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傷の治りが早いことに気付いたのは転んだからだった。
僕の言葉に力があることが分かったのは幼い日に、飴がもっと欲しいと強請ったから。
毎日朝起きると必ず血を抜かれた。成分を分析するのだという。時々皮膚を引っ掻かれて傷の治りを記録されたり、高いところから突き落とされたりした。僕の治癒能力は驚異的だった。
嫌だと喚いて研究員の人を怪我させてしまったので今度は口輪をされることになったが、今度は念じるだけでも人を突き飛ばすことが出来るようになってしまった。そうすると、僕の立場は逆転しまるで猛獣のように扱われた。丁重に、僕の機嫌を損なわないように。
檻の中の世界は窮屈だったけれど、僕も僕で、逆らわなければ痛いことはされないのだと学んだ。互いに目を光らせ威嚇し合うようにして、僕と大人たちの関係は拮抗していた。直当主の航様が僕を部屋に呼ぶようになってからは「実験」も終わり、僕は久我に生まれた二人の兄弟に可愛がられていた。
「理人は物覚えが早くて賢い子だ」
そう航様が僕を褒め、膝の上に乗せてくれる。おはじきを並べて算数を教えてくれたのは航様だったし、航様は熱心だった。読み書きを教わって初めて書いた字は航様の名前だった気がする。
でも、僕は弓弦様の自由さに憧れた。
本能的に理解していたのかも知れない。航様は久我から逃れられない人で、僕と同じ籠の鳥だということを。弓弦様に背負われて駆け回った庭は広く感じられ、コッソリ抜け出して見た街並みはもっと広大だった。
僕は憧れた。
航様の勤勉さや卑屈さよりも、弓弦様の自由さと懐の広さに。双子の兄弟のうち片方を愛してしまったことが兄弟の仲を引き裂いてしまうとも気付かずに。
子どもの頃、僕がこの世で一番好きな場所は弓弦様の部屋だった。
僕が航様の部屋じゃなくて弓弦様がいい、と言うと航様は心底怖い顔をしていたが、仕方がない。航様は僕のことをあまりにも分かっていなかった。可愛い理人、と名前を呼んでくれるのは嬉しいけれど航様の目はやっぱり久我の人の目だ。
時々、航様は僕の血や精液を啜った。どうしてそんなことをするのだろう。力のあるものの体液で力を受け取る、そういう術もない訳じゃない。でも、航様は僕に固執した。僕が逃げ出した先は航様の双子の弟、弓弦様の場所だ。
妖怪退治を生業とする久我の家の中、唯一妖と関わりを持つ人物。それが弓弦様だった。
「理人、お前は俺のことが好きなんだな」
貴方はいつも冗談でそんなことを言っていたけれど、僕は全身全霊でこの人に恋をしていた。
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