6話『まだ届かない人』

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 祭りの日。  律は本当に、女物の浴衣に袖を通した。  椿の花が綺麗だと思って、つい買ってしまったものだった。  買った髪飾りを着ける。薄く化粧もした。姿見の前で笑ってみる。我ながらよく似合うな、と頷いた。悩んだ末、口紅はつけなかった。玄関で下駄を履き、玄関を開ける。まだ明るい空に、目を細めた。  直ぐ隣の家。通い慣れた距離。見慣れた家の、インターフォンを押す。程無くして、見慣れた顔の幼馴染みが顔を出す。見慣れない、浴衣姿だ。ドキリ、と胸が鳴る。よく、似合っている。 「よく似合ってるじゃねぇか」  渚が口にするより早く、勇志は渚を見て、にっと笑った。 「……お前も」  照れて赤くなった顔を見られるのが嫌で、つい、伏せてしまう。 『告白とか、しないの?』ーーー幼馴染が変なことを言ったせいだ。変に、意識してしまう。  カランコロンと下駄を鳴らしながら隣を歩く。いつもの、触れそうで触れない距離。まさか、手を繋いで歩く、なんて事はない。 「中三ぶりだな」 「ああ」 「それだけで、なんかすげぇ久し振りって感じするな」 「そうだな」  他愛ない会話にもぎこちなく返してしまう自分を自覚して、勝手に気まずくなる。  そんな渚の横顔を、勇志が覗き込んだ。 「何かいつもと違くね?」 「何が?」 「なんか、しおらしい」 「浴衣のせいじゃないか?」  ははっ、と笑う勇志の顔を上目遣いで確認する。暮れなずんだ空に映える。別に、イケメンと言うわけでもないのに、どうしてこうも、この顔に胸が鳴るのだろうか、と渚は内心で首を傾げる。その答えなんて、もうすっかり、わかっているくせに。  祭りの会場までは徒歩で三十分程かかる。かつて、共に通った小学校周辺がメインで、少し離れた海岸から花火が上がる。それを、去年は例外で、毎年必ず、幼馴染み四人で神社から眺めていた。  道すがらでは疎らだった人が、祭りでは嘘のようにごった返していた。ごった返す、と表現すると少しオーバーかもしれない。実際は、道路を封鎖してやっているので、歩く分には支障がなく。賑やかで栄えていた、と言う方が正しく言い表しているかもしれない。どちらかと言えば田舎寄りのこの地域では、普段の様子からは嘘のように沢山の人が居た。  混む前にと、早速、焼きそばを食べた。  おみくじや金魚すくい、型抜きの出店は、懐かしいなと思い出話に花を咲かせながら通り過ぎる。 「イカ焼きは良いのか?」 「向こうの店の方が安いかもしんねぇし」 「何処も一緒だろ」  お互いの好きなものは勿論把握している。  勇志は祭りでは必ずイカ焼きの店を探したし、渚はリンゴ飴と綿菓子がマストだった。一通りの店を見て回り、それぞれ、好きなものを両手一杯に買う。  さて、ではゆっくり何処かで座って食べようか、と言う時はいつも、石段を上り、神社に向かう。  祭り特有の、活気に満ちた音や光が遠ざかり、静けさが広がる。花火が上がる頃にはそれなりに人がいるが、祭りが始まった今ぐらいの時間帯に、祭りを離れてこの神社に上る人間は少ない。  普段は明かりの灯らない階段の両端の灯籠が、薄明かりを灯しているのが幻想的だった。  境内には、座るのに丁度良い岩が置いてある場所がある。本来の目的や用途はわからない。しめ縄が巻いてないことを良いことに、昔からベンチ代わりに腰かけている。その、昔から変わらず佇む岩の上に、いつものように並んで腰掛けた。いつもと違うのは、やっぱり、今日が二人きりと言うことだった。 「一口食う?」  イカ焼きを差し出され、渚が少し迷っていると、成程両手が塞がっているなと見当違いに思った勇志は、そのままそれを口元に運んだ。 「ほれ」 「……お、う…」  小さく開いた口に、勇志が笑う。 「口、ちっさ!」 「……浴衣だからな」 「関係あるのか?」 「奥ゆかしくて、大和撫子の様だろ?」 「男だけど?」 「男だけど」  ぐさり、と突き刺さる言葉の筈なのに、勇志が愉快そうに笑うから、渚もつられて笑ってしまった。 「ほんと、似合ってるな。女じゃん」  突然、勇志は笑っていたその表情を真剣なものに変えて、まじまじと渚を見詰める。「っ、」渚の紅潮した頬に、しかし暗くなり始めた視界のせいで、勇志は相変わらず気が付かない。   