華麗なる完全犯罪

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「ちょっと一緒に映画を見ないかい?」 「なんで?」 「その……新しいインスピレーションがほしくて」 「一人で見れば?」 「いやあ、その。さゆりの素直な感想を聞かせてもらえたらなあって」 「ふ~ん。で、なに見るの?」 「えっとね。殺人ミステリーか、青春ファンタジーか、恋愛戦争ものか、動物感動ものか。どれがいいかな?」 「選択肢多すぎ。だるい」 「ああ。ええっと……困ったなあ」 「動物感動ものはパス。悲しくなるやつは特にダメ」 「そうか。やっぱり楽しいほうがいいよな。じゃあ……青春ファンタジーかな」 「それ、おもしろいの?」 「えっと。父さんも映画は見たことがないんだよ。原作はおもしろかったけど」 「つまんなかったら殺す」  さゆりはゆっくりと起き上がった。  覚悟はしていたものの、さすがに真紀子さんの血を引いているだけあって、さゆりの言葉には切れがある。もしもつまらなかったら、本当に殺されるだろうなという凄みが声に宿っているのだから末恐ろしい。  おっかなびっくり彼女のあとについていく。居間の三人掛けのソファでどっかりと側臥位(そくがい)の姿勢をとる彼女の脇を通って、私は自分用の座椅子に腰を下ろした。テレビのネットチャンネルから、おススメの青春ファンタジーをつけた。  彼女の反応をちらちら横目で伺いながら、私も映画を見た。  二時間弱。彼女は無言だった。ときおりつまらなそうにスマホをいじる。彼女の感情の波がまるきり読めない。それでもなにか感じたものがあるのではないかと、見終わったあと「どうだった?」と尋ねたら、彼女は私をきつく睨んだ。 「クソ面白くない」 「だよね」  手にしたコーラの缶を投げつけられなくて済んだことにホッと胸をなでおろしたものの、これではルール(4)の材料が見つからないので、映画鑑賞での道は断念することにした。  さゆりが自室へ戻り、私もすごすごと自室へこもった。  映画でいけると思ったが、そう簡単にはいかないものだ。彼女の好きそうなものをチョイスしたつもりだったが残念である。    となると、もっと簡単な方法がいい。映画だと少なくとも二時間、集中力を要することになる。それでは彼女も飽きてしまう。ならば時間がかからないけれど、なにかを訴えかけてくるものにすればいいだけの話だ。  私は自分の書斎の本棚をざらりと見回した。壁という壁に作られた棚にはびっしりと隙間なく本が並んでいる。その中からおあつらえ向きな一冊を見つけた。これならばルール(3)が当てはまる。私は再びさゆりの部屋の扉をノックした。 「いったいなんなの?」  真紀子さん譲りのつり目が厳しく私をねめつける。私はハハハと乾いた笑いを立てると、さゆりに本を差し出した。彼女は(いぶか)しげに本を見た。 「バカにしてんの?」 と殴られそうになった。とにかく読んでみてと促すと、彼女は表裏をしげしげ見つめたあと開いた。 「うわあ、なにこれ。気持ち悪い」「いや、そうだけど」「たしかに」「なんでこうなるのよ」「やめて。本当にやめて」と、彼女は手足をばたばたさせながら、感情を垂らし続けた。私はしめしめと内心ほくそ笑んだ。  読み終わるまで三分ほど。彼女は本を閉じると、私に返した。 「どうだった?」 「まあまあだった」 「そうか」 「で、なに? どうせ裏があるんでしょ?」  さゆりに突っ込まれ、私は正直に全部話した。彼女は私の計画を黙って聞いていた。聞き終わると「なあんだ」とつぶやいた。 「それ、私が協力しなくてどうやってやるつもりでいたのよ?」 「ぼくが完璧に君になればいいだけの話だよ。そういうのは得意だから」 「はあ? パパが私になりきるなんて草生えるわ」 「草生える?」 「ほら、もうわかんないじゃん。それじゃむりだよね?」 「口頭ならそうかもしれないけど、文章だったらそんな言葉遣わないでしょ?」 「パパ、私が国語苦手なのは知ってるよね? 私の作文がどんなんか知ってるよね? 先生たちにも呆れられるレベルだよ?」  たしかに、さゆりの国語力は小学校六年生とは思えない残念さがある。 「だけど算数が得意だからいいじゃないか」 「私、本当にパパの子なのかなあ?」  さゆりの何気ない一言に私はつま先が冷たくなった。