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ようやく僕が落ち着くと、幸人は席を立った。
「そろそろ帰ります」
「夕飯でも食べていったらどうだい? なんてってたって、君は……」
僕の息子なんだから。
「ありがとうございます。でも、伯父さんが心配するので、今日は帰ります。また次の機会に、食事でもしましょう」
「分かった」
僕は頷く。
「ねえ、連絡先交換しておかない?」
幸人は何かを言おうとして、言葉を飲み込んだ。
それから、代わりの言葉を紡いだ。
「もう一つだけ、綾斗さんにお伝えしておきます」
「?」
「実は僕、劇団に所属しているんです。子役の卵、って感じで」
「おお、そうなのか!」
僕はとても誇らしい気持ちになった。
「でも、もう辞めようと思います」
「え? どうして……?」
「僕が今日綾斗さんに会いに来た理由。それは、綾斗さんを許すか許さないか、それを決めるためだったんです」
許すか、許さないか……?
「もし綾斗さんが、母のことを理不尽な理由で孤独にしたならば、僕は綾斗さんの俳優人生を潰してやろうと考えていました」
僕は返す言葉が見つからなかった。
「僕は劇団で活動を続けて、必死で頑張って有名になって、そのうえで綾斗さんの隠し子であることを公表しようと考えていたんです。ただでさえ、僕と綾斗さんは見た目がそっくりです。信じてもらうのは、難しくないでしょう」
幸人はふっと、無邪気な笑みをこぼした。初めて、彼が子供っぽく見えた。
「でも、綾斗さんは、母のことをずっと愛してくれていた。それが分かりました。綾斗さんの成功は、母の悲願であることも分かりました。僕も、綾斗さんを応援したいです。そのためには、僕は劇団を辞める必要があります」
「どうして? べつに、劇団を辞める必要なんて……」
「僕が成長して、さらに綾斗さんに似ていけば、周囲が勝手に気づいちゃいます。僕と綾斗さんの関係を。そして週刊誌の人たちが、過去を徹底的にほじくり返すでしょう。そうなったら、綾斗さんはまずいことになります」
それから幸人は、自らの発言を恥じるように、言葉を付け足した。
「もちろん、僕が有名になればの話ですけどね。とはいえ、僕も劇団を続ける以上は、有名になりたいと努力してしまいます。だから、辞めるのが一番いい方法なんです」
「バレても構わない」
僕は言った。
言ったあとに、自分でもその言葉の力強さに驚いた。
「え……?」
「幸人くんが僕の息子だと世間にバレても構わない。美咲と愛し合っていたことがバレても構わない。それよりも、堂々と美咲のお墓参りに行けないほうが、僕はつらい」
「お墓参り、ですか……?」
「もし仮に、お墓参りの現場を週刊誌の人間に見つかって『これはどなたのお墓なんですか?』って聞かれたとする。その質問に対して『ただの友達ですよ』と嘘を答える自分を想像すると、それだけで怒りがこみあげてくる。僕は堂々と『最愛の人のお墓です』と答えたい」
「綾斗さん……」
幸人の瞳に、涙の輝きが見えた。
「ありがとうございます」
僕は幸人の頭を優しく撫でた。
すると幸人はごく自然に、僕の胸に顔をうずめて、静かに泣き始めた。
僕は幸人が泣き止むまで、彼の頭を撫で続けた。
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