花にひとひら、迷い虫

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 青年は律の扱いに困っているようだった。彼が考えあぐねている間に、生物準備室によってもらうことにした。  青年は、花音の父親――、つまり、理事長のことを知っていた。  身寄りがなくアルバイトで生計を立てていた彼は、大学受験に落ちて進学を諦めかけていたとき、「同じ十九歳」のよしみで理事長に拾われたらしい。それ以来、食堂のアルバイトや警備員をして働きながら、浪人生をしているそうだ。 「お前が屋上にいたって事は……昼間のあの子は理事長の娘か」  まさか本当に潜り込んでくるとはな、と、青年が呆れたようにつぶやく。 「じゃあ、さっきまで屋上にいたのも――」 「他言無用で願えますか」  準備室の机の上には、律の白衣が折りたたまれて置いてあった。裏口の三和土には律が花音のために借りてきた上履きがそろえてある。どうやら、無事に逃げられたようだ。夜道は心配だが、バス停は近いからおそらく大丈夫だろう。 「それはお前……、運営してるのは、あのおっさんの親友だからなあ……」  困ったように頭をかいているが、恩人の娘のためならば、便宜を図ってくれるだろう。  律は青年に見えないよう、白衣のポケットを探る。   折りたたんだメモ用紙が見つかった。手帳のメモ欄を破いたらしいそれには、アメリカの住所と、彼女のフルネームが漢字で書いてある。 「天宮 花音」。 「雨」ではなく、「天」と書く方の天宮。 「……理事長って、レオンって名前のアメリカ人ですか?」  ほとんど確信しているが、念のため聞いてみる。青年は眉をひそめつつ、答えてくれた。 「今更何言ってんだ。当たり前だろ。レオン・ナインティーン。冗談みたいな名前で有名じゃないか」  どう見ても日本人なのに、日本人離れした名前の不審な人。  きっと、国籍を変えたときに改名したのだろう。変な名前の由来が、ようやく判った。  天宮。 「てん・きゅう」とも読める。「てん」を「十」、「きゅう」を「九」と変換すれば、「十九」になる。英語で「十九」は、ナインティーン。  入り婿で離婚した彼が、改名してまでこだわった名字。  娘に見せたくて、娘に伝えたくて、ただそれだけで作り上げた学校。 「殺しても死にそうになかったのに……、交通事故で、こんなにあっさりなんてな。全校集会で黙祷もしただろう? ――ってお前、まさかそれも出てなかったのか!?」  冗談やだじゃれが好きで、いつも楽しそうな人だった。  勉強しかすることのなかった律に、別の世界を見せてくれた人だった。  けれど、決して律に何かを押しつけたりはしなかった。    ――きれいな花だろう? ……え? 虫の方がきれいだって?  彼の思いとは裏腹に、律が結局興味を持ったのは花畑ではなく虫だったけれど、それでも興味が持てるものが見つかって良かったと、喜んでくれた人だった。    ――そう、花音のように。
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