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 感情が緊張で冷え切って、前後不覚になるほどじっとりと粘度の高い汗が滲んでくる。  父のことが朧げになっていくのは薄情と言われても、もう四年も前のこと、ある程度は仕方ない。それに必死に生き抜いた時間の中では、親子関係が希薄になっていたことは自覚がある。  それでも――。  父の葬式のことを、何も思い出せないのは、どういうことだろうか。  継実は一度ゆっくりと目を閉じた。  瞬きにしては長い時間を掛け、瞼の裏で記憶を探る。  母が亡くなったのは幼稚園の年長組のときのことだ。  もちろん当時のことをすべておぼえてはいないが、母がいなくなったということを一緒には寝られない布団の中で理解し、その夜一緒に寝てくれていた祖母を布団から追い出し大泣きしたことや、式の間きちんと正座で座っていれば母が褒めてくれるに違いないと思ったことなど、記憶に刻むようにおぼえていることがたくさんある。  ところが父との別れについては、不思議なほどなにもおぼえていない。  葬式はたぶん父の実家でしたはずだ。思い出した父方の祖父母の記憶は、それが式のときのことであるとは思えぬほど色褪せ曖昧だった。  そのことがますます継実を追い詰める。  それほどに父の死がショックだったのだろうか。  ――そうかもしれない。唯一と思っていた拠り所を失ってしまった小学生の自分は、あまりのショックに記憶がぶっ飛んでしまったのだ。  どこか釈然としないが、そう考えるのが一番自然な流れのような気がする。  ぱちぱちと瞬きを繰り返し、継実は記憶と感情の推測と整理を急ぐ。  父に関する事柄を祖父母に聞くことは憚られる。それが過去のことであろうと、現在の学校のことであろうと同じだ。仏壇に居場所がいなとは、つまり、そういうことなのだ。  再び自転車に乗る気力は湧かず、継実はノロノロと自転車を押した。あと少しすれば分岐に入る。そうしたら坂はきつくなるが、木陰も増えて陽の光に焙られることもない。どこまでいっても、気の晴れる要素はないが、それでも継実はハンドルを握り締めた。  いくらか進んで、継実はふいと顔を上げた。そしていつもの場所に佇むトラの姿を見つけた。向こうはまだこちらに気がついてはいないらしく、地面につま先で何かを書くような動作をしながら暇をつぶしているようだ。  年の割に幼い仕草に思わず笑みをこぼした後で気がついた。  トラなら何かおぼえているかもしれない。  継実は自転車を押す速度を上げて、五つ年上の幼馴染の元へと急いだ。
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