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それは沖縄から東京に戻って五日目か六日目のことだった。
牡丹橋通りから一本奥に入った、陽当たりの悪い裏通りで『英組』の組長となった日沖誠を偶然見掛けたのだ。
ガードフェンスと青いメッシュシートに覆われた建設現場の前に停めた黒のメルセデス・ベンツS六〇〇から降り立った日沖は以前、江東寺の前で見た時と同様、短く刈り込まれた髪型と整えられた無精髭、そして濃紺ストライプのスリーピーススーツ姿で寸分の隙もなかった。
日沖は〈アサガオ〉と呼ばれる落下防止庇の下、ガードフェンスに掲示された法令許可票のパネルを睨みながら加熱式たばこを咥えた。
すぐに中から四十歳前後の髪の長い男が現れた。それは前に林健が拉致された現場で尹が見掛けたと言う英組の小佐野だった。
小佐野は日沖が過熱式たばこを吸い終えるまで大人しく待ってから、中へと誘いざなった。つまりこの建設現場は英組の関係筋と言うことである。
だから俺は求人募集広告に応募したのだ。けれどもそれは決して、龍傑や林健の弔いが目的ではなかった。自分が黒龍會に代わって復讐するなど、あまりに大それていて現実的ではない。
自分に何が出来るかはわからないが、今、日沖に繋がっておくことで、失われた五年間を取り戻すきっかけになればいい――、漠然とその程度に考えていたのだ。
しかし俺が北村ビルダーに雇われて以降、現場で日沖や小佐野を見掛けることはなかった。それどころか下請けも孫請けも皆、健全で真っ当な業者ばかりで、裏にヤクザがいるような気配も感じられなかった。
それでも調査可能な範囲は自分で調べた。目黒の法務局で取得した会社謄本によると元請業者、つまり施工主の『白山土建』は平成七年に設立された文京区白山の土木建築会社だったが、現在の代表取締役社長は小佐野健吾となっていた。
俺の知る小佐野は英組の若頭補佐だった筈だ。恐らく現在は表向き英組から足を洗い、一民間人として会社経営をしているのかもしれないが、四半世紀もの社歴を誇る土建業の会社で、チンピラ崩れに経営トップが務まるとは到底思えなかった。
考えられるのは英組による乗っ取りだ。借金か、それ以外の理由かはともかく、英組が白山土建から経営権を奪い利用しているのだろう。その目的はマネーロンダリングかもしれない。ビル建設に掛かる莫大な費用の何割かを闇に消す。掛かったことにして浮かせるのだ。実際、白山土建の責任者が現場に来ることなどまずなく、作業はすべて立科組に任せきりだった。
また工事費のダンピングの影響か、現場で働く人数や資材、また法令基準を満たしていない安全対策など問題は山積みだった。
各部門の責任者は立科組の現場監督に談判し、現場監督はその都度、元請業者である白山土建に掛け合うと約束するが一向に埒はあかず、むしろ予算の締め付けは厳しくなる一方だった。つまり建築主であるエクセル恒産の発注予算が、そのまま正しく現場で使われている可能性は皆無と言うことだった。
その結果、八月に入って事故が多発した。三階の足場で作業をしていた二十三歳の鳶工は不注意でバランスを崩し、Xの字で交差して組まれた支柱の間から約十メートル下に落下した。幸い右足の骨折だけで命に別状はなかったが、その鳶工はまだ新人で身体と足場を繋げる〈安全帯〉を装着していなかった。
またタワークレーンで吊り上げた鋼材が七階部分の足場に接触し、組み上げた足場が三階下まで一気に崩壊する事故が起きた。
その際、五階で作業していた三十一歳の外壁塗装業者が落ちてきた十数キロの足場板に上半身を挟まれて、全治二ヶ月の重傷を負った。それでも崩壊の規模からみれば死人が出てもおかしくない事故だっただけに、これも不幸中の幸いだった。
そのクレーンオペレーターは二十八歳の女性だった。彼女は盆休み前に工期の遅れを取り戻そうと焦り、連日残業続きで十一日間休みなしで作業していた。それだけでも重大な労働基準法違反である。
更に崩壊した足場の支柱や壁つなぎ(建物と足場を固定する資材)の幾つかが腐食していることも併せて判明した。そうでなければたった一度、鋼材が接触しただけで、あそこまで派手に崩壊する筈がないからだ。
