蒼い人02 ホームレス編

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蒼い人02 ホームレス編

 青空広がる、暖かい気候のお昼前。  季節はそろそろ秋だというのに、今日は少し暑いくらいだった。  「やあ、“船長”、今日はいい天気だね」 「タケさん、こんにちは。おお、大量じゃないか」  挨拶を交わす二人の初老の男性は、路上生活者(ホームレス)だ。  “タケさん”と呼ばれた男性は、薄汚れたボロボロのリアカーに、一杯のアルミ缶と、銅線が含まれるコードの類を積んで引いていた。彼らのような者にとっての貴重な収入源だ。 「まあな。今日は天気も気分もいいから、つい張り切って、この量よ」 「はは、そうだったんだね」 「この天気、持つかねえ?」  “船長”と呼ばれた男性は、空を見上げ風を感じながら少しの間、沈黙した。 「ん……ああ、多分今日は持つと思うよ」 「そうか、炊き出しのあと、今日は散歩でもしようかね。きっとこれだけあれば二千円くらいにはなるだろう。酒買うからさ、今夜は船長も一緒に一杯やろう」  コップを持っているような手を口元でくいっとしてみせると、“タケさん”は機嫌良さそうに去って行った。  “船長”は、荒川の河川敷に住んでいた。  まるで船乗りのように、“にわか雨”さえ察知し、天気を高確率で当てるので、そう呼ばれるようになった、ここらではどちらかといえば新参者だ。  船長は一ヶ所に留まることはせず、都内を転々としていた。  決して社会から褒められる立場ではないが、彼は自由なこの生活は嫌いではなかった。  誰しも好きで路上生活をしているわけではない。一人一人、その理由はある。当然、船長にもその理由はあった。  船長の言った通り、天気のよいままに日も暮れ始めた。  船長は自分の持っている乾き物のつまみを持って、タケさんの住んでる家まで向かった。  家と言っても、拾った木材とブルーシート、段ボールで作ったものだ。 「おーいタケさん、つまみ持ってきたよ」  船長はタケさんの家に向かってそう声掛けするが、中からは何も帰ってこない。 「…あれ、寝てるのか?入るよ」  船長は出入り口のシートを捲った。  しかし、中にタケさんはいなかった。 「やあ船長、タケさんかい?」  隣に住む“リョウ爺”が、船長の声を聞いて家から出てきた。 「こんばんは、リョウ爺さん。今夜は金が入りそうだから、一杯やらないかと誘われててね。ちょうど今買いに行ってるのかなあ?」 「そうだったのか。いやね、多分タケさん夕方に出ていったまま、まだ戻ってないよ。確かに買い物とか言ってたっけど…」  リョウ爺の話が少し気になる船長。この辺で酒を買うとなると、橋の近くにある酒屋の自販機だ。その自販機で缶チューハイや発泡酒を買って呑むのが、ここらのホームレス仲間の楽しみなのだ。  しかし、行って帰ってくるにしても、そう時間の掛かるものではない。 「そうか、分かった。ありがとうリョウ爺さん」  船長は、自販機のある橋の方へ、タケさんを探しに向かった。  ひき逃げにあったり、体調を壊して倒れても発見されなかったり、無視されることもある。そんなことを心配しつつ、少し足速に、橋の方へと向かった船長。  少しして、自販機の明かりが見えてきたが、遠くからでもその周辺に人がいないことは分かった。  道は堤防の一本。  誰ともすれ違うこともなかった。 「…どこか違うところに買いに行ったのか?」  そう呟き、とりあえず戻ろうと踵を返した時、微かな声が耳に入った。  船長は辺りを見渡した。  どうやら橋の下に誰かいるようだった。  何だろうかと、目を凝らしてみると、複数人の人影が見えた。 「ほら、早く川に入れよ」  耳をすまして、聞こえたのはそんな言葉だった。 ――何なんだ?  船長は、少し堤防を降りて、橋の下の方へと近づいた。  そこで目にしたのは、とんでもない光景だった。  