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第一章「クリスマスツリー」 2
最初の男は高校二年から卒業までつきあった同級生だ。
あいつは地元の農協に就職を決めた。
私は看護師になる進路を決めた。
お互い進む方向が決まったのはいいけれど、田舎を出るとき、あいつから別れを切り出された。
若さとは遠距離恋愛を保てないものだと身を以て経験した。
ドラマや小説のように純愛を保つことなど希なことだ。
田舎を離れた彼女との関係を維持しつつ、地元では身近な女性とつきあう。そんな器用なことをされたなら、泥沼に落ち込み惨めな思いをするだけ。
結局、あいつの決断をすんなり受け入れた。
私が別れ話を打ち明けたとき、同級生の牧田早苗が私への同情とあいつへの非難を口にしたけど、私はあいつのことを憎めなかった。あいつなりに考えに考えたあげく、やっと決心をして、正直に心の弱さを私に伝えただけのこと。
私に対して誠意がなければ、ずるずると引き延ばし、二股をかけながら疎遠になることを待つことだってできる。時が経てば自然消滅の恋となる。もしくは男の心変わりを感づかせて、女から別れを切り出させる。それこそ卑怯者がする悪意だ。
辛い別れを、きっぱり、さっぱり、とさせてくれたのだから、あいつはいい男だと思う。
私は一週間の涙と引替えにすっきりすることができ、二年間勉学に励むことができた。
二番目につきあった男は国語を担当する塾の先生。
私が大学三年生になり、学校でも生活でも余裕というものが持てた時期のことだ。
二十一歳の私にとって、二十六歳の男は随分大人に思えた。
社会人としての常識を持ち、社会のルールを重んじ、確固たる信念を抱いた人だ。けれど三ヶ月後には窮屈さを感じ始めた。
男は自分の思いを私に強要するようになり、理想の女性像を私に求め、私の成長を望んだ。
細かい話になるが、待ち合わせの時間に遅れると厳しく叱られ、言葉遣いも注意され、文法的なことまで指摘された。
「私は塾の生徒じゃないのよ」と言ってやりたかったけど、口では勝てないので、私は反論も言い訳もできずに理不尽な叱責にうなずいた。
自分がロボットになっていくみたいで息苦しくなる。
次第に私から笑顔が消えた。
ぎこちない態度は男の不機嫌を呼び起こす。
結局、半年も持たずに私は別れを口にした。
「あなたとはこれ以上無理です」
はっきりした意思表示は男の目を点にした。
自分の思いを押しつけるだけで、相手の気持ちを考えようともしない。そんな心の狭い男には、私の思いを何一つ理解できてないと思う。
別れて正解だ。
幸運だと思えたのは、二回ほどかけてきた電話を無視しただけで、あっさり別れられたことだ。
最近の事件を考えれば、ストーカーにならずに済んでよかったと胸をなでおろした。
三番目につきあった男には私も慎重になった。
知り合ったのは二十二歳の夏に友人の誘いで出かけた合コンの場である。男三人と女三人のグループで、飲み会や食事会があるときは、いつも私を誘ってくれた。
男は背広姿がよく似合う三十歳のサラリーマン。
物腰が低く、丁寧な言葉遣いで、さりげない気遣いもできる大人の男である。相手の男には第一印象から好印象を持った。だけど二番目につきあった男のことが原因で、私は臆病になったと思う。ちゃんと相手の性格を知ってからでないと、みたいな気持ちを抱いて、好意を表すことは極力押さえるようにした。
相手とは会話も楽しく過ごせ、歌の趣味が合い、好きな映画のジャンルはラブストーリーと、これも好みが合う。
ゆっくりと日が差し込むほどに雪解ける大地のようだ。
そんな感じで私の心が近づいた。
つきあいが始まったのは二十三歳になったクリスマスイブにサプライズがあったから。いつものように彼から誘われて、みんなも一緒だと思ってレストランに行ってみれば、彼だけが二人用のテーブル席にいた。二人でフルコース料理に舌鼓を打ち、サプライズのネックレスには心を打たれた。最後は彼から告白をされて、私の目に涙が浮かんだ記念日となった。
つきあいが深くなると、互いの部屋にも行き来するようになる。
一緒に過ごす空間に笑みが漏れ、心穏やかな時間が流れる。
私はつくす女の幸せを感じた。
週一で訪れる彼氏のために手料理をもてなした。
おいしそうに頬張る男の顔に満足感を覚え、ワインの小瓶や缶のカクテルで乾杯をして、時間の共有を喜び、安らぎを抱いた。
数ヶ月は幸せの絶頂だと思えた。
季節の移り変わりと共に愛着が哀調へと枯れてゆく。
男は繕いの姿に本性を隠していた。
仕事場での顔、外での顔、距離をおいたときの顔があることを知った。
私は繕いを脱ぎ捨てた男の内面に耐えられなくなった。
簡単に言えば性格の不一致ということだ。
気まずくなると、男は次第に不機嫌な顔を見せるようになり、怒りを露わにした。
少しずつ会う機会が減り、互いの会話がぎこちない。
心離れを悟った男は一年後のクリスマスイブに別れを口にした。
私の方からふってやろうと思ったとき、男から先手必勝の攻撃を受けて、私は多少なりとも傷ついた。
あんな男にふられたとは人生の汚点だ。
結果的に別れられたと思っても、やはりショックは大きい。
つくづく男運が悪い女だと、自分を卑下した日々は辛かった。つけ足して言わせてもらえるのならば、記念日の悲しい想い出はすんなりと忘れさせてくれない。
クリスマスが近づくと、私は気が塞いだ。
振り返って考えれば、最後の失恋がけちのつき始めになった。
二十五歳のクリスマスには、父が脳梗塞で倒れて、右半身に障害が残った。役場勤めの父はリストラこそされなかったけど、組織の主流から外された。元気な頃が記憶として鮮明に残っている父は、ときどき不甲斐ない自分に癇癪を起こした。父が自分の病状を受け入れるまで一年近くかかった。今はリハビリのかいもあり、危なっかしいけれど、歩行移動ができるまで回復した。
母の献身的な介護のおかげだ。
二十六歳のクリスマスには、母が過労で倒れた。
世間では家族や恋人たちや仲間たちが集って楽しんでいるのに、私の周りには不幸ごとが続いた。
三番目につきあったあいつの呪いかもしれないと理不尽にも恨んだこともある。
はっきり言って、私はクリスマスが嫌いだ。
私とは正反対に、翔はクリスマスが好きだ。
いい大人が十二月になると、まるで幼子のようにわくわくして待ち望む。クリスマスツリーがお店に飾られた。市内の夜が電飾できれいだ。サンタが店頭に立った。今年の店員さんはサンタの服を着てない。と一喜一憂して呆れるくらいクリスマスを楽しみにする。
翔はとても恵まれた家庭で育ったのだと安易に想像できる。
もともと脳天気な男なのかもしれない。
細かいことを気にする男よりはまだいいのかもしれないが、頼りない年下もちょっとねえ。と不満が顔をのぞかす。
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