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「ユウヤ、今月24日のクリスマスだけど、どうする?」
デザートとして出されたチーズケーキの柔らかさを確かめるようにスプーンで押しながら、わたしは向かいに座るユウヤに少し甘え口調で尋ねた。
都心の百貨店最上階のイタリアンレストランは土曜日の夜ということもあって、そこそこ賑わっている。
二人が初めて出会ったのは去年の正に今日、12月5日。
この記念日に、わたしとユウヤは夕暮れ時からおちあい、お互いのプレゼントを買い、都心の夜景を見渡せるテーブルで交換し合った。
小さなカップに入ったコーヒーを苦そうに一口飲むと、ユウヤはいつもののんびりした様子で答える。
「そうだなあ、24日は木曜日だから、会えるとしたら、26日かな。
旅行はこの間したばかりだし、、、
あ、ちょっと待って」
そう言った後、何か慌ててブラウンのジャケットの内ポケットからスマホをだすと、素早く指先で画面をタッチする。
どうやら、誰かから電話のようだ
「あ、ママ? うん、今?アケミと一緒
え?、、、、、、、、、、、、、、、、
いや、大丈夫だよ!9時には帰るから、、、
ところで、あのさあ、、、、、、、、、」
楽しそうに電話のやり取りをするユウヤを眺めながら、わたしは、やれやれと軽くため息をついた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
ちょうど1年前の今日、失恋のショックで落ち込んでいたわたしを見かねた友人が、婚活パーティーに誘ってくれた。
わたしはいわゆるアラフォーで、一人で生きていくのが楽と感じるいわゆる「ひとりじょうず」に成りかけていたのだが、反面、結婚ということにも、まだ一縷の夢や希望を抱いていたのも事実だ。
そんな中途半端な状態で参加したパーティーだった。
トークタイムで同席したユウヤは39歳の艶やかな肌をした爽やかスポーツマンタイプで、まず見た目がタイプだった。
仕事は公務員で年収もそこそこあり、性格は穏やかで優しく、結婚相手としても申し分なかった。
─こんなに素敵な人がどうして今まで一人だったのだろう?
─何か問題とかあるのでは?
─もしかしたら、彼も「ひとりじょうず」?
等と下世話な詮索を色々したのだが、そんなことを考えても、何も進まない。
これも神様が与えてくださった一つの縁と考えて、どちらかというとわたしの一方的なアプローチから交際は始まり、今日でちょうど1年になる。
本当にわたしにはもったいないくらいの相手なのだが、一つだけ不満があった。
それは、
彼が典型的なマザコンだということ。
父親を幼いときに病気で亡くし、母の手一つで育てられたユウヤにとって母親との絆は、世界中の誰よりも強いもののようだ。
大学進学のときも、就職先を選ぶときも、人生の重大な局面を決定するときは全て、母親の意見を9割取り入れてきたらしい。
だからわたしと一緒にいるときも、全く気兼ねなく母親に連絡をとる。
この間一緒に車で旅行に行ったときもそうだった。
出発するとき、まず電話。
高速のパーキングで休憩のときに、電話。
ホテルに着いてチェックインが済んだら、電話。
ベッドに入る前には「おやすみなさい」の電話。
一度だけ、このことに対して不満らしきものを言ったことがあったのだが、子供が親を大事にすることの何がおかしいの?と、逆に説教をされる始末。
まあ、このこと以外は問題のない人だから、わたしがここだけ我慢すればいいか。
こんな条件の良い人は後にも先にも無いかもしれないし、と無理やり納得した。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「なあ、アケミ」
電話を終えたユウヤが話しかけてきた。
「今度の土曜日だけど、一度、ママに会ってくれかいかな?」
「いいよ
わたしも一度、ユウヤのお母さんに会ってみたかったから」
「良かった
じゃあ、前の日に改めて連絡するから」
