翁の皿-1

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翁の皿-1

 天気は曇りがちだったが、石井剛郎(いしいたけろう)は晴れやかな心持ちだった。東京からN県まで出向いて地元企業との契約を無事取り交わし、肩の荷が降りた彼は、本来三日間、この土地に滞在する手筈になっていた。だが、予定よりも早くに仕事を完遂できたため、昼過ぎから夜の接待までの時間がぽっかり空いた。  いつもそうするように(と言ってもこれまでにこんな機会は数えるほどしかなかったが)、石井は身一つでぶらつくことにした。古い物が好きな彼の思惑としては、骨董店を第一の目的とし、なければ博物館や美術館、城の類を見て回るつもりだった。  ただ、事前に調べて足を運ぶほどの時間的余裕はない。それに、この土地は城下町だった。大きな意味で、古い雰囲気を残す空間そのものを味わうのも、石井の旅先での楽しみの一つである。地図で大まかな見当を付けてビジネスホテルを出た彼は、石畳の続く通りを当てもなく散策していた。  いや、骨董品の店という当てはある。それとなく探しながら、同時に、家族への土産を何にしようかという考えも、頭の片隅に芽生える。会社同僚への分は既に確保してあるのだが、家族の分はなかなか口うるさいので悩んでしまう。 「食べ物以外となると、好みがいまいち分からんからなあ……うん?」  角を折れて細い路地に入った途端、石井の目は「骨董」の文字を捉えていた。 「長富(ながとみ)骨董、か」  縁起のよさそうな名前だと勝手に決め込み、石井の表情は自然とほころんでいた。外灯のすぐ向こうに突き出た長方形の青い看板まで、約二十メートル。小走りになった。  店の正面まで来ると、最初に目にした味気ない看板とは対照的な、古式ゆかしい木彫りの看板が頭上に掲げてあった。年月を経た物で読みづらいが、重々しさを与えている。  庇が張り出しているが、その下に品物は全くない。天候の崩れを気にしているのだろう。ガラス戸越しに、やや暗い店内が窺えた。種酒雑多な物が、ところせましと並べてある。客がいない様子なのはいいとして、店の者の姿が見当たらない。 「ごめんください」  扉を引くと同時に小さな声で言って、首から上を突っ込む。風鈴のような音がした。 「らっしゃい」  このような店には似つかわしくない、どちらかというと八百屋か寿司屋のようなフレーズが、しわがれ声で届いた。次いで、声の主が姿を現す。 「さて。道をお尋ねか?」  赤ら顔でよく日焼けした男性だった。年齢は、六十に届くか届かないかぐらいだろう。痩せているとまではいかないが、細身である。石井は店主らしき男をしばし見て、その奥まった両眼が痩身の印象を醸し出すのだと分かった。 「いや、店の物を見させてもらおうと思って。初めての土地で、こちらも開いているのかどうか分からなくてね」  石井が答えると、男はにんまりした。愛想笑いにしては薄気味悪い。 「勝手に見てっていいよ。冷やかしでも何でも」  男は店の奧にある椅子にどっかと座り、足を組んだ。旧式のレジが隣の机に鎮座している。 「どうも」  石井は軽く頭を下げ、店内を回り始めた。書や掛け軸、仏像に彫刻に置物、壷にお椀、大小の絵皿……この辺りまでなら興味の対象であるが、ダーツボードやスロットマシン、ひどく古めかしい漫画雑誌にレコード、ブリキの玩具となってくると、さすがに価値の判断ができない。骨董屋よりもアンティークショップもしくはレトログッズ店とでも看板を掛ける方が、似合っていると言えそうだ。ただ、それら多種多様な品々がきちんとジャンル毎に区分けされているのは、ありがたい。よい物を揃えていても雑然と並べるだけという店では、石井のような旅先の者にとって、時間がいくらあっても足りない。 「……お」  そのおかげかどうか、石井の目に留まる品があった。一枚の絵皿。古さ、仕事ぶり、保存状態からして、なかなかの逸品である。両手を揃えればすっぽり収まりそうなサイズだから、出張中の身である石井でも持ち帰れるかもしれない。  だが、石井の心を掴んだのは、この小さな絵皿が、彼が自宅に所蔵する大型の皿と二枚で一組とされる物と思われたからだ。二枚が揃えば値打ちは確実に上がる。石井に投資の考えは薄いが、それでもこの二枚を揃えるのは魅力的である。第一、出張先で二枚組の片割れを発見するなんて偶然に、ロマンを感じてしまう。  値を確かめようと、細長い紙の札を手のひらに載せた。五万五千円。  絶対に買いだ!と、心中でガッツポーズをした石井。だが、次に現実的な問題として、財布の内幕を見やる。  次の瞬間、石井は舌打ちをしていた。一万円余りの不足。  財布にあるお金は全て、石井の私財である。出張費用として会社から渡された分は残っていたが、不用意に使ってしまわぬよう、宿に置いてきた。  値切ろうとの考えが頭をよぎる。 (どうやらあの店主、少なくとも絵皿についての鑑定眼はない。店も流行ってないようだし、ふらっとやって来たふりの客が四万円の買い物をして行くだけで、充分じゃないか?)  そうしてレジの方に振り返りかけた矢先、相手から声を掛けられた。 「お客さん、どうしたね? 財布を開いたり閉じたり。買いなさるか」 「ん、ああ、どうしようかな」  先制攻撃にたじろいだ石井だが、持ちこたえ、欲しがっていることを隠そうと努めた。 「この絵皿なんだが、まからないかね」 「ああ?」  椅子を離れ、ゆっくりと足を運ぶと、男は石井の指差す絵皿に顔を近付けた。 「ふん。お客さん、これに五万五千の値打ちはないと仰るか」 「そんなことはないよ、ご主人」  へそを曲げられてはまずいと、石井は穏やかに応じた。この種の店の主が偏屈者ということは往々にしてある。 「充分に価値を認めてます。認めた上で、残念なことに、私には手持ちがありません。出先だから、限られているんですよ」 「そのなりからして、お客さん、サラリーマン?」 「ええ」  品定めするような目つきを嫌に感じつつも、石井は頷いた。 「いい服着てるし、サラリーマンがカードの一枚も持って来てないの?」 「持ってはいるが……」  出張先で銀行口座のお金を出し入れするのは、あとで妻に見つかったとき、言い訳せねばならず、面倒なのだ。
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