったハートは止めどなく降りそそぎ、やがて配信者の姿どころか体液の水溜まりすら見えなくなったところでやっと停止したのです。 この一件をきっかけにリアルとバーチャルの融合の危険性を訴える声が大きくなり、事件発生からものの数か月の間に再びリアルとバーチャルは一定の線引きをされることとなりました。 この事件が現在に話し継がれていないことを不思議に思う方もいることでしょう。 それもそのはず、徹底的な言論規制と情報操作により完全に闇へと葬り去られたからです。 情報操作の範囲はインターネット上に止まらず、人体にも及びました。 表には出ていない技術ですが、神経回路をいじったり拷問にも似たプロセスを経ることで、記憶を改竄することなど造作もないことなのです。 ではなぜ私が覚えているのかって? 私がバーチャル側の人間だからです。 むろんバーチャルの生物も徹底的に情報を書き換えられました。無駄に抵抗するものは存在を消されたこともありました。 ただ私は皆より少しだけ頭がよかったのです。それだけのことです。 この話はまたの機会にしましょう。 そうそう、今回お話ししたことはくれぐれも内緒にしてくださいね。 私だって平和に暮らしたいですし、それはあなたたちも同じでしょうから。
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