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蒼い人03-幼年編2
二週間が過ぎた頃、青年はまた“かなた”がいたあの公園の前を通った。
何かしてやれるわけでもなく、放っておくべきこととは思うも、一度関わってしまうと、どうも気になって仕方がないというのが青年の本音だった。
しかし、今日は公園に“かなた”の姿はなかった。
だが、“かなた”を揶揄っていた三人の少年たちがいた。
「おいおい、お前ら嫌な顔するなよ」
近づく青年が目に入ると、少年たちは、特に手首を掴み上げられた少年はゲエッという顔をした。
遊具に座って、ハンディ型のゲーム機をプレイしている。
日が出ているとはいえ、真冬の外でよくやるよと、青年は苦笑した。
「遊んでるところ、悪いな」
そう言い、少年たちの座っている間にドカッと座り、ゲーム画面を覗く青年。
「今日は“かなた”…あの子は来てなかったか、知らないか?」
三人は互いに顔を見合わせたあと、揃って首を横に振った。
「多分、最近は来てないと思うよ」
右隣の少年が口にした、“最近は”という言葉が少し引っ掛かった。
「…そっか」
家にいるのだろうか?それとも風邪でも引いたのか?顔をしかめ、そんなことを考える青年に、左隣の少年が気になることを口にした。
「あいつ、俺の妹と同じ保育園なんたけど、ずっと来てないってママ言ってたよ」
家庭環境に問題のある家故に、そんなことも珍しくはないであろうと思うも、気になった青年は公園を後にし、“かなた”の住む、アパートへと向かった。
思えば、二週間前に通報した時に警察は何か対応してくれたのかも気になった。その後、児童相談所に連絡が行き、保護されたので公園にはいないといことも考えられた。
願わくばそうであって欲しい、青年はそう思った。
「ちょっとあんた、ここに出入りしている人かい?」
公園からアパートまでは、すぐに着き、“かなた”の住んでいる部屋の前に立っていると、後ろから買い物袋を持った中年男性が声を掛けてきた。
少し小太りで、きっと独身なのだろうと想像させる雰囲気を醸し出している男性のその顔は、少し苛立ってるように見えた。
こちらに対して何かよく思っていないことの伝わる顔だ。
「はい?」
質問の意味が解りかねた青年は、少し首を傾げた。
「…あれ?何だ、違うの?」
中年男性は、不機嫌そうな顔は変わらなかったが、少しばかり申し訳なさそうにした。
聞けば、この男性は、“かなた”の部屋の隣に住んでいるらしい。
だから、この目の前の部屋に複数の男が出入りしているのを知っているというのだ。
要するに青年のことを“その内一人”だと勘違いしたという。
どうやら“かなた”の母親は男に見境がないらしく、依存してるのだろう。
「君、勘違いして悪いね」
中年男性は軽く頭を下げた。
「いえ…」
「いやね、いつもこの部屋からさ、変な声とか、怒鳴り声とか聞こえてくんのよ。子供いるんだけど、その泣き声とかさ…。何度か警察に通報したことあるけど、変わらないんだよね」
「はあ…」
「でも、ここ一週間かなぁ。何も音がしなくてね」
「…え?」
顔をしかめる青年。
「静かに過ごせるのはいいんだけどさ、多分ゴミも片付けないで、しばらく家空けてるんだろ?少し臭いがしてね。あんたが出入りしてるなら、ゴミ捨てとか掃除しろって注意しようと思ったのさ」
「臭い…?」
「ああ、寒いから窓開けることはないんだけどさ、こうして外出する際にやっぱり不快でさ」
青年は訝しげな顔をすると、“かなた”の部屋の方を振り向き、ドアの方へと向かった。
「…ちょっとあんた?」
中年男性は呼び止めるが、青年は無視をして歩を進める。
一階の左端の部屋の前に立つと、確かに、微かにだが異臭が漂う。
青年の顔が険しくなる。
知っている臭い…
この臭いは、ゴミが腐敗したものではない。“死臭”だ。
ドアノブに手を掛け回すが、鍵が掛かっていて開かない。
「“かなた”、いるか?俺だ…にいちゃんだ!分かるか!?」
青年はインターホンを押し、ドアを叩いた。
だが、中からは誰の声もしない。
急いでアパートの反対側へ回る青年。
そこには明らかに何日も干しっぱなしなっているシャツやシーツが、物干し竿に掛かっていた。
青年は、掃き出し窓に顔を近づけ、両手で反射を防いで部屋の中を覗き見るが、よくは分からない。
気配もなく、誰かがいるようには見えない…
「おい、だからあんた何だ?ここの関係者じゃあないんだろ?そう言ったよな」