俺が勤務する北村ビルダーは施工主から通達された徹底したコストカットを受けて、この現場に古く劣化した資材を回した。
それだけではなく作業内容と比べて従事する人数も少なかった。それらは日によって異なるが、職人は新人の俺を含めて僅か三人から五人。それだけの人数で十階建てビルの四方を覆う足場を組み上げるのはさすがに無謀だった。
その結果、細かいチェックが疎かになり〈壁つなぎ〉と呼ばれる足場と建物を接続する資材の数は減らされ、安全管理が手薄になったのだ。
これらの責任はすべて現場監督に集中した。四十代後半の金沢と言う名の現場監督は、如何にも長いものに巻かれるタイプで、施工主に言われるがまま、常識外れの無理難題を現場に押し付けていた。そのことが立科組社内でもようやく表面化し、金沢は盆休み前に担当を外された。
それでも型枠工事は休み前に最後の十階屋上部分まで完了した。型枠業者は千葉県松戸市の『塚原工業』と言う会社だった。仕事に対してプライドの高い彼らは昔気質の職人らしく、誰よりも現場監督に噛み付き、事あるごとに怒鳴り合い、少ない予算の中、僅か八人と言う最低限の人員だけで任務を全うした。その姿にはプロフェッショナルと言う称号が相応しかった。
そしてここ最近目立ってきた葛飾区金町の『江本工務店』と言う左官屋は、逆に予算に比べて人数が多かった。現場をまとめる年嵩の棟梁は「まだ仕事に不慣れな連中もいるから勉強のつもりで連れて来ている」と言った。
確かに三十代から四十代の働き盛りの男たちのうち何人かは、一見キャリアが浅いように見えたが皆、黙々と真面目に作業を続けていた。
◇
盆休み明けの月曜日に事態が動き出した。その日の朝礼で新たに着任した仁科組の野呂真輔が挨拶に立った。
しかし職人たちは皆一様に落胆していた。何故なら、この新たな現場監督は見たところ三十代前半でまだ若く、経験不足が否めないからだ。
問題山積みのこの現場で若輩者にできることなどたかが知れている。挨拶の中で野呂が語った方針は、あらためて安全第一の徹底。そして今日以降、竣工まで無事故で終えること。その二点だけだった。
しかし竣工予定は九月末。現状の予算や体制のまま、実質あとひと月半で仕上げるのは雲を掴むような話だった。
冗談じゃない、通常なら年内一杯かかる、最低でも三ヶ月だ――、誰かがそう呟いた。
また野呂はしつこいくらい、暑さによる熱中症や水分不足に注意するよう言い添えた。今日は曇りで最高気温は三十一度の予報だったが、お盆期間中の関東は連日三十五度超えの猛暑日が続き、熊谷や伊勢崎では当たり前のように三十八度を超え、雪国として名高い新潟県長岡市に至っては観測史上初となる四十度越えを記録した。この異常な暑さはそのまま疲労に繋がり、体調不良や事故を引き起こす原因となる。
「ですから無理はせず少しでも体調が悪いと感じたらすぐに班長なり、私なりに言って来てください。お願いします」
野呂真輔はどことなく無骨で愛想もなく、やや言葉足らずな面はあったが、不思議と芯の強さは感じられた。
隣で話を聞いていた型枠大工の棟梁が、今日の午後三時にこの現場に主要なお偉いさんが集まって重要な会議を開く予定だと教えてくれた。
それは恐らく新現場監督である仁科組の野呂真輔、施工主の白山土建、建築主であるエクセル恒産の社長らによる今後の方針を議論する場を意味しているのだろうが、もしかしたら日沖が現れる可能性も考えられた。
何しろ白山土建社長の小佐野はただの傀儡に過ぎず、事実上のオーナーである日沖がこの会談を人任せにするとは思えないからだ。
建設現場一階には組み立て式のプレハブが設置され、現場監督や施工主、一部下請業者が利用する現場事務所になっていた。
またそのプレハブの隣には仮設トイレが三つ並び、職人たち専用のドリンク自販機や喫煙所もあった。
敷地の四方は資材の仮置き場にもなっており、目の付く場所至る所に〈安全第一〉の標識が貼られていた。俺は足場資材の回りを掃除するふりをしながら、彼らの到着を待った。
