蒼い人03-幼年編1

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蒼い人03-幼年編1

 吐く息は白く、寒い。  十二月の夕方。  都内では初雪がチラチラと見られるほど、この時期としては例年より冷え込んでいた。  もう時期暗くなろうという時刻、公園の前を通りかかった一人の青年がいた。  少し草臥れたジージャンに、マフラーを首に巻いた青年。  殆どが黒色の髪の毛先だけが青く染まっているその青年は、ポケットに手を入れて少し猫背気味に歩いていた。  だが、その足を公園の前で止めた。  鼻歌が聞こえてきたのがふと気になったのだ。  その声は、明らかに子供。それも幼い子だ。  こんな時間に子供が公園にいるのかと、思わず気になった青年は、公園の中を見渡した。 「……」  すると、回転遊具の側に、確かに子供がいるのが目に入った。  しゃがんで、歌を歌いながら、遊んでいる様子だ。  青年は、更に公園内を見渡すが、その子の親らしき姿はない。 「……」  このまま素通りをするか迷った青年は、ため息をつくと、公園の中へと入っていく。  遊具の側にいるのは、男の子。  三歳…、四歳くらいか。  手には何か“ヒーローもの”の人形を持っている。使い込んでいるのか、薄汚くなっているのが解る。 「…よお、僕」  青年は、男の子の正面に回ると、声を掛けた。  男の子はチラッと青年を見上げると、また何か人形で遊び始めた。  ポケットから手を出すと、青年はその場にしゃがみ込んだ。 「…かっこいい人形だね、何ていうんだ?」  男の子は、その質問には興味を示した。 「“スペースポリス ギャイダー”だよ」  人形の名前を答える男の子。 「へえ、ギャイダーっていうの?」 「うん!カッコいい?」  男の子は、人形を青年の顔の前に近づける。  青年は軽く頷いた。 「ああ、カッコいいよ」  微笑みながらそう答えると、男の子は嬉しそうにした。  幼い子供ならではの、無垢な笑顔だ。 「…なあ僕、お母さんは一緒じゃないのか?」  ふっと笑顔が消えると、首を横に振る男の子。 「そうか…お父さんは?」 「…いないの。僕のうちは、パパいないんだ」  男の子は、“父親がいないこと”を自分にとっては当たり前のことのように答えた。  これは考えるまでもない。  “問題のある家庭の子”だ。恐らくシングルマザーなのだろうが、それが問題ではなく、母親である人物に問題があるのだろうことが想像出来た。  こんな時間に一人で外にいるなど、非常識だ。  そうであることを考えた青年は、(さてどうしたものか?)とため息をついた。  児童相談所に連絡するかとも考えたが、すでに閉まっている時間だ。  ここは警察に相談するのがいいかと、ポケットから携帯電話を取り出すが、男の子はスクッと立ち上がり、「帰る」と言い出した。 「あ…そうか。一人で帰れるのか?おにいちゃん付いて行くか?」  首を傾げる男の子。  まだ幼ない故に、知らない大人に、付いていくかと問われて、判断が出来ないのだろう。 「心配しなくても、きちんとお家に入るのを確認したいだけだよ」  青年は、優しく笑顔でそう言うと、どこか安心したのか、信じたのか、男の子は“うん”と頷いた。 「よし、じゃあ行こうか」  青年は、歩く男の子の隣を歩いた。  よく見ると、着ている服も少し薄汚れている。特に靴がボロだ。 「なぁ、僕…お名前を聞いてもいいかな?」  青年が名前を尋ねると、男の子は、“かなた”と答えた。  どんな字を書くのだろうかと考える青年は、かっこいい名前たと返した。  てくてくと歩く歩幅の狭い、幼い男児。いくら街灯のある都会の住宅街とはいえ、薄暗い道を一人でいて怖がることもない様子に、青年は首を横に振った。  五分ほど歩くと、どうやら“かなた”の住むアパートに着いたようだ。 「ここか?」  青年が尋ねると、“かなた”は頷いた。  木造二階建てのアパート。昭和の匂い香る、古いタイプのアパートだ。  “かなた”が一階の、一番右側のドアに近づくと、ドアノブに手を掛けるでもなく、青年の元に戻ってきた。 「どうしたんだい?帰らないのか?」  “かなた”は、表情に変化はなかったが、斜め下を向いたまま、目を合わせようとしない。  青年は屈み、何も答えない“かなた”と同じ目線になる。 「何か、帰りたくない理由でもあるのか?」  もう一度、尋ねる青年。 「…まだ、“おじさん”がいるの」  “かなた”は小さな声でそう答えた。 「おじさん?」  青年は、“かなた”の入ろうとしたアパートの部屋の方を見た。  そして立ち上がり、ドアの側にゆっくりと近づいた。  微かに、女性の声がする。  喘ぎ声。  (ああ、なるほど)と、青年は困った顔をした。  女性の声は“かなた”の母親だろう。  “おじさん”とは、その母親の連れ込んでいる相手の“男”のことだと理解した青年は、立ち尽くす“かなた”の姿を見て深くため息をついた。  “行為”の最中に、子供がいるのが邪魔だから追い出しているのだろう。  まだこんなに幼いのに、“クズな親”だと、青年は眉間にしわを寄せた。  しかし同じような子は他にもいる。  一々は助けていては、キリはない。そもそも他人の家庭事情への深入りはよくない。  青年の頭の中では、そんな考えが巡る。 