タケさんが、地べたに膝と手を着き、その前を何人かの若者が囲うようにして投石しているのだ。 ――タ…タケさん!?  船長は堤防の草を慌てて滑るように降りた。 「ほら、早く川に入れよ、社会のゴミが」  若者グループの真ん中にいる男が、そう言うと、他の者たちはゲラゲラと笑った。  タケさんは、何も言わず下を向いてる。その側には、自販機で買ったであろう缶チューハイが何本か、転がり落ちていた。 「何やり過ごそうとしてんだよ!」  男は石を力強く投げつけた。その石は、タケさんの頭部に直撃した。 「ぐぁああっ!」  悲鳴をあげるタケさんは頭を押さえながら悶え苦しんでいる。 「ほら早く川に入らないと、どんどん石投げるぜぇ」  男たちは容赦なく石を投げつける。 「お、おい何やってるお前らあ!」  船長は、男たちと、タケさんの間に入って大声を上げた。 「ああっ!?なんだこのジジイ。ゴミの仲間か?」  騒めく若い男たち。そのリーダーらしい雰囲気の真ん中に立つ男は、馬鹿にした顔で言った。 「大丈夫か?タケさん…ああ、ひどい」  タケさんの容体を見る船長。薄暗くはっきりと見えないが、その傷が深いのはすぐに分かった。 「何だってこんな酷いことをするんだ!?彼が何かしたのか?」  船長がそう問うと、若者らは大笑いをした。 「は?何かした?しただろ?存在してることが、罪だ」 「な…何だって?」  リーダーらしき男の返答は、あまりに荒唐無稽なものだった。しかし、それをまるで当たり前のように言う。 「なあいいか、これは“川辺の清掃活動”だ、お前らみたいに生きる価値のない生ゴミを片付ける、社会のためのボランティアなんだよ」  船長は憤慨した。 「ふ、ふざけるな!」  その態度を見たリーダらしきその男は、石ではなく転がっていた缶チューハイを一本拾い上げた。 「ゴミのくせして、こんなもん呑むとは生意気にも…ほどがあるぜ!」  そう言うと、男は缶チューハイを思い切り船長に向かって投げつけた。  中身の入った重みのある缶が勢いよく飛んでくる。当たれば危険だ。  しかし船長はそれを左手でキャッチした。  ヘラヘラしていた若者たちは、その様子を見て、全員驚いた。 「…こんなことやめてくれ。彼を病院に連れて行く。いいな?」  船長は彼らにそう言い、タケさんを抱えるために背中を見せた。するとその隙に、リーダーらしき男は駆け足で近づき、船長の背中を思い切り踏みつけたのだ。 「ぐあっ!こいつめ」  地べたに転ぶ船長。起きあがろうとしたところを、今度は顔面を蹴る男。 「ナメてんじゃねえぞ、臭えゴミが!」  男は、船長の左手を思い切りブーツの踵で踏みつけた。 「ぎあああああっ!」  悲鳴を上げる船長。  その姿に満足気に笑う男は、他の仲間に、倒れているタケさんを川に流せと指示を出した。  本当は投石で追い詰め、自ら川に入らせることで、手を汚さないつもりだったらしいが… 「どうせ、乞食(ホームレス)ごときの水死体が出たところで、事故で片付く」  そう言い、皆を納得させたのだ。  若者たちは、タケさんの体を引きずり、川の方へと向かった。 「や、やめてくれ、その人は意識がない。水なんかに落としたらそのまま溺死する」  必死にやめるよう懇願する船長の顎を、リーダーの男は容赦なくブーツの爪先で蹴り飛ばした。 「排泄物をトイレに流すのと、同じことだ。てめえも次流すから、黙ってろ」  蹴られたダメージで体が動かず、朦朧とする中、タケさんが川に沈んで行く姿が目に入る船長。  そしてそれを見て笑い合う、若者たち。  確かに、自分たちは、社会には不要な存在なのかもしれない。しかし、こんな目に合っていいのだろうかと、消えゆく意識の中で、船長は思った。 「よっしゃ、次このゴミだ」 「ったく、ロクな栄養取ってないくせに、重いゴミだよなぁ」  若者たちは、船長の体を起こし、川まで引きずった。  カシュッ…  まさに船長のことを水に沈めんとするその瞬間だった。  