午後三時少し前に、建築主であるエクセル恒産の加藤清社長が現れた。加藤はこれまでにも何度か差し入れを持って現場を訪れていた。そしてその都度、興味深そうに建築中の内部を観察した。ここが自分のビルだ。夢にまで見た自社ビルなのだ――。きっとそんなことを思っていたのだろう。
次に施工主である白山土建の小佐野社長が現れた。小佐野は珍しく、同じ白山土建の役員を二名帯同させていた。その二名共に二十代の若さで、如何にも柄が悪く、とてもじゃないが建設会社の経営陣には見えなかった。彼らはプレハブには入らず、出入口となるアコーディオンゲートの前で次のゲストの到着を待った。
そして約束の時間から遅れることおよそ三十分――、例のメルセデスが目の前に停まり、ついにそのゲスト、日沖誠が登場した。日沖はこの暑い中、さすがにスリーピースこそ着ていないが、それでも濃紺の夏用スーツにノータイで、白の開襟シャツの襟をスーツの襟に重ねて着こなしており、その伊達者ぶりも相変わらずだった。
日沖は待っていた男たちに片手を上げ、鷹揚な仕草で頷きながら敷地内に入って来た。その日沖も背後に二人の男を従えていた。一人は前にも見かけた三十代半ばの運転手だ。灰色の背広姿で姿勢が良く、堂々とした体格は一見、武道か格闘技を嗜んでいるように見える。恐らくボディガードも兼任しているのだろう。
そしてもう一人についてはもはや素性を隠し立てする気もないのか、かつての趙佳一を思わせる入道のような大男だった。趣味の悪い黒紫色のシャツの胸元から和彫りが覗いており、どこからどう見ても現職のヤクザにしか見えない。
つまり日沖も小佐野も敢えて連れて来たのだ。この会合は日沖の思い通りに進める必要がある。余計な金は一切認めない。今ある予算の中で最後まで仕上げろ。その無言のメッセージを伝える為に手段を択ばずに現役の組員を動員したのだ。
もっとも日沖自身、この会合にどの立場で参加するのか理解に苦しむ。白山土建は英組のフロント企業だとでも告白する気だろうか。
一方、迎え撃つのは仁科組の現場監督・野呂真輔ただ一人だった。当然、会社はこの会談を心得ている筈だが誰一人、応援も助け舟も寄越さないらしい。
僅か五坪しかないプレハブの中は狭く、棚やデスク、コピー機などが所狭しに置かれ、来客が座れるスペースなどない。野呂は作業用のデスクを片付けて主賓三人が座れる場所をどうにか設けたが、想定外だった他の三人については立ったままの参加を納得させたようだ。
喫煙所に置かれた真っ赤で四角い灰皿の回りに、朝の型枠大工の棟梁がいた。気が短く喧嘩っ早いが、実直で仕事の腕は一流だと評判の塚原と言う名の五十年配の棟梁は、ショートホープを吸いながら、プレハブ内の様子を眺めていた。
「噂にゃ聞いてたけどよ、やっぱり元請けはヤクザのフロントだったんだな。あんな筋モン丸出しで現場に来やがって、ったくロクなもんじゃねえ」
ホワイトボードの前に立つ野呂は明らかに気圧されていた。加藤社長以外の六人は、ヤクザであることを隠そうともしていない。ここから見る限り、怒鳴ったり脅したりはしていないようだが、無言の圧力は十分に野呂に伝わっているようだった。その姿は全員で野呂一人を恫喝しているようにも見えた。
「俺はあの野呂って兄ちゃん、案外見込みはあると思うけどよ、あれじゃ多勢に無勢だな。……しかもあの兄ちゃん、仁科組の会議で、自分の提案を呑めなきゃ監督官庁に話を持っていくと啖呵を切っちまったらしいぞ。だからこの現場が終わって会社に戻っても出世の道は絶たれちまったってことだな。可哀そうに」
野呂は図面を広げ、ホワイトボードを指差しながら話し始めた。塚原の情報によれば野呂が推し進める方針は安全管理の徹底とそれに伴う工期の見直し、加えて建設費の増額だった。その為、施工主の白山土建と建築主であるエクセル恒産、双方の同意が必要なのだ。しかしここから見る限り、暖簾に腕押しで誰一人まともに聞いているようには見えなかった。
その内、日沖の指示か、後ろに立っていた男の一人が窓のブラインドを下げた。これで中の様子はわからなくなった。密室交渉――。あとは野呂がどれだけ頑張れるかだ。
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