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別れの日
僕と美咲は愛し合っていた。
でも、そう思っていたのは僕のほうだけだったようだ。
「ごめんね、綾斗」
告解でもするように、美咲は苦痛に満ちた表情で呟いた。
「私たち、会うのは今日で最後にしよう」
僕は危うくマグカップを手から落とすところだった。もしここが自宅だったなら、それくらいの演出はしてもよかったかもしれない。
しかし僕らは今、喫茶店のテーブル席に座っている。カップを割ってコーヒーをまき散らせば、それなりの騒ぎになる。
もちろん僕は「うん、分かった」なんて答えはしなかった。
僕と美咲は、ポッと出のにわかカップルではない。大学一年の時から付き合い始め、今年の五月に「七年目」の記念日を迎えた。結婚や子供についての話も持ち上がっていた。
「……本気で、言ってるのか?」
僕の声は、哀れなほど震えていた。
「ごめん。本気なんだ」
「どうして? 僕のこと、嫌いになったのか?」
「……」
美咲は首をゆっくり振った。
「綾斗は、昔も今も素敵だよ。私にはもったいないくらいにね。綾斗を手放す女は、気が狂ってるとすら思うよ」
自分で言うのもなんだけど、僕は女性にモテる。
その理由は単純だ。ハッキリ言って、美男なのだ。それを武器に、僕は舞台俳優として活動していて、最近ぐんと売れ始めている。
特にアニメや漫画を原作とするミュージカルに多数出演している。いわゆる2・5次元俳優だ。
そんなわけで、僕はたくさんの女性からアプローチをかけられる日々を送っている。やろうと思えば、同時に十人の女性と付き合うことだってできる。
でもそうしないのは、偏に美咲のことを愛しているからだ。僕は美咲だけが好きなのだ。
美咲は決して美人とは言えない(らしい)。友人から「お前ならもっといい女と付き合えるだろ」と蔑まれたことも一度や二度ではない。
そのたびに僕は、その友人を哀れに思った。人を見た目でしか判断できない人間ほど、哀れなものはない。
僕には、美咲しかいない。美咲以外あり得ない。
僕は美咲に、別れたい理由を聞いた。
しかし美咲の答えは要領を得なかった。無益で残酷な時間が流れた。
気が付けば、彼女は僕の目の前から消えていた。僕は一人、テーブル席にぽつんと腰かけて、虚空を見つめていた。
すっかり冷え切ったコーヒーが、時間の経過を物語っていた。
自宅に帰り、玄関の鍵をかけた瞬間、僕は泣き崩れた。
美咲との関係が終わってしまったという事実が、ようやく僕の心に追いついたのだ。
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