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神隠しだとか行方不明事件だとかメディアでは取り沙汰されていた。でも、化け物になった航様の物言いに僕は確信する。
航様の身体から突き出た腕。
耳、歯、襤褸切れのような肉片。ゆっくりと近づいてくる航様を見て、僕は悟った。
あれは強くなりたいと願った慣れの果てなのだ。棒立ちになった僕に航様が歯を剥き出しにした。おそらく、笑った……のだと思う。
冗談としか思えない振舞いに、全身が怖気立つ。身が竦む。
「……ここにいます」
不明瞭に響く声の揺らぎ。航様は僕との再会を喜んでいた。
「あはははは。りひと、おれをころしたりひと」
「もう、許して下さい。僕は貴方のことは愛していないし、愛せない。付き従っていたのは弓弦様の為です」
「だめだ、りひとはだめだ」
僕のことも食べるのだろうか――…航様は、化け物は繰り返す。口とは到底思えない部分から声を響かせて、風になる。びゅうびゅうと邪悪な気配が舞い上がる。
「じゃあ、俺ならいいのか」
弓弦様の声がした。玄関の鍵が閉まり、小さな鏡が置かれる。
「弟の俺なら腹いせに苛めてもいいのか。兄貴より優れている俺を怪我させて、俺の好きな男を目の前で穢したら、それで兄貴は幸せなのか?それで何か変わったか?無意味なんだよ、兄貴のしたことは。初めに呪いをかけたのは理人じゃない、兄貴自身だ」
根本的に、航様は、弓弦様には勝てない。
どれだけ手を伸ばそうと歩み寄ろうと、航様が弓弦様のように褒められることはない。笑い声は怒りに変わった。
蛍光灯が点滅を始め、弓弦様の吸っていた煙草だけが赤く光る。鬼灯みたいに赤い火。
弓弦様が吐き出した煙を吸い込んで、航様はただ嫌いだ、嫌いだ、と繰り返した。
かいし
よそものが久我を継ぐのか
どろぼう
うそつき
おれといっしょにいこう
航様はぐるんと体の向きを変え、櫂士さんの方へ向いた。
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