1話 『恋人』

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 目的のカフェは、ローカルな新聞紙で紹介された事も手伝ってか、結構な人数が並んで待っていた。当然のように最終尾に並ぼうとする朔也の手を引く。 「……やっぱ、駅の喫茶店にしない?」 「何でです?俺、並ぶの好きですよ」 「………」 「ここのパフェ、食べたいんでしょ?」 「………ありがと……」  実は彼は、私よりもずっと大人なんじゃないかと思う時がある。  私と話している時は朗らかな笑顔を向けてくれるが、たまたま廊下の窓から彼を見付けた時なんかは、何処か此処じゃない別の場所を眺めているような……全てを俯瞰で観察しているような、そんな横顔をしていた。  こんな素敵な人が、なんで私と付き合ってるんだっけ。……時々、考える。えーと、そう言えば、出会いはなんだったっけ?どうやって、付き合い始めたっけ……? 「そう言えば、先輩は選択の授業、何受けました?」  記憶を辿ろうとしても上手く行かないでいる間にも、朔也は何でもない会話をして間を繋いでくれる。私も、こんがらがっていく記憶には蓋をして、その他愛ない会話に参加することにした。  そろそろ並び始めて一時間くらい経つんじゃないか?と言う時、やっと中に案内された。 「大変お待たせ致しました。ご案内致します」と丁寧にお辞儀するエプロン姿の女性は、恐らくアルバイト店員だろうに、その揃えた指先にまで教育が行き届いているようで、好感度しか上がらない。  案内されながら、店の中を観察した。つい、息が溢れそうになる。待った甲斐のある、ドストライクの店内だ。  レンガ調のタイルがアクセントにバランスよく貼られた白い壁。高い天井の手前に、大きなプロペラが回っていた(「シーリングファン」というらしい)。店内はそんなに広くないけれど、開放的な大きな窓に、白っぽい木の床が窮屈さを感じさせない。  規則性を無視して、様々な大きさの机や椅子、ソファーなんかが配置されていた。パーテーションは、向こう側が見える飾り棚だったり、背の低い本棚だったり、植物だったり。バラバラなのに、計算されているような。開放的だけど、周囲の目を気にせずに寛げる空間というのを意識したんじゃないかなぁと思わせる。  私達は、窓側の席に案内された。アンティークを思わせるような椅子の席だった。私達が座るのを笑顔で見届けて、「お冷やをお持ち致します」と店員さんが去る。改めて深呼吸をし、全身でコーヒーの香りを浴びた。 「先輩、めっちゃ好きそうな店内ですね」 「すきっ!」 「それは良かった。並んだ甲斐がありましたね」    まるで自分のことのように笑顔を向けてくれる私の彼氏。やっぱり、大好きだなって思う。照れて、「ありがとう」は顔を見ないで言ってしまった。取り繕うようにメニュー表を手にとって、最初のページを開き、彼の前に差し出す。 「何にする?私はもう決まってるから」 「え?先輩、悩まなくていいんですか?いつも一時間は悩んでるのに!」 「それ、誇張し過ぎ!」  顔を見合わせて笑う。  ああ、さっき顔を見てお礼が言えなかったこと、私が気にしてると思ってそうしてくれたんだな。好き。  何語ともわからない店内のBGMが、店の雰囲気に合っていて、更に心を満たした。  ペラペラとメニュー表を捲る朔也を眺めながら、今日何度目かも分からない、幸せを噛み締める。別に、永遠に続けばいいなぁ、なんて思わない。だって、この日常がいつか終わるかもしれない、なんて、思ったことも無かったから。  朔也と過ごす時間は、いつも緩やかで、でも一分一秒にも価値があって、カラフルに彩っていて、幸せで、あっという間だ。  メニュー表を最後のページまで見終わった朔也は、少しも悩んだ素振りを見せずに「決めました」とパフェのページを開き直した。その時に初めてまじまじと見てしまったそのページには、魅力的なパフェの写真が沢山あって、やっぱり、心移りしそうになってしまう。 「あ、今、悩んだでしょ?」 「な、なんでわかったの?!」 「先輩のことですから」  事も無げに言うと、イチゴが惜しみ無く使われたパフェとチョコレートのパフェを指差して、「これとこれで、悩んでますね」とまるで占い師のように断言した。悔しいけど、正解だ。 「でも、私っ、二言はないので!一途ですからっ!」 「ええ?いつも、散々悩んで、注文の時にまた悩み始めたりするのに?今日はもう、いいんですか?」 「二言はっ!ないっ!」  断言する私に、笑いながらもからかったことを詫びて、ボタンを押し、店員さんを呼ぶ。「はーい、只今!」と言葉通りにやってきた店員さんに、「イチゴスペシャルとティラミスチョコレートパフェ。それから、ホットコーヒーとココアを」なんてスラスラと注文する。私が呆気に取られていると、「イチゴのですよね?違った?」と笑いかけられ、ハッと我に返る。店員さんも私の方を見ていた。 「え、あ、その通りです……」  注文を繰り返した後、会釈して立ち去った店員さんを見送ってから、「なんでわかったの?!」と声を潜めて身を乗り出した。 「先輩のことですから」  先程聞いた台詞だ。……くっそう、カッコいい…。どうせ、ティラミスチョコレートパフェだって私がそっちも食べれるよう注文してくれた。……くっそう、好き。 「私、こうやってどんどん、朔也無しでは生きられない人間になっていくんだろうなぁ…」 「ッんん?!」  