《3》

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「涼平の子どもは、もう性別分かってるのか」 「ああ、うん、女の子みたい」  だからこそ、楓子ちゃんの話が心に刺さるのだ。愛すことが怖くなる。 「そうかあ。そりゃあ大変だ。女の子は何事も早い。ませた言葉を覚えるのも早いし、性に目覚めるのも早い。金をせびるのも早いし、父親を嫌うのも早い。顔が良ければ尚のこと、あっという間に女になりやがる。名づけは慎重にしろよ。名前が気に入らないだけで一生恨まれる。楓子は子をつけたことがムカつくそうだ。そういういらない発想が、俺を嫌う原因の一つになってると聞いたことがある」  まあ最近は、子のついた名前は少ないけれど、 「そうかなあ。楓子って可愛いと思うけどなあ。あだ名はふーちゃんとかでしょ。柔らかいイメージだし、僕は好きだよ」  キラネームが良かったなんて、多分思ってないと思う。  そもそも、自分の名前が理想通りなんて人がどれぐらいいるだろうか。  簡単に名前を変えられるならそうしたいと思ってる人ばかりだと思う──むしろ、「私、自分の名前大好きです♪ ほら、素敵な名前ですよね♪ ねえ、あなたもそう思いませんか? 私の名前って本当に可愛いですよね♪」なんて連呼する女の子は敬遠したいと思うけれど。(※個人の意見です) 「そう言ってくれて嬉しいよ。楓子は本当に可愛かったんだ。あんな風になってほしいと思って名づけたからな」 「可愛かった? 過去形? あんな風に育ってほしいって何?」  すると親父はどわははと笑った。 「オリジナルの楓子は、俺が通いつめたソープのナンバーワンだったんだよ。甘えるのが本当に(うま)いやつでさ、おっぱいなんかこう、プルンプルンで」 「ちょ、それ楓子ちゃんに言ってないよね?」 「由来は説明するもんだろ。確か、小学校に上がったときだったなあ」 「……ごめん、それ僕も無理だわ」 「なんで」 「それが分からないのも、無理かもしんない……」 「だって、楓子は本当に可愛かったんだぞ。そこらの芸能人よりはるかに」  訂正しよう。楓子ちゃんに同情する。風俗嬢が悪いと言ってるわけでは決してないが、父親の性癖が名前に込められていると知ったら、全女子が無理だと言うだろう。 「涼平、おまえの子どもの名前、俺がつけてやろうか」  唐突に、親父が言った。それはすでに僕ら夫婦の間で話し合われている。君香も自分の名前があまり好きではないらしく、ひらがなで名づけたいと繰り返していた。それなら読み間違いは絶対にないからと主張する彼女の顔を思い出す。 「風俗嬢由来はパス。それ以外なら、案として聞くよ」  源を証明する手段はない。まあ参考までに聞いておくのもいいという程度だ。 「よし、じゃあ考えておく。大事なことだからな、すぐには答えが出せない」  未来の約束が生まれたことに、僕は心持ち浮き立った。親父とまた会えるのか。それはいつ、どこで。でも、淡い期待は打ち砕かれることも知っている。多くを望まず、流れのままに。僕の生き方の軸となる考え方は、明確な約束を手帳に刻まなかった。  僕らはそれぞれアイスコーヒーを二杯ずつ飲み、さして面白くもない話で笑い合った。  親友のように、兄弟のように、師弟のように、互いの心の空白を埋めながら、今ここにある存在を認め合った。  会計を終えて店を出ると、僕らは真逆の進路を選んだ。 「親父」僕は大きく手を振った。 「涼平」親父も大きく手を振った。 「またね」僕はにこやかに拳を突き上げた。 「またな」親父もにこやかに拳を突き上げた。  ごく薄い再会の希望を、夕焼けがぼかして溶かす。  今日は特別な日になった。  帰ったら君香に話そう。楓子ちゃんのエピソードも交えて、僕がどれほど幸せを感じていたかを話そう。  親父には直接伝えなかったけれど、僕は今でも親父が好きだ。胸の中に、幼い頃の優しい思いが蘇る。母さんはこんな僕を見て怒るだろうか。ああ、でも、本当にいい一日だった。嬉しさについ、僕は駆け出していた。
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