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僕の名前は一条理人。
陰陽師の末裔である久我の一族に仕える一条家の跡取りだけど、僕自身はあまり妖たちが得意ではない。僕に出来るのは言葉を力に変えること。僕は幼少期からこの力に悩まされてきた。
何もかもから逃げ出したくなって、此処まで来た。この衝動は田舎の人が「都会に行きたい、東京に行けばどうにかなる」という気持ちと似ているだろうか?
「お前、何のために東京に来たんだ? 親父たちに俺を連れ戻すように言われたか?」
「どうしてって、弓弦様に会いにきたんですよ。それに、あの家を出たかったんです。その為には結界を解いて貰う為に、理由が必要でした」
「俺に会いに来たって? そいつはビックリだ」
斜陽に照らされてビルからせり出した影はまるで冥界の景色を見ているようだ。沈没船みたいに空いたテナント、廃墟のビル。弓弦様との再会はあまり久しぶりという感じがしなかった。
「お前、お腹空いてるよな?」
「はい」
「じゃあ俺のビルに案内してやるよ」
弓弦様は東京で探偵をしている。元々は久我家の次男だったけれど、昔跡継ぎである双子のお兄さんと喧嘩したのをきっかけに勘当されてしまった。
「ビル? 弓弦様の土地なんですか?」
「俺がお前と同い年の頃買ったんだ。俺の事務所は三階だけど、今用があるのは一階な」
それは都市部の中心地に良く見られる、三階建てのビルだった。
比較的最近の建物らしいけれど一階にあるうどんそば屋の古びた看板のせいで全体が古びて見え、外装のタイルは上品なのに金がかかっていないように見える。カラカラと音を立てて開けるタイプの引き戸を開けて暖簾を潜ると、お出汁のいい匂いがした。
「いいお店ですね」
僕がしみじみ呟くと、奥にいた店主が嬉しそうに微笑んだ。
「それに、いい匂い。東京に来て一番初めに食べるのがこの店で良かったかも」
入口に置かれていた発券機で食券を買い、席に座る。カウンターの中では店主が一人で沢山あるコンロに鍋を並べ、調理をしていた。よく見るとこの店主、弓弦様に負けず劣らず美形だ。
こんな小さな店で調理場に立つのが不釣り合いなほどの美形が着物にエプロンをして、ひたすら麺を茹でている。そこにいるだけで繁盛しそうな珍妙さの人物が平然と調理をしているのはなんだか不思議な光景だった。
「俺が始めた店だけど、今は殆どこいつに任せてある。こいつが作る飯は美味しいからな」
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