ぽろりと溢れた呟きに、朔也は飲んでいたお冷やを危うく吹き出すところだったらしい。音を立ててお冷やを置くと、ゴッホゴホと咳き込んでいる。 「だ、だいじょうぶっ?!」 「きゅうになに、言い出してるんですか……」 「いや、だって」 『この恋は、毒みたいなものだから』  不意に、断片的な記憶が脳内を再生し、固まった。  続く言葉を紡がないでいる私に、「先輩?」と朔也も首を傾げる。それにも、私は反応が出来ないでいた。……なんなんだろう、今日の私は。どこか、おかしい…。  その言葉を紡いだのは、確かに私だった。  でも、誰に?何処で?いつ?……『この恋』って?  ぐるぐると目が回る。背中に冷たい汗が流れる。まるで車酔いでもしたように、吐き気までしてきた。  何か、忘れているような。でも、思い出してはいけないような…。謎の恐怖に包まれる。鼓動が速まり、心臓まで痛くなり、無意識に胸の中心を掴んだ。 「せんぱいっ!せんぱいっ!」  焦るような声で肩を揺さぶられ、やっと現実に焦点が合う。見れば、朔也は椅子から立ち上がり前傾姿勢で私の両肩を掴んでいた。「え…、ああ…」と意味の無い言葉が小さく溢れたが、朔也はホッとした顔を見せて、ゆっくりと席に座る。周りの席から少なからず注目を浴びていたようだったが、やがてその目線もそれぞれの方向へと帰った。 「ごめん」 「……大丈夫ですか……?気分悪いですか…?」  ハの字に下がった眉毛を見て、益々、申し訳なく思う。「もう大丈夫だよ」となるべく安心させるように笑えば、見計らったようなタイミングでパフェと飲み物が運ばれた。……実際、一部始終を見守っていたんだろう。やっぱりちょっと恥ずかしい…。  それでも、いざパフェを食べ始めるとそんなことも忘れてしまう。パフェで甘ったるくなったら、コーヒーの苦みを楽しむ。ああ、幸せなコラボレーション。すっかり、気分も先程までの高揚したものに戻っていた。 「はい、一口どうぞ」  私の様子が偽りではないとわかったようで、朔也もすっかりいつもの表情に戻っていた。パフェを一掬いしたスプーンを渡されて、「……渚はあーんしてくれたな」とつい、思い出したことを口に出してしまう。 「は?え?東条(とうじょう)先輩と、そんなことしてるんですか?」 「あ、や、えっと、……」 「はっあぁぁぁーっ」  これでもか、と盛大な溜息をついて、差し出したスプーンの向きを変え、柄からそのパフェの乗った方を私に向ける。 「はい、あーん」 「……失礼します」  ちょっと申し訳無くなって恐縮してしまったけど、お咎め無しだった。素直に「あーん」をして、一口食べた。一瞬にして広がるティラミスの味につい、微笑んでしまう。 「はい、あーん」 「え?今、貰っ」 「あーん」  有無を言わせない笑顔で更にスプーンを差し出される。あ、これ、完全に怒ってるやつ…。「あ、あーん…」また一口食べると、「はい、次。あーん」と再びスプーンを向けられる。……やっぱり、怒ってる。  まるでわんこ蕎麦でも食べているようなそのやり取りを十数回程して、やっと許してくれた。「幼馴染みで仲がいいの知ってますけど。あの人も男なんですよ」と不貞腐れた顔で背もたれにもたれ掛かる。 「渚を男として見たことがないからなぁ…」 「貴女はそうでも、向こうは違うかもしれない」 「それは多分、無いかなぁ…。それに、」  私の好きな人は朔也だよ、と続くはずの台詞が、『ピロリン』と言う音に掻き消される。甦る昼休みの記憶に、一瞬にしてまた、あの恐怖感が体を強張らせた。 「LINEですか?いいですよ。………どうしました?」  確認してもいいですよ、と声をかけてくれた朔也も、私の異変に気が付く。やっぱり、体調が悪いんですか?と、不安げに歪んでいく顔に、ああいけない。と、ポケットからスマホを取り出した。「何でもないよ」と笑って見せたけど、朔也の表情は変わらない。 「あ、」  きっと杞憂だと、無理に奮い立たせた勇気も、その画面を見て粉々に砕けた。絶句。体が、指先からスーッと血の気を失い、冷えていく。 “偶然!一緒にいるの、彼氏?”  こわい。  『朝陽』と言う名前の、覚えの無い登録。何処かにー近くにーその人が、いる。店内だろうか?いや、この席は窓際だ。店の外から、私達を見ているのかもしれない…!  ガタガタと震えだした私を見て、朔也は眉を寄せた。何かが違うと感じたのだろう。スマホを指差し、「見てもいいですか?」と言うなり、返事も待たずにそれを取り上げる。 「あ、」  スマホを追うようにして朔也に向けた視線は、彼が驚きに目を丸める瞬間を捉えた。それから、苦虫を噛み潰したような顔をする。  思っていた反応と違うことに驚いて、指先に血の気が返ってきた。何かを尋ねる必要があるような気がした。冷静さを取り戻してきた頭は、それでも無意識に、 「知ってる人?」  そう、彼に尋ねていた。  びくり、と肩を震わせたくせ、彼は少しだけ間を置いて、「……ハルキなんて知り合い、いませんよ」とスマホを返してくれた。 (…………ねぇ。じゃあ、どうして、『朝陽』を『ハルキ』って読むんだって、すぐにわかったの…?)  恐怖心は疑心に色を変える。または、『確信』とも言うのかもしれない。  私はきっと、何か、ーーー大切なことを忘れてる。
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