《2》

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 だからこそ、親父がいてくれたら違ったろうと思う。 「女は単純さ」と笑い飛ばしていた親父なら、僕の揺らぐ思いさえ「考え過ぎだ。なるようになるさ」と言ってくれたはずだから。  あてもなく歩道を歩く。  ショーウィンドウに映る自分の姿は、若い日の親父にシルエットが似ていた。  僕と同じ年齢の頃、親父は何を考えていただろうか。色々なものを天秤にかけながら、今の僕のように悩んだりしたろうか。 「……え?」  そのとき、ふと、往来の中に見知った顔を見つけた。  ちょっと待て。  頭では強烈なブレーキがかかっているのに、両脚はもう走り出していた。  前を往く人たちに謝りながら、今見つけた影を追いかけた。  ここで見失うわけにはいかない。  磁石の先端をその影に向け、引き合う力に身を委ねた。 「親父っ!」  指を伸ばしながら、声を振り絞った。  ああ、もう、人の多さが鬱陶しい。  仕方なく車道に出て、自転車専用レーンを走った。  間違いない。  あれは親父。  親父。いっときで構わない。僕の話を聞いてくれ。  久しぶりの疾走だったが、スピードは衰えていなかった。影にはすぐに追いついた。その影を踏み留めるようにして、眼前の人物の肩を掴んだ。僕はおそらく、怖い顔をしていた。 「ん、はいはい? ええと、どちらさん?」  振り向いた男の顔には深いほうれい線が刻まれ、頭頂部はやや薄くなっていた。けれども瞳の力は強く、あの日別れたまま少しだけ老いた、そんな表情をしていた。 「ぼ、僕だよ、(りょう)(へい)だよ。……久しぶりだね」  名乗ると、親父はやおら目を細め、僕の腕をぽんぽんと叩いて言った。 「おお、涼平かあ。久しぶりだなあ。おまえ、いくつになった?」  声も態度も、やはり親父だった。何を言っても軽いノリで丸め込まれそうな感覚。友達のようでいて、ゆとりのある器のような、そんな感覚。 「二十三になったよ。今何してるの。時間あるならちょっと話そうよ」  時計を見ると、午後二時を少し回ったところだった。 「ああ、いいとも。時間は山ほどあるさ。積もる話もあるしな。それにしてもおまえ、大きくなったなあ。うん、見違えた。いい男になったなあ」  (おも)()ゆい言葉を聞きながら周囲を見渡すと、横断歩道を渡ったその先に、レトロな感じのカフェが見えた。僕はそこを指さす。 「あそこで話そうよ。僕が(おご)るから、好きなものを頼んでよ。一時間ぐらいでいい。僕の悩みを聞いてほしいんだ」  すると親父は、どわははと笑い、 「そうあか。おまえも一丁前に悩みがあるのか。それにしても、おまえに奢られるようになるとはなあ。つい昨日まで鼻たれ小僧だったくせに」  すっと、親父が僕の手を掴んだ。  厚くて冷たい手だった。  大の男ふたりが手を繋いでいる恥ずかしさも確かにあったが、なんとなく、ほつれた糸を結び直せた気がした。
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