華麗なる完全犯罪

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華麗なる完全犯罪

 この手記は、私の完全犯罪達成までの告白文である。同時に、私と同じく完全犯罪を目指す多くの者たちへのエールでもある。  私がいかにして完全犯罪を成しえたのかがわかれば、今後私と同じ苦しみを味わう人は激減していくに違いない。  だがしかし、敵もさるもの引っ搔くもの。一筋縄ではいかないし、私が完全犯罪を達成したと知れば、警戒を強めるに違いない。現に私は彼らの徹底した犯罪抑圧に頭を悩ませたのだから。  では、いかに私がこの偉業を達成したかをお話しするとしよう。  さて、まずはどうして完全犯罪を行わねばならなくなったのか。それは私の命綱(飯炊き掃除などの家事全般)を握るひとりの女性の頼み事からだった。彼女、真紀子さん(仮名)は四六時中家で仕事をしている個人事業主(フリーランス)の私に向かって、一枚の紙を差し出した。 「これ、あなたに頼むことにするわ」  真紀子さんは浮世絵のようにつりあがったきつね目を細めて不敵に笑んだ。彼女はとても聡明で美しいのだが、ちょっとばかり意地が悪い。彼女が赤い小さな唇の端をくいっと持ち上げて笑うときは、必ずなにかしら悪いことを考えているときだ。今回もまったくそのとおりで、私は嫌な予感しかしなかった。『読め』と顎でくいっと示されて、致し方なく紙に目を走らせた。 「ええっと。これをぼくが?」 「そう。あなた、こういうの得意でしょ?」 「たしかに得意の部類ではあるけど……しかしこれをぼくがやるというのはなあ」 「あなたにこそ、うってつけじゃない。だって人を騙くらかして金儲けしているんだから」 「騙くらかしてなんて人聞きが悪いこと、言わないでおくれよ」 「なによ、本当のことじゃない。いつもどうやって騙すかを考えて実行するのがあなたの仕事じゃない」  その通りである。私は常に他人の目を、思考を誤解(ミスリード)させることばかりを考えている。それも、より多くの人を騙さねば金にならない。そして騙すことに私自身が至上の喜びを感じるのだから、ろくでもない人間である。 「それにね、そうやって居間に陣取られると掃除もできないし、第一、私がくつろげないじゃない。あなただけならまだしも、夏休み期間中はさゆりもずっと家にいるのよ? どこで息が抜ける? ね! だからこそ、あなたは私の役に立つべきよ。三百六十五日、二十四時間休みのない私に休息を与える義務があなたにはあるわよ」 「なんで?」 「夫だからよ」 「でも、ぼくもちゃんと働いて、多くはないけど不自由ないくらいは稼いでいるじゃないか」 「あら? ずいぶん偉そうに言うじゃない。じゃあ、言わせてもらいますけど、あなたが働けるのは誰のおかげ? ご飯は? 掃除は? 自分でできるの? ねえ?」  返す言葉もない。真紀子さんはと言えば、普段よりもさらに目がつりあがっている。まるで鬼だ。赤鬼だ。手にしているはたきがとげ付きの金棒に見えてくる。このまま彼女の機嫌を損ねては、私の命は風前の灯火となろう。  情けない話だが、私は家事がめっぽう苦手である。以前、彼女が所用で実家に帰省中、カレーでも作って帰りを待とうとしたことがあった。しかし結果は散々なもので、なにか異臭のするドロドロしたものができただけで食べられたものではなかった。実際、そのカレーの匂いを嗅いだ愛猫のみーたんが白目をむいて倒れたくらいだ。以来、二度と台所に立たないでくれと真紀子さんにきつく言われてしまっている。  それならばカップ麺でも食べればいいと思うだろう。そう思ってチャレンジしたことがある。だが、私はここでも天才的な力を発揮した。カップやきそばを作ったのだが、湯切り専用の穴があるのを見落として、蓋をすべてめくってしまったのである。さらに不幸なことに、ダイニングテーブルの脚に蹴躓(けつまず)き、勢い余って排水溝に中身をそっくりそのままぶちまけてしまったのである。以来、怖くてカップ麺系は食べられなくなってしまった。  ずいぶんと話が横道にそれたが、ともかく、生き残るためにも真紀子さんの命令には逆らえないのだ。ちなみに私は飯どころか、お小遣いも彼女にしっかり握られているので、不要な買い食いをしようものなら、その代金をきっちり来月分から差っ引かれてしまう。となると、やはりお代官様、真紀子様には逆らえないのである。  だが、このとき私はひらめいた。仮に私が真紀子さんの望む以上の成果を出したらどうなるか。彼女は私を尊敬するだろう。もしかしたら、私の素晴らしい仕事ぶりに涙し、来月の小遣いを大幅アップしてくれるかもしれない。そうなれば、ずっと我慢しているガンプラやマンガも手に入れることができるのではないか――  そう考えた私は「やります。やらせていただきます」とありがたく真紀子さんの命を受けることにした。  動機がくだらなすぎると言いたくなっただろう。しかし、完全犯罪を成そうと思う動機など、所詮その程度だ。大義名分を振りかざして犯罪に走るものなど、いまやほとんどいないのだから。  さて、十畳ほどの(私の仕事場である)書斎に戻ると、真紀子さんから受け取った紙に再び目を落とした。 「しかしひどいな、これは」  自然に眉が寄った。箇条書きにされた部分には思わずうなり声が出た。あまりにも厳しい条件が書かれているからだ。これに従って正攻法でクリアするなんて途方もないことのように感じられた。と、同時に、この文面から敵となる彼らの、並々ならぬ強い意思を感じ取ることができた。 『不正はいっさい認めない』  そう叫んで、こちらの喉元をぐうっと押さえ込んでくる彼らの生霊を見た気がした。あまりの生々しい感触に、私は思わず「げえっ」と口元を抑えた。    これは相当の覚悟を持って行わなければならない。生半可なやり方では、彼らに手口を暴かれてしまう。暴かれるだけならまだいいが、呼び出され、その場で切腹を命じられるような事態に陥ったら――私の不名誉は未来永劫語られることになる。  その瞬間を想像したら、ぶるりと全身に震えが走った。それは絶対にダメだ。仕事にも大きな影響を及ぼすことになる。完全犯罪以外に私の生き残る道はない――そう思った私は、完全犯罪を成すためのルールを箇条書きにしていった。 (1)自我を捨て、完璧な別人になりきること (2)彼らの疑う余地を残さないこと (3)彼らのルールの抜け道を探すこと (4)ウソの中に本当をちりばめること  これさえ守ればいいのだ。簡単なことである。ならば材料を集めねばならない。  そこで私は隣の部屋にいる小学六年生のさゆりの部屋をノックした。 「どうぞぉ」  返事をするのもだるそうなさゆりの声が飛んでくる。私が静かに彼女の部屋の扉を開けると、すき間から白い(もや)が廊下へ流れ出てきた。冷凍庫から出てくるような冷たい風にぶるっと身震いしながら部屋に入る。    さゆりは片方の耳にイヤホンをつけてスマホで動画を観ているらしい。こちらにチラッと視線を向けたかと思うとすぐに画面に戻って「何か用?」とぶっきらぼうに聞いた。    思春期に突入してしまったらしいさゆりはここ最近、ますます真紀子さんにそっくりになっている。彼女譲りの勝ち気でしっかり者。その上美人であるのだが、恐ろしいほど口が悪い。
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