僕は君に会いに行くよ

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 古ぼけた手帳を開いて金額をかきつけていく。  五万八千七百円。  塵も積もれば山というが、正直これほどの額とは思わなかった。苦い顔でリストを作成し終わると鞄を引っ掻き回し、名刺を探した。  降りたことのない駅は緊張する。  そう考えると東京都内、降りたことのある駅より降りたことのない駅の方が圧倒的に多い。  この山手線でさえまだ降りたことのない駅が存在することに気付いて僕は自分でも驚いた。  教えられた道順をなぞり歩いていくと間口の狭い古ぼけた喫茶店があった。  入り口の横の小さなショウケースに置かれたサンプルは、昭和時代から置いてあるんじゃないかと疑いたくなるほどの色あせたほこりだらけのトーストが乗った皿とコーヒー豆を入れたカップのみで、やる気があるとは思えない。  そしてこの店を待ち合わせ場所に指定した、彼のセンスもわからない。  扉は自動ドアではなく自分で押して入る造りで、道路に面している小さな窓からは店内が暗いせいか、どんな店でどのくらい人が入っているのか様子がちっともわからない、自分一人ならまず入らないタイプの店だ。 「LA MER ラメール」と金色の細文字で書かれたガラス扉をこわごわ押して暗い店を覗き込む。  からんからんからん、扉を開けたとたん鳴り響くベルのけたたましさに身をすくめながらバタンと背後で扉の閉まる音を聞くと本当にここなのか、大丈夫なのかと心細くなった。 「いらっしゃいませ」  赤い口紅がやけに目立つ金髪に近い色の髪のおばちゃんが銀色のお盆を持ってやって来る。 「ま、待ち合わせ、なんですけど」 「ああ、いらしてますよ」  あっさり奥の席に案内される。 「よお」  メニューを眺めていた宇津木が片手を上げた。
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