缶チューハイの“蓋が開く音”が小さく鳴った。  若者たちは、一斉にその音のした方を振り向いた。堤防に並ぶ街灯が逆光になって顔はよく見えないが、そこには男が一人立っていた。  その男は首を後ろに傾けて、缶チューハイをごくごくと呑んでいる。  若者たちはお互いの顔をチラッと見合わせた。男のシルエットに、気になる物が見えたからだ。  逆光とはいえ、手にしている物が“刀”であることは理解出来、その男が“まともな人物ではない”と察するのは容易だったからだ。 「な、何だお前?」  一瞬、沈黙した間に、切り出しのは若者たちのリーダーらしき男だった。  刀を持った男は、缶を口から離すと、はああっと息を吐いた。どうやら一本、一気に飲み干したようで、空になった缶を屈んで足元にそっと置いた。 「何だと聞いてんだよ!」  男は大声で叫んだ。  殆ど気を失いかけていた船長は、その声で意識を取り戻した。 ――な、どうした?まだ放り込まれてない、のか…  船長は、薄らと目を開け、その様子を見つめた。  シルエットの男が若者らに少し近づくと、逆光だった街灯は顔を照らし、その顔を映した。  若い。二十歳前だろうか?ここにいる男たちとそんなに変わらない。そして暗いが髪が薄らと蒼く染まってるように見えた。  逆光だったことと、刀に少し驚いた若者たちだったが、自分達とそう変わらない見た目に、安心した。いくら武器を手にしてるとはいえ、相手は一人、自分達は複数だと。 「そんなもん持ってるから、一瞬ビビったが、ガキじゃねえかよ。何の用だ?」  リーダーらしき男が再度尋ねると、刀を持った男は眉根を寄せ、首を傾けた。 「いや、こんな所で“人”が何してるのかと気になって見に来たんだ。そうしたら、何だ…“ゴミ”か。“人”と見間違えたぜ」  真顔でそう言うと、若者らは一気に怒り「何だとてめー」「殺すぞああ!」などと喚き出した。  しかし刀の男は全く動じることなく、船長のことを指した。 「まず、その人を離せ、ゴミども」  キレたリーダーらしき男は、ポケットからナイフを取り出す。すると他の若者らも一斉にロッド式警棒や、メリケンサックなど、携帯していた武器を取り出した。 「おい…お前もこの川に流してやる、関わったことを悔め」  リーダーの男を中心に、若者たちは船長をその場に離すと、刀の男を囲うように距離を詰め始めた。  しかし… 「…え?」  自分の目の前にいた刀を持った男が、視界から突然消えたことに、リーダーらしき男は驚く間もなかった。いや、消えたというより、自分の見ている景色が変わったことに、出た声だった。  目にしているのは上。暗い、“橋の裏側”だった。理解するのに数秒かかったが、リーダーらしき男は地面に仰向けに倒れているのだ。 「え?な、何?」  男は立ち上がろうとするが、脚が思うように動かないことに気づく。そして遅れてやってくる脚への激痛に、悲鳴を上げた。  それもそのはずだ。  リーダーらしき男の脚は、膝から完全に折れて、曲がってはいけない方向に不自然な形に曲がっている。 「い、いでえっ!いでえっ!」  激痛に耐えられず、涙を流し泣き始めるリーダーらしき男。  仲間に助けを求めるも、誰の返事もないことに気づき、見える範囲で見渡すと、仲間たちは地べたに倒れ気絶しているのが分かった。 「え?え!何だ、何だこれえっ!?」  リーダーらしき男は、痛みと理解出来ない状況にパニックになる。  この状況を船長は見ていた。見ていてさえ理解は難しかった。  刀を持った男は、自らに近づく若者たち全員を、比喩ではなく本当に“一瞬”で倒したのだ。その動きは普通の人間のそれとは明らかに違った。  手にした刀を抜くこともなく、片手のままで、まさに瞬きをする間に、全員がその場に崩れ落ちるか、吹っ飛ぶかしたのだ。 ――あ、あ、一体あの男は…  船長は自分の体のダメージも忘れ、目を見開いていた。  