「…腹減ってるか?何か、食うか?」  青年がそう尋ねると、“かなた”はうんと頷いた。 「よし、じゃあコンビニ行くこうか。確か、あっちにあったよな」  青年は“かなた”を連れて、最寄りのコンビニに行き、肉まんとパックのオレンジジュースを買った。  肉まんを手渡された“かなた”は、その暖かさにどこか感動したような笑顔を見せた。 「あーたかい」  小さく呟く、“かなた”。指先が冷えていたのだろう。  コンビニの駐車場の縁石に座り、二人で肉まんを食べる。“かなた”は嬉しそうに、時折隣に座る青年を見上げながら、肉まんを頬張った。 「おにいちゃん、髪の毛、何でそこだけ青くなってるの?」  “かなた”は、青年の毛先を見て不思議そうに尋ねてきた。 「あ?…はは、気になるか?染めてたんだよ」 「じゃあ、頭の上は何で黒いの?」 「それも気になるのでか?」  こくりと頷く“かなた”。 「伸びてきたのさ。染めるのやめたから、伸びたところは黒いんだ」  話を理解してるのか、していないのか、“かなた”は納得したような笑顔を見せると、肉まんに齧り付いた。  すっかり暗くなった頃、アパートから男が帰ったのか、まだいるのか分からないが、さっきまでの卑猥な声は聞こえなくなっていた。  そして“かなた”が部屋に入っていくのを青年は見届けた。  聞き耳を立てる気もないが、ドア越しに、男女の会話が微かに聞こえてきた。  何を言っているかはっきりとは確認できないが、すぐに“かなた”の泣き声も一緒に聞こえてきた。  突然の男の怒鳴り声…  一瞬、青年は部屋に入ろうか迷ったが、助けたところで、その後どうするかと自問自答し、やめたのだった。  代わりに、携帯電話を取り出し、警察にアパート名と部屋番号を伝え、子供が虐待を受けていると通報をしたのだった。  シングルマザーの交際相手が、子供を虐待する話はよく聞く。  “何で子供を捨ててままで男を取るのか”、“何で母ではなく女でいようとするのか“と、世間はそんなシングルマザーを叩く。  しかしシングルマザーの多くが、男に依存したり、子供に虐待する彼氏と交際するわけではない。  特別その印象が強いは、メディアの印象操作であることは、青年も理解はしていた。  確かに子育てに苦労はしているものの、しっかりとした職に就き自立している女性も多い。  ろくでもない男とくっつくのは、シングルマザーに限ったことでもない。  それでもその印象が強いのは、社会的に叩きやすくネタになることだろう。  それから数日が経過した、日曜の昼間…。  また、青年は、あの公園の前を通ると、“かなた”の姿が目に入った。  今日は“かなた”だけではない。  “かなた”よりも、大きな男の子が三人。  小学校の低学年くらいの少年たちが“かなた”を囲うようにしていた。 「ダセえ、これもう終わってるやつじゃん」  少年の内の一人が、“かなた”からギャイダーの人形を取り上げて、馬鹿にした。  他の二人はそれを見てゲラゲラ笑う。  “かなた”は、返して、返してと涙目で手を伸ばしていた。 「うちのママが言ってたぜ!おまえんちのママは社会のクズだって」  どうやら近所に住む少年たちのようだ。  ギャイダーの人形を高く掲げ、“かなた”に届かないようにすると、他の二人は“かなた”の頭を小突いたり、服を引っ張ったりし始めた。  その様子を見た青年は、呆れた顔を浮かべため息をつくと、公園に入り、ツカツカと子供達の側に近づいた。  そして、人形を高く掲げている少年のの“手首を掴んだ。  突然のことに驚く少年たち。 「おい、自分より年下の子を寄ってたかって虐めるのは、ダサくはねえのかぁ?」  青年は、少年の手首を軽く締め上げると、反対の手で人形を取り上げた。 「いたたた、誰だよてめえ」  小学校の低学年の内から、大人に向かって“てめえ”とは、実に育ちの悪いことだと、青年は肩眉を下げて苦笑した。 「大人に対する口の利き方がなってないな…」 「放せよっ!」 「ああいいぜ。ただ…お前ら、その子に謝れ」  青年は、手首を放すとそう言った。 「何でだよ、ちょっと揶揄ってただけだよ」  青年は、ポケットから携帯電話を取り出した。 「そうか…、じゃあ俺も今から仲間の何人かに連絡をしてここに来てもらう。そんで、皆でお前ら三人をちょっと揶揄わせてもらうが…いいか?」  三人の少年たちは、そう脅されると何も言い返せなくなった。 「…そうなるだろ?その子にやってることは同じだぞ。自分より強い奴に挑むのならまだしも…弱い者を虐める奴はロクな大人にならねえぞ」  突然現れた大人の男性にそう怒られては、謝らないわけにはいかない。三人は渋々と頭を下げて、“かなた”にごめんなさいと謝罪をした。 「…お前ら、何に対するごめんなさいだ?“ごめんなさい”って、言葉を発すれば許されることじゃねえからな。よく反省しろ。でないと、次は俺もこんなんじゃあすまさねえ」  説教を終えると、三人は振り向きもせず、小走りで公園を立ち去った。  青年は、それを見届けると、ギャイダーの人形を“かなた”に手渡した。  “かなた”は、涙を拭いて、青年の脚に抱きついたのだった。 「何だよ、どうした…」  青年は、そんな“かなた“の頭を撫でるのだった。
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