そこまで言ってユウヤは「ちょっとトイレ」と立ち上がり、席を離れた。
─まあ、いずれは会わないといけない人だから、今のうちに会っておこうかな。
わたしは素直に嬉しかった。
というのは、ユウヤのこのお願いは、彼のわたしに対する信頼がより一層深まった、といえるからだ。
わたしはホッと一息つくと、テーブルに置かれたユウヤのスマホに何となく目をやった。
画面には送信着信履歴がズラリと並んでいる。
いけないこととは思ったが、わたしはそれを手に取り、改めて見た。
そこには、本日のユウヤの通信記録が時系列に並んでいる。
しばらくそれを見ていたわたしは、おかしなことに気付いた。
12月5日 17時02分 朱美
これは約束の場所に先に着いたわたしが、ユウヤに電話したときのものだ。
送受信の記録は、これが最後になっている。
─おかしいなあ、たった今、お母さんから電話があってたはずなんだけど、、、
何となく画面をスクロールする。
わたしの名前や彼の友人らしき名前とかはあるが、「母」、「母さん」、「ママ」などの名称が見つからない。
もしかしたら、違う名称で登録しているのだろうか。
例えば、下の名前とか。
いや普通、子供が母親を携帯に登録する場合、まず下の名前とかではしないだろう。
わたしは不思議に思いながら、スマホを元の位置に戻した。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
そして約束の12日の前日のこと。
翌日の予定についてユウヤから電話があったのは、深夜零時に近い頃だった。
既に床についていたわたしは、布団の中で携帯を耳にあてる。
ユウヤの声はいつもとは違い、何だか暗い印象を受けた。
「遅くなってごめん。
実はママの体調がよくなくて、今日は会社を休んで看病しているんだ」
「え!じゃあ、明日は中止にしようか?」
「そうだなあ、、、」
その時だった。
ユウヤとは別の人の声が遠くから聞こえてくる。
それは老いた女性の低く掠れた声だった。
「私だったら大丈夫だって言ってるでしょ
何度言ったら分かるの?」
どうやら、母親が離れたところから怒鳴っているようだ。
再び、ユウヤの声が聞こえてきた。
「ごめん、やっぱり明日、来てくれるかな?
ママがアケミに会いたいみたいだから」
「うん、じゃあ、何時にどこで?」
「いや、明日は一人で来て欲しいんだ」
「え!一人で?」
突然のユウヤの依頼に、わたしは驚いた。
「ママが心配だからね、、、
場所はメールで送るから」
そう言って、ユウヤは一方的に電話を切った。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
翌日、ユウヤからメールで送られてきた地図と説明を頼りに、わたしは午後4時過ぎに車で家を出た。
ユウヤが母親と住んでいるのは、隣県の郊外にある古い集合団地のようだった。
昭和の終わりに山を切り崩して建てられたであろうその集合団地の姿が山道の右前方から視界に入ってきた時、車内のデジタル時計は、約束の午後5時になろうとしていた。
太陽は彼方に見える山の端まで降りてきていて、辺りは随分薄暗くなってきている。
敷地を徐行しながら、朱色に染まるコンクリートの廃墟のような建物たちの中からユウヤの住む3号棟を探す。
見つけると、団地入口前から伸びる歩道に乗り上げ、車のエンジンを停めた。
右手に目をやると、番号のふられた駐車場が区画されている。
端の方に1台の黒い軽自動車が停まっているだけだ。
アスファルトのあちこちは地割れを起こし隙から雑草が生えているのが、何だか寒々しい。
正面に見える灰色の入口には荒れた集合ポストがある。
その下には子供用の錆びた三輪車が一台倒れていて、風でタイヤが寂しそうにカタカタ回っていた。
どうやらエレベーターは無さそうだ。
─何だか、お化けでも現れそう
ちょっと背筋が寒くなった。
わたしは携帯でユウヤに電話をする。
ユウヤはすぐに出た。
「あ、ユウヤ?今着いたんだけど、、、」
「分かった
そしたら悪いけど、階段で3階まで上がってすぐの301号に来てくれる?
