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蒼い人03-幼年編4
港区、南青山にあるマンション。
真夜中のそこは、複数台のパトカーの回転灯に照らされ赤く染まっていた。
銃声を聞いた、瀬上と同じ階の住人が、警察に通報。
駆けつけた警察官によって、負傷した瀬上は発見され救急車で搬送された。重傷だが大事には至らなかった。
同じ部屋にいた真由美は、無傷ではあったが、精神的に深いダメージを負っており、同じく病院に搬送された。
だが二人は、奏の遺体が真由美宅であるアパートから発見された件で、警察が行方を探し始めていたことが判り、“そっちの担当刑事”が病院にやってくるのに、そう時間はかからなかった。
そして治療後に聴取を受けて、真由美は即逮捕、瀬上は退院後に逮捕となった。
その後、取り調べの中で判ったことは色々とあった。
真由美は恋愛体質で、もともと男にだらしなかったが、瀬上には特に入れ込んでいた。彼女から言わせると“本気“というやつだ。
最近まで、生活のためにキャバクラで働いていた真由美。
瀬上はその客だった。
言い寄って来る客の男たちは、羽振りのいい太客もいたが、そういう人物は真由美にとっては“脂ぎったおっさん”が多く、逆に言えば顔のいい若い男の客は、その後いわゆる“ヒモ”になる者ばかりだった。
金のために、ずっと年上の中年男と“枕営業“をすることもあれば、依存するために若い男に金を貢ぐこともあり、どちらも自分を満たすには至らないのに、それを繰り返していた。
そんな中にあって、瀬上は三十代半ばと少し歳は離れてはいたが、半グレの幹部で、何か自分とは違う世界に生きているところが格好良く見え、さらに親が金持ちとあって、魅力的な存在だった。
それも自分を相当に気に入ってくれており、一度しつこい客から助けてくれたことで本気の恋に落ちたというのだった。
一方の瀬上も、どうにも真由美が気に入ったらしく、しばらく真由美のアパートに転がり込む生活をしていた。
子供のいるシングルの女性でなくとも、相手に不自由はしないであろう瀬上だが、相性なのか、顔なのか、真由美に惹かれる何かがあったのだろう。
そんな瀬上だが、いい歳になっていつまでも半グレだ、脛齧りだと、情けないままでは世間体も悪いと、親は悩んでいた。そして半グレ組織を辞めさせるめに、彼の親は経営してる店の一つを与え、経営者の椅子に座らせた。
そして、中古で古いマンションだが、一等地に住まいも買い与えたという。
そのマンションの入居がつい先日のこと。
瀬上がマンションを手に入れたことで、今度は真由美がそっちに転がり込んだ。
子供など“邪魔な存在“としか思っていなかった真由美は、自分がどこでほっつき歩こうが、家に帰るまいが、関係なく、子供にとってそれがどういうことなのか深くは考えていなかった。
瀬上が、奏に最後に会った日に蹴り飛ばした理由は、“買い置きのジュースを飲まれたから”だったが、実際には更に続きがあった。
真由美は、瀬上のマンションに行くために、数日ほど寝泊まりをする荷物をキャリーケースに入れて持って行こうとしていた。
夜の仕事や、夜の遊びでよく家を空ける母親ではあったが、普段見ないキャリーケースを見て、子供なりにいつもと違う何かを感じたのだろう。
瀬上に蹴り飛ばされ、悶え苦しんでいた奏は、必死にはって立ち上がり、母親に「行かないで、行かないで」と懇願したというのだ。
それを見た真由美は、そんな奏の手を跳ね除けたらしい。
その時の真由美から見れば、自分を行かせたくないからと、奏が苦しい演技をしていると思っていたと言うのだった。
だが奏はその後、内臓破裂で死亡した。
さぞ、寂しく苦しかったであろうか。
青年は、奏の遺体の顔に、涙を流していた白い跡が薄ら残っていたのを思い出すと、心が傷んだ。
息を引き取った奏がアパートで転がっていたことなど知らず、瀬上が更に羽振りの良くなったことで、真由美は勤めていたキャバクラは辞め、数日間、適当に遊び過ごしていた。