「そ、そう言えば、あいつ、本当に部活辞める気でいるのだろうか……」  話題を変えるのと同時に、目を背けてしまう。不自然だっただろうか、どうか。でもどうせ、この気持ちに気が付くことはないんだろうな……。渚は少し寂しく、笑った。  勿論、そんな[[rb:表情>かお]]には誰も気が付かない。 「結局まだ、夏休みの部活、一回も来てないもんな」 「退部届けはまだ出してないんだろう?」 「ああ。まぁ、退部したら何らかの部活にまた入らないといけないからなぁ」 「ああ、確かに」  文武両道を謳っている渚達の通う進学校は、必ず部活に入らなければならないと言う決まりがあった。だから、写真部は幽霊部員が多いのだとか。いつぞやに、此処にいない幼馴染みが嘆いたことを思い出す。 「あの日、結局、どんな話をしたって?」 『あの日』とは、渚が件の問題児である後輩、[[rb:一之瀬朔也>いちのせさくや]]と会った日のことを指す。 「付き合ってるってのはやはり嘘だったことと、咲桜と出会ったのは中学生の時だってこと。それ以外は、結局何も」  勇志はどんな話をしたんだ?と渚が問うと、彼は苦い顔をした。彼もまた、後日、この後輩の家を訪ねて、二人だけで会話をしていた。 「……あいつは、簡単に心開かないから困る」 「まぁ。誰だって、簡単には心開かないだろう」  更に眉を寄せ、眉間にぐっと深いシワを作る。「あいつは、ガキ過ぎて困る」言い直した言葉に、渚はふふっと笑って頷いた。「それには同感だな」  会話が途切れて、普段はどうやって会話をしていたんだっけ、と渚はすっかり暗くなった境内に視線を彷徨わせる。  点々と点いている灯籠の明かりのお陰で、そこまで真っ暗闇と言うわけではない。いつの間にか、空には無数の星が光る。 「……咲桜は、今頃。頑張っているのかな」 「……さてねぇ」  また。気が付けば彼女達の話題をしてしまう。自分自身に失笑しながら、それでも、その話題で会話を繋ぐ。 「……勇志は、止めなくて良かったのか」 「止めるって? 何を?」 「咲桜を」 「なんで」  今日を指定し、「話してくる」と言った咲桜の顔を思い浮かべる。彼女がどんな決意をしたのかまでは、二人にはわからなかった。 「咲桜に告白するのが、また遠退くかもしれないだろう?」 「……しねぇよ」 「え?」 「告白。しねぇよ」 「なんで?」  目を丸くする渚にちらりと一瞥を寄越し、また視線を空に移して口を開く。「ずっと、傍にいたいと思う。支えになりたいと思ってる。けど、きっと、それはおれの役目ではないんだろうなぁ……、って」なんで、と渚は更に先程と同じ言葉を重ねた。 「………告白する前に、振られたんだわ……」 「え、」  罰が悪そうにガシガシと後ろ頭を掻く勇志から、渚は視線を外すことができなかった。視界の端で、徐々に人が石段を上ってきているのが映る。 「『ずっと変わらず、大切な幼馴染のままでいて欲しい』って」 「……なんで、」  いつ、そんな話をしたのだろうか。なんで、その事を咲桜は話してくれなかったのだろうか。それとも、あの日の、あの会話のせいで、勇志は振られてしまったのだろうか……。ぐるぐると、様々なことが渚の頭の中で渦巻いた。ひょっとして、あの時?咲桜が、事故の日のことを勇志に問うた日だろうか……。ーーーいつであろうと、その彼女の行動に、自分も、責任の一端を担っているのだろう。  渚が思い至ったことを否定して、勇志は首を振る。 「あのさ、自分の好きな奴が、別の奴のことを好きになって、そいつと付き合い始めたとして。渚は諦められると思うか?」  何を今更、と渚は心の中で嗤う。まぁ、渚の好きな人は、ずっと他の人を好きだったけれど、付き合ったことは無かったが。 「……お前は、諦められるのか? ずっと、好きだったのに?」 「……。記憶が戻った咲桜はさ、あの頃のまま。きっと、朝陽のことが好きだろう。だけど、あの頃と違うのは、朝陽以外にも好きな奴が居て、付き合っていた記憶があるってことで。例えば、これから、咲桜がどんな結末を選ぼうと、おれが介入する余地はないってことで」 「……なんで、早合点するんだ? なんで、そうなる? 勇志は、咲桜と一之瀬が、よりを戻すと思っているのか?」  咲桜の選択に、意を唱えるつもりはない。その、決意を応援すると言ったあの時の気持ちも、何処にも一握り程の嘘もない。  