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食後の約束
最後のパットーネが口の中で甘く溶けて消えたと思ったその瞬間、気が付けば私は、おじいさんが飛び出してきたのと同じ自販機の影に隠れるようにして立っていた。
デザートも含め3品も食べていたのだから、少なくとも1時間以上はたっているはずなのに、夕暮れの光も周りの風景もなに一つ変わっていなくて、まるで全く時間が進んでいないようだった。
「時間の進み方が違うからね」
私の心を読んだかのように、隣に立っていたおじいさんが言う。
遠くで午後5時を知らせる音楽が鳴っている。あっちの世界と彼にさようならを言って、私は家へ向かって歩き出さなければいけない。
私はこっちの世界で生きていくしかないのだから。
「ごちそうさまでした。……また、おいしいご飯食べたいです」
「もちろんいいよ」
「また苦しくなったらきてもいいですか」
「いいよいいよ。いつでもおいで」
今、私の上には何が降り積もっているのだろう。私は何を背負って生きていくのだろう。
ひんやりとした影から、夕焼けが照らす道へ右足を踏み出す。右頬が夕日に照らされてカッと熱くなった。
疲れ切った顔をしたサラリーマン風の男性が目の前を通り過ぎていった。
「もし……もし、苦しんでる人がいたら」
男性の長く伸びる影を目で追いながら、私は思い切って言った。
「もし、降り積もった想いに苦しんでる人がいたら、一緒に連れてきてもいいですか」
男性とすれ違うように、全身真っ白な女の子が走っていく。私とは違う世界に生きる彼女は、私とおじいさんに気が付いたのか白い唇で笑ってこちらに手を振った。
「もちろん」
後ろからおじいさんの優しい声が聞こえた。
「それは君にしかできないことだから」
振り返ると、一際濃い自販機の影には誰もいなかった。
嘘のように軽くなった体で、私はおじいさんからもらった言葉と共に一歩、足を踏み出す。
はらり、と優しくて美しいなにかが、肩に触れた気がした。
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