2話 『初恋の人』

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 ピンポーン。  インターフォンが鳴る。朝だ。私は今日も学校にいけなくて。それなのに律儀に学校に間に合う時間に起きてしまって、朝御飯をこれでもかと言う程ゆっくり時間をかけて食べていた。こんな朝に、誰だろう?朝陽かな。まさか、と思いつつ、モニターを見れば、そこには見慣れた幼馴染みが二人、立っていた。 「よぉ。久し振りに、ゲームしようぜ」 「咲桜、ちょっと痩せたか?ダメだぞ、しっかり食べないと。ケーキを焼いてきたから、食べよう」  一緒に学校へ行こう、と。  諭されるのかと思えば、違った。勇志は不器用な笑い方をして、渚はケーキ屋さんでホールケーキでも買ってきたのかと思うような箱を目の高さに掲げて微笑んだ。二人とも私服だった。 「え、二人とも…学校は……?」  今度はあまりにも驚き過ぎて、脳みそを経由せずに疑問が口からそのまま零れ落ちた。 「今日は自主休講だ」  いけしゃあしゃあと言い放ち、「お邪魔します」と声を揃えて玄関を上がる。  ああ、心配をかけている。ーーーそんなプレッシャーと、やっぱり、嬉しいと思う気持ちもあって、感情がごちゃごちゃになったまま、それ以上何も紡げず、二人の後を追うようにリビングの方へ進んだ。 ******* 「おれ達、付き合おうか」  勇志が、突拍子もなく、そんなことを言う。  うちに渚とゲームをしに来た日だっただろうか…?記憶はあまり定かではない。渚は傍に居ただろうか。席を外していたのだろうか。  驚いてその顔を見た。勇志は、ぶっきらぼうな顔をして余所を向いていた。 「抑止力にも、なるんじゃねぇの?」首の後ろをぽりぽりと搔きながら、尚も目を合わせずに続けた。「あれだろ、渚のファンクラブみたいな奴らに、なんか言われてるんだろ?」  私は、無意識に唇を弧の字に曲げた。「違うよ」まるで自分の物じゃないような、無機質な声だなと思った。 「私が……なんだか、勝手に息苦しくなっちゃって」    自分の分にと用意した麦茶の入ったコップの縁を人差し指でなぞる。 「だから、気にしないで。無理に演技して貰う必要なんて無いよ。付き合うふりなんて、しなくていい」そう言って今度こそしっかりと笑ってみれば、勇志は何故か複雑そうな顔をした。   ****** 「オレ、実は、………スカートとか、履きたいと思ってるん…だ」  渚の告白は、珍しく語尾が萎んで小さくなっていった。  いいんじゃない?素敵!ーーー想像した渚は、プリーツ丈のロングスカートだって、ちょっと大人っぽいワンピースだってよく似合っていた。けれど、気軽にそんな風に言ってしまっていいものなのかと、少しだけ考えてしまった。 「きもち、わるいよな…」 「違うよ!素敵だなと、本当にそう思ってた!」  誤解を与えるには充分過ぎる間で、渚を自虐的に嗤わせてしまったことを悔いた。私の必死な訴えに、渚はいつもの目の色をして、ふっと美しく微笑み、堰を切ったように告白を続けた。 「本当は美容とかコスメとか、そんなものに興味がある。髪だって、伸ばしたい。本当は、『オレ』なんて一人称、嫌だ。口にする度、自分を殺しているような感覚になる」  本当に息苦しそうに、渚が言う。それを見てこちらまで息苦しくなってしまいそうで、ともすれば、この部屋だけ神様に、真空パックか何かに入れられてしまったようだった。……いや、ダメだ。私まで息苦しくなってしまったら、誰が渚を助けるの?私は想像した真空パックに、何か尖ったもので穴を開けた。 「私は、『渚』が好きだよ。ありのままでいることで、渚が渚らしく息ができるのなら、そうして欲しい。……皆の前で、は難しいかもしれないけど。せめて、私の前でなら。いくらでも。ありのままの渚でいて」    渚は面食らったようにこちらを見て、それからやっぱり、ふっと破顔した。 「も、咲桜に同じ言葉を言いに来たんだ。咲桜が、息をしにくい場所で無理に息をする必要はないし、取り巻かれている環境と同じ色に染まる必要も無い。偽る必要もない。咲桜には、咲桜らしく息をしていて欲しいし、咲桜が息をしやすい場所で生きていて欲しい。世界は、広いから。学校が全てではない。この家の中が全てでもない。周りの『当たり前』に合わせる必要はない。それから抜け出してしまったからと言って、違いに怯える必要なんて、無いんだ。皆違って、当たり前なのだから」 「………」  それはきっと、渚自身が誰よりも欲しいと思っている言葉も含まれていた。それから、私達は、同じことを思っているのにそれが難しいことだって言うことも理解し合っている事に笑った。 