18人が本棚に入れています
本棚に追加
「夢?」
「母は、綾斗さんの夢を叶えさせるため、身を引いたんです」
「えっと……」
「綾斗さん。思い出してください。母が綾斗さんに別れを切り出したタイミング。それは、綾斗さんが俳優として成功し始めている時期だった。そして、綾斗さんが出演する舞台の多くは、2・5次元ミュージカルと言われる類のものでした。そうですよね?」
「たしかに、そうだね」
「とうぜん、ファンのほとんどは女性です」
「そうだね」
「もし、綾斗さんに恋人がいて、おまけに妊娠しているとファンが知ったら、どうなると思いますか?」
僕ははっと息をのんだ。
「……ファンの女の子たちの多くが、僕から離れていく」
「そうです。綾斗さんが活動している業界は、そういうところなんです。そういう厳しさがあるんです。母はそれを分かっていたんです」
だから、美咲は僕と別れることにした。
本当の理由を知れば、僕は断固別れを拒否したはずだ。あるいは、美咲のために舞台から退いたかもしれない。
だからこそ美咲は、理由を明かさず、ただ身を引いた。
「綾斗さんに、渡すものがあります」
幸人はショルダーバッグの中から一冊のノートを取り出した。
僕はそれを受け取る。
「これは……?」
「開いてみてください」
僕は適当なページを開いてみた。
「あ――」
ページには、僕に関する記事の切り抜きが貼ってあった。その切り抜きたちは、色鮮やかなペンやマスキングテープで装飾されている。
僕はページをめくった。
そのページには、記念すべき、僕の初主演舞台についてのインタビュー記事が貼ってあった。僕が笑顔でインタビューに答えている写真はハートマークで囲んであり、そばには大きく「おめでとう!」と記されている。
その清廉かつ可愛らしい文字は、美咲の筆跡に間違いなかった。
「おめでとう!」の文字が、にわかににじんだ。水滴が垂れたせいだ。
水滴の正体が自分の涙だと理解するのに、少し時間がかかった。
僕はノートから顔を離し、子供が目の前にいるにも拘わらず大声で泣いた。涙は無限に湧いてきた。
きっと美咲は、僕に会いたかったはずだ。じっさいに会って「おめでとう!」と言いたかったはずだ。
でも耐えた。僕の俳優人生のことを考え、彼女は遠くから僕を静かに見守ることにした。
理解した。
美咲が別れを切り出した理由を、僕は完全に理解した。
でも、理解したうえで、僕は、美咲にこう言いたい。
「それでも、僕は、君にもう一度会いたかった……」
美咲のノートを胸に抱き、僕は泣き続けた。
最初のコメントを投稿しよう!