13年後

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「夢?」 「母は、綾斗さんの夢を叶えさせるため、身を引いたんです」 「えっと……」 「綾斗さん。思い出してください。母が綾斗さんに別れを切り出したタイミング。それは、綾斗さんが俳優として成功し始めている時期だった。そして、綾斗さんが出演する舞台の多くは、2・5次元ミュージカルと言われる類のものでした。そうですよね?」 「たしかに、そうだね」 「とうぜん、ファンのほとんどは女性です」 「そうだね」 「もし、とファンが知ったら、どうなると思いますか?」  僕ははっと息をのんだ。 「……ファンの女の子たちの多くが、僕から離れていく」 「そうです。綾斗さんが活動している業界は、そういうところなんです。そういう厳しさがあるんです。母はそれを分かっていたんです」  だから、美咲は僕と別れることにした。  本当の理由を知れば、僕は断固別れを拒否したはずだ。あるいは、美咲のために舞台から退いたかもしれない。  だからこそ美咲は、理由を明かさず、ただ身を引いた。 「綾斗さんに、渡すものがあります」  幸人はショルダーバッグの中から一冊のノートを取り出した。  僕はそれを受け取る。 「これは……?」 「開いてみてください」  僕は適当なページを開いてみた。 「あ――」  ページには、僕に関する記事の切り抜きが貼ってあった。その切り抜きたちは、色鮮やかなペンやマスキングテープで装飾されている。  僕はページをめくった。  そのページには、記念すべき、僕の初主演舞台についてのインタビュー記事が貼ってあった。僕が笑顔でインタビューに答えている写真はハートマークで囲んであり、そばには大きく「おめでとう!」と記されている。  その清廉かつ可愛らしい文字は、美咲の筆跡に間違いなかった。  「おめでとう!」の文字が、にわかににじんだ。水滴が垂れたせいだ。  水滴の正体が自分の涙だと理解するのに、少し時間がかかった。  僕はノートから顔を離し、子供が目の前にいるにも(かか)わらず大声で泣いた。涙は無限に湧いてきた。  きっと美咲は、僕に会いたかったはずだ。じっさいに会って「おめでとう!」と言いたかったはずだ。  でも耐えた。僕の俳優人生のことを考え、彼女は遠くから僕を静かに見守ることにした。  理解した。  美咲が別れを切り出した理由を、僕は完全に理解した。  でも、理解したうえで、僕は、美咲にこう言いたい。 「それでも、僕は、君にもう一度会いたかった……」  美咲のノートを胸に抱き、僕は泣き続けた。
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