恐ろしいことを言う。  さゆりが生まれてからずっと私の頭の片隅にある疑惑だ。男親は誰もがそういう疑念に囚われる。確実に自分の子供だと胸を張れる父親がこの世の中にどれだけいるだろう。彼女に恐ろしいほどの文才があったなら、私の疑いも消えてなくなっただろうが。 「と、とにかく。ぼくが初稿を作るから、さゆりは素案になる感想を箇条書きにしてくれないかな? あと清書作業は……」 「感想をいくつか書くのはやるけど、あとはパパがやりなよ。私、あいうえお表も作ってあげるから」 「え? だって協力するって」 「だから協力するんじゃない。でも、これってパパが考えた完全犯罪だから、最後までパパがやるべきよ。他のみんなを騙せるか、私も見たいしね。小学校最後の思い出にもなるし」  がんばってねとさゆりに背中を叩かれた。彼女はまたスマホで動画を見始める。なんだか良いように丸め込まれた感じがしなくもない。  しかし、これで最低限の協力は得られることになったのだから、前向きに喜ぶべきなのだろう。  翌日、さゆりはちょっとした感想とあいうえお表を作ってくれた。箇条書きの感想はおよそ300字。これを使うことでルール(4)をクリアできるわけだ。  私はさっそく作業に取り掛かった。彼女のくれた300字の感想を6倍の、既定文字数最低ラインの1800字まで増やす。あまり多くなりすぎては彼女らしさが出ないからだ。  これは造作もない作業だった。彼女の言葉を幹だとすれば、それに関することを枝のように増やしてやればいい。  ここで重要なのはいかにリアリティを持たせるか、だ。彼女の思考の仕方や普段の好みの通りに練り上げねばならない。彼女になりきること。つまりルール(1)はこういったことで成り立つわけだ。  さて、実際に初稿が出来上がると、私はさゆりを呼んだ。彼女に私の作ったものを見せ、赤ペンでチェックを入れてもらう。この推敲作業で、とんでもなく赤ペンが入った。彼女曰く『オヤジ臭がすごくする』のだそうだ。 「そんなことないだろう? ぼくは君になりきった。完璧に君になりきった」 「そんなこと言うならこれ見なよ? 自分のクセ、出まくってるから」  彼女にめちゃくちゃに赤を入れられた部分を見て、すぐに過ちに気が付いた。ハッとした。 「ら抜き……できていないとは」 「あと、い抜きね」 「どうしても、そこらへんに抵抗が」 「まあ、パパは昭和の人だからね」  さゆりは『わかるよ、昭和の人はみんなそうだもん』と繰り返した。ぐぬぬと奥歯を噛みしめる。昭和だが、昭和初期ではない。昭和も終わりのころなのに、平成生まれにとっては原始人並みに扱われる。それがとても悔しかった。私がそういった書き方ができないのは生まれではなく、仕事柄なのに。 「あとは……『の』を『ん』に変えるのか……」 「そうだよ。私がそんな文、書くわけないじゃん。あとは『だから』っていうのを『なので』にしたほうがいいね。パパはさ。尚子ちゃんみたいな優等生の子の使う言葉で書いてるんだよね。尚子ちゃんならそれでいいけど、私だかんね?」  ぐうの音も出ない。たしかにさゆりの友達の池柴尚子(いけしばなおこ)ちゃんなら、ら抜きもい抜きも、『の』を『ん』に変えなくてもいいし、『だから』『でも』という接続詞で間違いはないだろう。我が子ながら文章模写のハードルが激烈に高い。  そしてさゆりは私にもっと漢字を開くように(実際は『こんなの読めないし、書けないからひらがなにしろ』と指摘されたのだが)命じると、部屋に戻っていった。とりあえず彼女のおかげで原稿は完成した。これから清書作業が待っている。  だが、ここでひとつ問題に気づいた。筆圧である。  もらった感想とあいうえお表をじっくりと見る。字の濃さから、使われているのはBの鉛筆だろう。シャープペンはまだ持たせていなかったはずだ。  実際に同じ濃さの鉛筆で書いてみる。あきらかに私の筆圧のほうが高い。となると、もっと柔らかく握って、力を抜く必要があるが、慣れていないので妙な力のかかり具合になる。  さらに言えば、パソコンで文字を打つことに慣れすぎていて、文字を書く作業が実に大変なのである。自分の字ならまだしも、娘の字をマネるというのは非常に集中力が要る。根気も要る。かなり疲れるから、一行書き終えるだけで一〇分もかかる。これをあと八〇分やり続けなければならない。