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花の結晶
早朝、目がさめる。
かすむような薄明の世界を、カーテンめくったむこうに見た。
やけに冷える朝だと思ったら、窓硝子が結露し、綺麗な結晶ができていた。
小さいころを思いだす。
その当時をまねて、指先でなぶり、溶かし、舐めた指はほんのりあまい。
え?
不思議だった。
今日はゆっくり朝飯を食べられる日なので、身支度も急がずイオタは母におはようを言い、いたわってくれる言葉にありがとうを返した。
やがて漂ってくるお味噌汁の香り。
卵料理の焼ける音。
整った食卓に、静かな気持ちで着いた。
「いただきます」
箸持って手あわせて、お椀持つお味噌汁すする。
え?
味がした。
ワカメの海の潮気にささえられ、味噌と出汁の風味豊かな、舌へ纏う塩の味。
ウィンナの肉々しい歯ごたえと脂のコク。
目玉焼きのっけた白ご飯だって、ちょっと香ばしい感じとごはんのあまみ、醤油と半熟の黄身がとろりとろけるうまみがたまらない。
ヨーグルトがほんのりすっぱくて、苺ジャムのあまいアクセント、わ、おいしい。
おおお。
味。
味だ。
ルマさんのお菓子じゃない食べ物の味。
何年ぶりだろう。
忘れていた。
味、てこと。
おいしい、て、こと。
怖くないこと。
「イオタ?」
なんだか潤んだ目で味わっている娘に、母親はちょっと良い表情を向けた。
「うん。あのさ、おいしい」
「味、わかるの?」
「うん。何年ぶりだろ。お母さんも知ってるよね、ルマさんのお菓子じゃないね」
「知ってる。あんたのことだもん」
「そうなんだよ。ね、お昼ごはんなんだろ? 私、今ならトマト缶のパスタの何か食べたい。材料なけりゃ買ってくる」
娘にもうないものと半ばあきらめていた反応だ。
食べ物への。
ましてやひとりでおつかいみたいなこと言っている。
食べ物に関わることなのに。
怖くてひとりで、スーパーなんか行けなかったのに。
ふ。
母は息をついた。
必要な食材をメモにまとめる。
そのあいだ、イオタはおだやかに身支度を整え、珈琲を飲んで日記を書いた。
スーパーの開店時間待って、軽やかにおつかいに行くイオタ。
玄関先で娘を見送った母は、ふと空を見てアルマのことを思った。
イオタの、我が娘の、今日のきっかけを作ってくれた女性のことを。
何度かあっている。
娘と同じ施設に所属するヒトだったんだもの、顔と空気くらいわかる。
ありがとう。
アルマへ、そのヒトの偉大なる母へ、思念を捧ぐ。
空には風花が舞っていた。
山国のここいらのこと、春先まで残る存在感ある雪の風。
その強さを、これから娘に求めて良いのかもしれない。
何度壊れ何度泣き叫んでもここまで生きてる、あの子に。
イオタは春香る道を歩いていた。
イオタも風花舞う空を見ていた。
指にはあのビーズリング。
空にかざす。
遠くよく晴れた空よりあざやかに、青を放つ指。
アルマの色。
青かった、あのヒトの纏っていた空気。
そのヒトの魂の軌跡描いてるみたいな雪のひら。
ありがとう、ルマさん。
また泣いちゃいそうで、立ち止まり、やっぱ涙した。
にじむ空の青と雪の白の絵画のような様、思いだされるアルマの笑顔。
こう云うこと、生きるって。
食べること生きること命をいただくこと。
なんて尊いのか。
食べるよ。
生きるよ。
アルマもきっと食べてくれているだろう。
兜率天のどこかで、怖くでもなく憎むでもないごはんを。
おいしいものを、おいしい、と。
あの笑顔で。
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