「…というわけさ」
ここは外苑西通りにあるイタリアンレストラン、“ハンター“。
今、奏の虐待死の一連の詳細を話していたのは、長い黒髪の女性だ。
青年は、その女性とテーブルを挟んで向かい側に座り、パスタを食べながら話を一通り聞いていた。
この女性は、奏の事件の担当ではないが、警視庁の刑事で、青年とは深い仲の人物だ。
青年に事件の詳細を知りたいと頼まれ、捜査ファイルを持って来てくれた。
「そうそう、あなたが通報した日ね、警官がアパートに行ったんだけど、虐待の疑いがあるってことで、児相に連絡は行ったのね。でも、居留守なのか、本当に留守だったのか、訪問しても職員は桐島 真由美とは接触出来なかった、らしいわ」
「そうか…」
青年は素っ気なく答えた。
聞けば、真由美もまた父親のいない片親家庭で育ったという。
だが、奏とは事情は異なり、父親とは事故による死別だという。
真由美の母親は真面目な人間で、夫の死後、生活に困らないように看護資格を取得し、女手一つで育てていた。
だが、夜勤も多く多忙を極め、人一倍愛情に飢えていた真由美は、日常的に母親と接する機会が少なく、それが元で人に依存する生き方をするようになったようだ。
そして年頃になり、女であることで男に優しくされることを覚えたということだ。
真由美の身元引受人に、警察から連絡を受けた、その母親が現れたという。
母親は娘である真由美とは数年間、音信不通で、奏の存在も知らなかったらしく、一連のことを聞き酷くショックを受けていたらしい。
「それにしてもさ、あんた何だって今回の虐待事件に関わったの?」
女性刑事がコーヒーを一口飲むと、そんなことを青年に尋ねた。
「別に…たまたまさ。奏の遺体はどうした?」
「桐島 真由美の母親が引き取って、小さな葬儀をあげたそうよ」
それを聞いて、少しだけ安心した青年は、軽く頷いた。
パスタを食べ終え、紙ナプキンで口を拭くと、青年はグラスの水を飲み干し、ふうっと満足気に一息ついた。
そんな青年を見て、女性刑事は頬杖をついて苦笑した。
「…二人とも殺さなかったのね」
女性刑事が、隣のテーブルに聞こえないよう、小声でそう尋ねた。
「…瀬やま、いや、瀬上か。あいつにはマジで死ぬと思わせたけどな。なかなか恐怖に引きつった面してたぜ」
そう、マンションで放った青年の殺意は本物だが、殺す気は最初からなかった。
マンションで銃声がすれば、誰かは必ず通報することを見越し、そして腹部の急所も外していた。
本気で殺す気なら、刃物か首を折るか、寝てる隙を狙い、物音も悲鳴もあげさせずにそうしていたと、青年は語った。
「とにかく、これからは“カタギ”になるんだから、無闇に銃ぶっ放すのはやめなさいって…」
少し困ったような、怒ったような、そんな表情で注意する女性刑事。
「はいはい…」
青年は目線を合わせず、頭を掻きながら返事した。
「んもう…結構色々と面倒だったんだから」
「いつも感謝してます」
食事を終えると、青年は店の外で女性刑事と別れ、そのまま外苑西通りを歩き、閑静な住宅街の方へと向かった。
その後、一年以上が経過した頃のこと。
ニュースで見たことだったが、東京地裁で瀬上は交際相手の子供への傷害致死罪で懲役十四年が下された。納得出来なかった瀬上は控訴したが、棄却。上告も棄却された。
真由美は直接手を下してはいないものの、その事実を目の当たりにしても瀬上の暴力を止めずにいたために共犯となり、また育児放棄も加わり、懲役十年の判決が下され、それを受け入れ実刑が確定した。
奏が眠る墓は埼玉県は熊谷市の霊園にあった。真由美の父や祖父も眠る墓に埋葬されたのだった。
娘の裁判結果が出た年のお盆の時期だった。
夫や孫にその報告をするために真由美の母親が墓参りに訪れた時、誰かが今いたのか、辺りを見回した。
何故ならば、煙の立ち上る線香と花と、そして値札のついた新しい“スペースポリス ギャイダー”の人形が置いてあったのだ。
END
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