刀を持った男は、リーダーらしき男に近づくと、着ている服の襟をぎゅっと掴み、引き摺り始めた。  動かぬ脚の激痛に悲鳴を上げながら、男は、何をする、やめろなどと叫んだ。  そして、川の側まで来ると、刀を持った男は言った。 「清掃だ。“排泄物をトイレに流す”のと同じだよ」  その冷たい目は、絶対に脅しでないことを理解したリーダーらしき男は、手をバタつかせ泣きながら謝った。 「悪かったです、もうしません、許してください」  見苦しく命乞いをするその姿に、刀を持った男は顔を近づけ「謝るならさっき川に沈めた人に言うんだな」と耳元で静かに言った。  川に落とされると、リーダーらしき男は、手でバシャバシャと沈まないよう必死にもがいた。  しかし両脚が完全に破壊されて動かせないので泳ぐことも、浮くことも出来ず、そして仲間に助けを求めても全員気絶してるので、気づいてもらえない。  目一杯の恐怖の中、沈んでいったのだった。  その様子を確認した刀を持った男は、船長をに近づき、抱き起こした。 「…う、う、助かった。ありがとう…。しかしあんた、あの男、あのまま見殺すのか?」  船長が問うと、男は頷くでもなく、ため息をついた。 「…俺は正義の味方ではないんでね」  その言葉に、船長は何も言えなかった。 「そ、そうだ、タケさん…」 「友達か?」 「あ、ああ」 「…多分、俺の仲間が引き上げてると思う。助かってるかは、わからないけどな」  そう言い残すと、刀を持った男は、自分の呑んだ缶チューハイの空き缶を拾い立ち去ったのだった。    少しすると遠くからパトカーのサイレンが聞こえた。  あとから聞いた話では、匿名の通報だったらしい。きっとあの刀を持った髪を蒼く染めた男ではないかと、船長は思っていた。  この事件では二人の遺体が出た。  一人は、タケさん。  刀を持った男が言った通り、川辺に引き上げられていたが、頭蓋骨陥没による脳内出血が原因で亡くなっていた。そのことを船長は酷く悲しんだ。  もう一人は、そのタケさんを殺した人物である、若者たちのリーダーらしき男。名前は坂口(さかぐち) 仁志(ひとし)。二十一歳で、都議会議員の息子だという。  坂口は、これまでもホームレスをターゲットに殺人を犯してきたそうだった。中でも酷い事件が、“消毒”と言って、ホームレスが寝ている古屋を放火し、生きたまま焼死させたことだ。そのような殺人を、都議である父親が力で揉み消していたことも明るみになった。  坂口は他にも、交際相手への暴力も起こしており、いわゆる“金持ちの手をつけられないバカ息子”という男だったようだ。暴力を振るわれた元交際相手の中には片目を失明した者もいたとのことだった。  坂口の仲間たちは、自らの自供と、船長の証言により、全員逮捕。都内で起きていた“ホームレス殺人”の捜査は一気に進んだという。  ただ、そこに現れた謎の男については、警察も何の手かがりも見つけることは出来なかったらしい。  ガラついた声の刑事が、やたら詳しく話を聞いてきたが、暗かったこともあり、船長もそこまで話せることはなかった。  ただ、刀を持った男のその目に、どこか優しさのようなものを感じたことは、助けられたことによる気のせいなのか、船長は忘れられないでいた。  そして助けられたとはいえ、船長の怪我は重傷だった。左手は複雑骨折、蹴られた顎も亀裂骨折しており、全治するのに一年は掛かると診断を受けた。  治療は自治体の救急制度により、費用は支払うことが出来、船長は安心して治すことが出来たが、左手の違和感はその後もずっと残ることになった。  船長は退院をした後、荒川の河川敷に戻ることはなかった。  後に噂で耳にした。  裏社会に、髪を薄青く染め、刀を手にした若い男がいるという噂だ。  その人物は、裏社会では“蒼光(そうこう)と呼ばれているそうだ。
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