後から付いてきた中年男性は、青年の行動に驚きながら、再度尋ねた。
青年は質問に答えることなく、ジージャンを捲り、脇に手を入れると、拳銃を取り出した。
「…ひっ!じ、銃っ!?」
中年男性は、青年の握る拳銃に驚き、目を丸くした。
「も、モデルガン?エアガン?」
本物の銃など見たことがない中年男性は、上擦った声で思わずそんなことを尋ねるが、青年の持っているのは本物だ。
青年は、拳銃の銃身の方を握り直した。
そして顔を窓から逸らし、グリップをハンマー代わりにして窓の鍵の閉まってる部分に、強くガンッ!ガンッ!と叩いた。
ピキッ!パリンッ!と音を立てて割れる窓ガラス。
青年は拳銃を脇のホルスターに入れると、割れた窓ガラスから、部屋の中に手を入れ、鍵を開けた。
カラカラと、窓下のローラーが回る音を立てながら、スライドする。同時に部屋からより臭いがした。
「ぐおえ…酷い臭いだ」
中年男性は、思わず鼻を塞いだ。
「あんたは入ってくるな、臭いでゲロぶち撒かれても困る」
そう言い、青年は靴を脱いで部屋へと入った。
部屋は散らかっており、布団も敷きっぱなしだ。
臭いのするのはこの部屋ではない。
青年はゆっくりと台所のある部屋へと移動する。
「……っ!」
目に入ったものを見て、青年の眉間に深くしわが寄った。
冷蔵庫の近くに、“かなた”が倒れていたのだ。
「…“かなた”」
声を掛けても返事がないのは見て解る。既に事切れていた。
それでも青年は思わず名前を呼んだのだ。
何があったのか、“かなた”はお腹を抱えるような格好をしていた。
寒い時期だからだろう。腐敗はそこまで進んでいない。
青年は、そっと“かなた”の着ていたシャツを摘んで捲った。お腹を抱えている腕は、硬直して動かなかったが、捲ったところだけでも、内出血の跡が確認出来た。
司法解剖しないと、死因までは判らないが、身体的な暴力を受けていたことは伺えた。
歪んだ表情から、何らか腹部への強い暴行に苦しんでいたのかもしれず、それが死因の可能性が高い。
青年は、ゆっくりと立ち上がると、部屋の中を物色した。
玄関に溜まっている郵便物から、母親の名前は“桐島 真由美”だと判る。
そして、その息子の名前は、“奏”。自治体からの子供の発育診断の案内の手紙に記載されていた。
それにしても、流しには使用した食器が置きっぱなしだったり、灰皿の吸い殻も溜まっていて、子供の生活する環境としては最悪だ。
部屋の端に、玩具やお絵かき帳が入ったケースがあった。大した数は入っていおらず、使用感のあるものばかりで、その中に見覚えのある“ギャイダー”も入っていた。
青年は、お絵かき帳を手に取り、開いた。子供らしい絵がいっぱい描いてある。
何枚か捲ると、人の顔の絵が描かれており、その側によれよれの文字で“おかさん”と記されていた。
奏にとって、母親は大好きな存在だったことが伝わる一枚だ。
そう、どんなロクでなしでも、幼い子にとって母親は大好きなのだ。それを思うと虐待を行う親の子や、ネグレクトの親の子というのは、本当に不憫でならない。まさに奏は、そんな子だ。
だが、青年が衝撃を受けたのは、更に何枚か捲った時だった。
最後の一枚に描かれた顔の絵。
「…これは」
一瞬、青年の手が震えた。
子供らしくガチャガチャとクレヨンで塗られた色。その顔の絵の髪の色が、黒と青で塗られていた。
多分側に描かれている丸いものは、肉まんだと思われた。
“自分”だ。
そして、幼いよれよれの文字で、“たすけてわるいおじさんからぼくとおかさん”と記されていた。
これは奏の“SOS”だ。
誰にも助けを求められなかったのだろう。
誰にも届かなかったSOS。
きっと奏は、誰かに助けを求める術のない中で、青年の優しさに触れ、この人なら助けてくれるのではと、本能的に願ったのだろう。
青年は、お絵かき帳を強く握った。
やはり、警察は、児童相談所は、動いてくれなかったのだろうか?
だが、そんなことを考えても、もう奏は生きてはいない。
青年は、お絵かき帳をそっとケースに置くと、部屋の中を更に物色した。
少しして、青年が掃き出し窓から出てくると、買い物袋を持った中年男性はまだそこにいた。
「…あんた、警察に通報しておけ。子供が死んでますって」
「…え、え、隣の子…死んだの?」
青年は、何も答えることなく、姿を消したのだった。
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