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幸せな確信
「理人、今すぐ荷物まとめてこい。イチも念のため連れていけ」
「あ、ありがとうございます、でも……っ」
急に引っ越すことが決まったのは、世の中を賑わせる『人さらい』『人食い』のニュースの犯人が航様だと判明したからだった。僕の元にも当然、航様がやってきた。
夜、道を歩いていると生ぬるい風が吹いて、僕の足を止めた。身体が重い、苦しい。
――線香のような匂いがする。
「理人」
「航様……」
目の前にいるものは、人間ではない。僕は思わず懐かしさから名前を呼んでしまった。明らかに自分よりも強大なものに出会った時無条件に抱くであろう逃走への欲求よりも、郷愁にも近い何かが僕の足を留まらせた。それがとてつもなく愚かなことだということに気付いたのは、するりと黒い腕が伸びてきたからだった。
りひと
おいで、おいで
優しい声がまるで子守唄のように響く。
「……っ」
言葉が貴重な幸福をすり減らす砂時計のように、ヒリヒリと零れ出る。
航様は傲慢な人だった。僕の小さな頃は真面目で誠実な人だったのに、どんどん変わってしまった。
理由は分かっている。
航様よりも弓弦様の方が才能もあり、世渡り上手だった。大人になるにつれ、航様の苦悩は理解できた。でも、僕は長年航様の玩具だったのだ――という事実は消えない。
「嫌です!」
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