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そんな継実には、両親が疾うにない。
母は小学校に上がる前、父は小学六年の冬になくなった。
父がいなくなったあと、一人っ子だった継実は、父と暮らした都会のアパートから母方の祖父母のもとに引き取られた。
祖父母の家には、母が病気の療養をしていたころにも住んでいたことがある。手の掛かる年頃の継実と体調の思わしくない母は、父を都会に残して数年こちらで過ごしたのだ。
幼少期の生活のせいか、継実は父と暮らすようになっても、都会の暮らしに馴染めなかった。真夜中でも消えることのない派手なネオンサインも、一日中絶え間なく聞こえる車の音や人の気配も、どこまで本気なのかわからない人間関係も、全部苦手だった。
だからそんなものと離れた今の生活は、継実にとってこの上なく快適なのだ。
たとえ学校までの道のりが少々遠く、特に上り坂ばかりの帰り道が厳しくてもあまりあるほどに。
「ツグミー!」
舗装されておらず轍のせいでガタガタと振動ばかりの道に入ってから、自転車を押しながら歩いていたツグミは、自分を呼ぶ声に顔を上げた。
もう少し行くと山の木々の間に小さな鄙びた神社がある。
そこはここが村だったころには唯一の場所で、春と秋にはささやかながら村民主催の祭りが執り行われていたらしいが、隣近所の村との合併や人の流出で今では木々に埋もれるようにひっそりとそこにある。
神社で一番目を引くのは、参道の入り口の左側に佇む大きなスダジイの木だろう。
佇まいはまるで巨大なブロッコリーのようだが、樹齢五百年を超えるというその木は、長く神社とともにある御神木だ。しめ縄を掛けられ、神社の裏がそのまま山という立地にあっても、周りには建造物が一切ない大自然の中にあっても、他を寄せ付けない圧倒的な存在感でそこにある。
ツグミはこの木が好きだ。
この木は御神木でありながら、この辺りでは『子供を見守ってくれる木』として有名だ。それは古くからの言い伝えによってこの地に残っている。
なんでも、御神木には子供たちの願い事を聞くために神さまのお使いが下りてくると来るというのだ。この辺りで一番立派な木のてっぺんに立ち、願い事を聞きながらその子がどんな子供であるかを、神さまのお使いは見極める。
親の言いつけを守り、優しい心を持つ子供の願いは、お使いが神さまのもとに届けてくれるらしいのだ。だから昔から子供は、神社の本殿よりも、御神木に自分の願いを打ち明けてきた。
かくいうツグミも例外ではない。ツグミの祖父母の家は、神社から数百メートルほどしか離れていない。だから幼いころはよく一人で御神木のもとに足しげく通い、母の病気がよくなるようにとお願いしていた。
その木を背に立ち大きく手を上げて自分の名前を呼ぶ存在に、ツグミは小さく片手を振って合図を送る。
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