けれど、何故?ーーー泣きそうに潤んでしまうその、涙に、どんな意味があるのか、渚自身にもわからない。  ずっと、さっさと振られたら良いと思っていたのに。いざ、その想い人が辛い心情なのだとわかると、どうしようもなく胸が痛い。自分には、抱き締めるような権利もないのだと思い知る。  咲桜に振られたところで、それで、彼が自分に恋愛感情を抱いてくれるかも、ーーー……なんて。  どうして思うことが出来ただろうか。自分は、男なのに。 「…………咲桜を、諦めないで……」  気が付けば、溢してしまっていた本音。  涙がつぅと、その頬を伝う。 (………ああ。私は、なんて醜い人間なんだ……)  自分の本当の心の内を知って、やっぱり、自虐的に嗤う。ほら、私の方がずっと、弱い。気高い、あの、か弱くて強い、幼馴染の事を想う。ほら、全然。彼女と私は、似ても似つかない。  目の前の彼に、ずっと、叶わない恋をしていて欲しかった。実らない片想いを燻らせて欲しかった。だって、望みのない想いだ。実らない。彼は、脇目を振らない。別の女の事なんて、考えない。そうすれば、彼は誰のものにもならない。ーーー…なんて。  彼の永遠の不幸を、望むようなもの。 「ど、どうしたんだよ、急にっ……!」  渚の涙など、もうずっと昔から見ていなかった勇志は、慌てて拭うものを探した。巾着には財布とスマホしか入っていない。探さなくても知っていた。浴衣の袖を引っ張って、それで拭う。 「………みんな、私を置いて、変わっていかないで……そんな、幼稚なことを、いつも、思ってしまう………」  伝う涙は止まらない。  なんで私だけ。あの頃のままなんだろうか。皆、進もうとしていた。なんで、私だけ、本当は、こんなにも弱くて臆病なんだろうか……。 「変わることだけがいいことでも無いだろ。変わらないものも、ちゃんとあるし、等しく、大事だろ」 「なんだよ、それは」 「おれとお前が、幼馴染ってこととか…」 「それは、一番変わって欲しいことだ、馬鹿」 「え?」  露骨に傷付いた顔をした彼に、渚はもやもやとした。 (ああ、もう、くそ鈍感……)  いっそ、伝えてしまおうかーーーなんて、その場の感情に任せ過ぎだろうか。もう何年も、燻らせているこの感情を。もっと、ちゃんと大切にしたいような。もう、どうにでもなれという気持ちが共存する。 「……咲桜が、誰と付き合ってても、いい。私は。咲桜が幸せなら、それでいいんだ。その相手が、朝陽じゃなくても。でも、」  急に何を言い出したんだ、と言う顔をして、しかし勇志は黙って続く言葉を待った。 「でも、お前はダメだ。どこぞの馬の骨かもわからんような奴に、お前の隣に立っていて欲しくない」 「馬の骨って……」 「お前の幸せなんて、願ってない」 「おい」  じっと、潤んだままの瞳を勇志に向けた。唇が震える。詰るつもりでいた勇志は、何事だ、と若干怯んだ。続く言葉が想像できない。そんなに嫌われていたのだろうか、なんて、相変わらず見当外れなことを思う。 「お前の隣に立っているのは、私がいい」 「え」 「私じゃなきゃ、嫌だ」  潤んだ瞳が、真っ直ぐに勇志を見詰める。  流石に、それでわからないのであれば、鈍感以外の何者でも無い。 「そ」  驚いて目を丸めた勇志が、何か言葉を紡ごうとしたタイミングで、空が急に明るくなった。遅れて、ドォンと轟くような音。 「あ、花火」  花火大会が始まったらしかった。  渚は視線を上に空を仰ぎ見て、次々と打ち上げられる花火を見ている。もう、勇志との話は終わりだと言わんばかりに。  勇志は、空に移した視線をまた、隣に座る幼馴染みに向けた。その白い肌が、オレンジに、赤に、花火の光を反射するように光る。ーーーーー……綺麗だな。 「綺麗だな」  パッと視線をこちらに向けた渚の微笑みに、心臓が跳ねた。「あ、ああ、綺麗だ……」どぎまぎと返せば、渚は怪訝そうに首を傾げ、何も言わずにまた、空に視線を移す。 (………なに、ドキドキしてるんだ、おれは……)  人知れず、自分の心臓辺りを鷲掴む。  疑問符ばかりの勇志は、残念ながら鈍感以外の何者でもなかった。  それでも、何かが変わろうとする気配があった。  まだ、その感情をどう言い表したらいいのか、勇志は知らなかった。  
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