ただし、一度もしくじらなければの話だ。  途中でなんども鉛筆を放り投げて、頭をガシガシ掻きむしった。  なぜ、私はこんな途方もない作業をしているのだろう――と不意に我に返る。  しかし、すぐに頭を振った。完全犯罪のためなのだ。これは私の人を騙すプロとしての意地である。現実社会においても完全犯罪を達成できれば、これからはどんな人でも騙せるような気がした。そうだ。泣き言を言うな。書け、書くんだ、蓮太郎(はすたろう)!  ひたすらに向き合うこと四時間。書き損じを合わせて使用した原稿用紙は200枚を超えた。そうしてようやく完成した原稿を、私は真紀子さんに見せた。    一通りの家事を終えた真紀子さんはダイニングテーブルで優雅に紅茶を飲んでいた。私がやってくると嫌なものを見るように一瞬顔を曇らせたが、原稿を差し出すと静かに受け取って読み始める。五分後、彼女は探るように私を見て原稿を返した。 「どこまでがあなた?」 「素案と推敲はさゆり。他は全部ぼくだよ」 「清書まで?」 「もちろんだ」  私は書斎に取って返すと、書き損じの原稿を彼女に見せた。 「涙ぐましいわね。まさに努力の結晶ね」 「完璧だろうか」 「完璧ね」 「騙し通せるだろうか」 「母親の私すら、これをあの子に見せられたら完璧に信じちゃうわ」 「そうか」 「そうよ」 「ぼくは天才かな」 「天才じゃなくて職人よ」  私はにこりと笑んだ。真紀子さんも同じく笑った。それから真紀子さんは私に紅茶を入れてくれた。ダージリンだった。  私はできあがった原稿をさゆりに託すと、彼らに突っ込まれたときにどう答えるかを念入りに練習した。あらゆる質問を想定し、抜け目ない答えを用意する。繰り返し練習すると、彼女はすっかり自分の言葉で答えられるようになった。 「完璧だね」 「楽しみだね」  私たちは騙し終えたあとのことを空想して、ふたりでほくそ笑んだ。  夏休みが終わり、学校が始まった。なかなか出ない結果にそわそわして、来る日も来る日もさゆりに尋ねていたら、口をきいてもらえなくなった。真紀子さんにはおかずを一品減らされた。こうして待つこと一週間。ついに結果がもたらされた。 「先生たちは完璧に信じたよ」  私が想像していた通り、彼らははじめ疑いを強めたらしい。さゆりからほころびを見つけようと様々な質問を繰り出したが、彼女はそのことごとくをつかえることなく答えきった。  できることなら、その様子を直に見たかった。きっと彼女は立派に演じ切ったに違いない。もしかしたら、彼女には演劇の才能があるのかもしれない。文章が苦手でも演技ができるなら、そういう道に進んでみてもいいだろう。これは思わぬところで良い拾い物をしたと、内心うふふと笑った。  こうして、さゆりが提出した『読書感想文』を書いたのが私こと、ホラーミステリ作家であり、彼女の父である『田辺(たなべ)蓮太郎(れんたろう)(ペンネームは『祟田(たたりだ)蓮太郎(はすたろう))』だとは気づかれなかった。それどころか、校内で『特別賞』をもらい、読書感想文発表のクラス代表にまでなったらしい。ここまでくると少しやりすぎた感も否めないが、私のお小遣いが大幅アップしたのでよしとしよう。  誰かを不幸にしたわけではない。それどころか家族はみなハッピーになったのだから。  最後に、学校側が提示した条件を記載しておく。私がこの制約からどんな抜け道を見つけ出し、その穴をついたのか。じっくりと考察していただければいい。もしかしたら、私には見つけ出せなかった完全犯罪の別ルートを見出せるかもしれない。  完全犯罪を目指すすべての者へ。心より健闘を祈る。                           祟田蓮太郎 夏休み課題 読書感想文については、以下の条件を守ること。 〇対象課題については自由(フィクション・ノンフィクションは問わない) 〇以下のようなものは選んではならない  ・いわゆる「古典・名作」およびそれに類するもの  ・辞典・年鑑・図鑑等の参考図書  ・ライトノベル、携帯小説など  ・教科書、副読本、読書会用テキスト類またはこれに準ずるもの  ・雑誌(別冊付録を含む)、パンフレット類  ・映画、ドラマを小説化したもの(ノベライズ本) (了)  
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