「難しく考えてしまう。でもきっと、そんなに難しいことでもないのかもしれない。私は、取り敢えず、背筋を伸ばして生きてみるよ」 「………やっぱ、渚はカッコいいね」 「だろう?」  にたりと笑うその顔は、悪戯笑いをする男の顔と言うよりは、やっぱり、麗しい女性のそれだった。「渚がスカートを履いていたって、いいと思う。ファッションに見えるし。時代が後からついてくるよ」思っていることをそのまま言ってしまって、「ありがとう」と渚は眩く笑った。 ****** 「おれ、同じ高校を受けることにしたから」  いや、これは違う。記憶が混乱しているようだ。私が、二人の志望する高校を目指すことにしたんだ。  学校をギリギリの出席日数で行ったり行かなかったりしている内に受験生になった。特に行きたい高校も無かったけれど、地頭がそこまで悪くは無かったらしい私は、『渚と勇志も目指しているから』と言う動機で、県内でも名の知れた進学校に進路を決める。勿論、猛勉強はした。目指すことさえ頓挫するレベルでは無かったと言うだけで、二人の学力には遠く及ばない。滑り止めは家の近くの私立を選んだ。これは二人とは違ったが、二人はまず間違えなく第一志望に合格するだろうと思うので、私立まで足並み揃えるのは無意味なことだと思った。  中三では先生の計らいもあってか、渚と勇志と同じクラスになって学校には毎日通った。塾にも行かせて貰った。空が真っ暗になった時分に、順番に迎えの車が来る中、「歩いて帰る」と言う私に、渚か勇志のお母さんがいつも、声をかけて一緒に乗せてくれた。それがいつも、有り難くてでも申し訳ないんだと、ぽろっと朝陽に打ち明けてしまってから、朝陽が迎えに来てくれた。「丁度バイト終わりで帰るから」それは確かに事実だったようだけど、それでも勿論申し訳無かったけれど、その姿を見付けると飛び付くようにして一緒に帰った。  その頃、渚の一人称は既に「私」になっていて、始め、みんなは直接指摘こそしないものの、驚いているようだった。男が畏まった場でもないのに「私」と言うことに、抵抗のある女子も居たし、私が知らないだけで、からかう男子も居たのかもしれない。でも、渚は貫いた。やっぱ美しいなって、ますます惚れてしまいそうだった。  勇志は学年二位の頭を持つことを得意気にすることもなく、誰よりも勉強していた。「ガリ勉」だと笑う者が居ても、相手にしなかった。「お前は人の事笑ってる暇あるの?」なんて一言には、ハラハラしつつも痺れてしまった。  私の幼馴染み二人は、本当にカッコいい。素敵で、眩しい。キラキラと光るその背中に追い付きたくて、私は、取り敢えず目の前の勉強を頑張ることにした。いつか、肩を並べて歩くことを、恥じない自分でありたいと思った。  晴れて高校生となり、同じブレザーに腕を通せた時は嬉しかった。制服を着た自分を姿見で見る度に思い出すのは、朝陽の顔。合格発表の日、朝陽が一緒に来てくれて、私よりも彼が、私の合格を喜んで泣いた。  どんな思い出にも、朝陽と渚と勇志の姿がある。キラキラと色付いている。  朝陽は一等、特別だった。  物心付いた時からずっと。朝陽は、私の胸の中の一番大事なところに居る。  四人で行ったお花見も、お弁当には朝陽の好きなものを詰めた。二人とも春生まれなので、四人でお祝いをする前に、二人だけでケーキを食べに行ったのは最高の思い出になった。四人で行った夏祭りも、見た花火も、どうにか、朝陽と二人きりになれないかとそわそわと落ち着かなかった。紅葉狩りが好きだと言う私に、三人は日帰りの旅行を秘密裏に計画してくれて、四人で電車に乗って紅葉を見に行ったりもした。冬は恋人達が忙しいイベントが目白押しだったけれど、どんな日も四人集まってお祝いした。皆恋人がいないことに、笑い合ったけど、内心はホッとしていた。 ーーーーー…今。  高校生になり、朝陽は大学生になった。  あれ?そうだ。私が高校生になった時、朝陽はもう傍に居なかった。じゃあ、お花見の記憶は、中学二年の時だったのか。そう言われてみれば、そうかも知れない。  朝陽は、県外の遠い大学を受けた。一人暮らしを始めた為、滅多に会えなくなって、私は暫く一人で泣いていた。彼の合格を、彼が私にしてくれたように喜べなくて、罪悪感に駆られながらも、気持ちに嘘はつけなかった。  離れる前に、告白をしようと思っていたのに。遂に、勇気が持てないまま。  それでも夏休み、帰省すると聞いて文字通り跳び跳ねて喜んだ。  会えるんだ。今度こそ、ちゃんと、気持ちを伝えたい。 ーーーーーーーー………。  
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