鍵は開けとくから」
わたしは車を降りると、厚手の黒いコートを羽織る。
そして正面にある団地入口から入り、コンクリートの階段を登っていった。
ようやく3階まで登りきると、いきなり正面に301号の赤茶けた鉄の扉が視界に入ってきた。
「こんにちはー」と言いながら、ゆっくりドアを開ける。
ギギギという軋む音と共に空気が動き、生暖かい臭気が鼻を直撃した。
それはなんとも言えない生ゴミのような臭いだ。
─何?この臭い、、、
わたしは思わず手で鼻を覆う。
下を見ると狭い玄関口に、男物の革靴と女性用の白のパンプスが並んでいる。
「どうぞー、遠慮なく上がってちょうだい」
薄暗い廊下の奥から、女の掠れた声が聞こえてくる。
昨晩電話から聞こえたあの声だ。
「失礼しまーす」
出来るだけ明るい口調で返事をし、靴を脱ぐと、薄暗い廊下を真っ直ぐ進む。
突き当たりのドアを開けると、そこは居間のようだった。
食卓用のテーブルに椅子、その向こうのサッシ窓からはベランダの手摺越しに、鮮やかに赤く染まった鰯雲が覗いていた。
左奥のテレビからはバラエティー番組だろうか、時折けたたましい笑い声が聞こえてきて、ハッとする。
─ユウヤはどこにいるのかな?、、、
生ゴミのような臭いはさらに強まっているみたいだ。
わたしは顔をしかめた。
すると、右側の閉め切った襖の向こうからユウヤの声が聞こえる。
「アケミ、そっちにいるのか?
こっち入って来いよ」
どうやら、奥にも部屋があるようだ。
「お邪魔しまーす」
言いながら元気よく襖を開け、中を覗いた途端、強烈な腐敗臭が鼻をついた
─う!、、、
耐えられず鼻を押さえて下を向き、徐々に顔を上げていく。
それからわたしの頭が目の前の奇妙な光景を理解するのには、しばらくの時間を要した。
左手のサッシ窓から射し込む弱い西日に照らされた、8帖ほどの畳部屋。
その真ん中に、広めの座卓が置かれている
座卓の前には、ユウヤがこっち向きに正座して微笑んでいた。
彼の背後の壁沿いには布団が敷かれ、白髪の女が一人、天井に顔を向けて横になっている。
掛け布団から覗くその顔は干からびていて紫色に変色し、頬はこけ、呆けたようにぽっかりと口を開けていた。
改めてユウヤの姿を見た途端、わたしの背中はぞくりと粟立った。
何故か女物のブラウンのかつらを被り、どう見てもサイズの合わない花柄のワンピースを無理やり着ている。
顔にはかなり濃いめの化粧をしているのだが、何か変だ。
どうやら、右半分だけ化粧をしているようなのだ。
どぎつい青のアイシャドウと真っ赤なルージュをひいた顔を不自然に崩し微笑みながらユウヤが、
「ほらほら、何そんなとこにぼんやり突っ立ってるの?
あんた、挨拶も出来ないの?
だから、最近の若い娘は、、、」
まるで意地悪な姑のような口調で、わたしに愚痴を言う。
すると今度は、あたかも隣に誰か座っているかのように右に顔を向き、いつものユウヤの横顔で、
「ママ、そんなこと言うなよ
アケミは初めてで緊張しているんだから」
と、わたしを庇うように言う。
すると今度は左を向き、濃いめの化粧の横顔で、
「あなたは黙ってなさい
こういうことは最初が肝心なの!
だいたい、あなたは女というものが分かっていない
この間のチャラチャラした女のときなんか、、、」
と、また、あの低く掠れた女の声で言いかけたかと思うと、
「ママ、その話はもう止めてくれよ
それは終わったことなんだから」
と、またユウヤの横顔で右を向き、困ったような様子で遮る。
─何なの、これは?
頭の中は理解の限界を越えようとしていた。
まるで二人が言い合いをしているかのような声が飛び交う中、わたしはジリジリと後退りすると、
「ごめんなさい!」
と大声で言ってピシャリと襖を閉め、玄関に向かって全力で走った。
転がるように階段を一気に一階まで降りると、大急ぎで車に乗り込み、慌ててエンジンをかけ、思い切りバックする。
そして走りだす直前、フロントガラス越しに、ふと3階のベランダに目をやった時だ。
再びわたしの背中はぞくりと粟立った。
サッシ窓から漏れる室内からの光にボンヤリ照らされた二人がベランダに並び立ち、じっとこちらを見ている。
一人は先ほどの奇妙な風体のユウヤで、もう一人は、
白いネグリジェを着た白髪の痩せた女だった。
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