にじいろカラフル

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「立花、もしかして落ち込んでる? 」 俺の顔を見た途端、林仲君が言った。ここは、落ち込んでなんてないよ‼︎と、爽やかに微笑んで見せたいところだけど、今は到底無理な話だ。 「落ち込んでるよ、落ち込んでる。もう、ありえないくらい落ち込んでる。なんなら、今すぐにでもミジンコになりたい」 「え、何でミジンコ? 」 なんとなく。そう答えて、廊下に点在しているベンチの1つに腰を下ろす。否応無しに込み上げてくるため息を必死になって押し込めながら、こんなところで(つまず)いている場合じゃない。そう、頭の中で繰り返す。 俺がどうして落ち込んでいるのか——その理由を察している林仲君は、根掘り葉掘り詮索したりしない。その優しさが、たまに辛いと感じる時がある。今は、もれなくその時だ。 どうした、どうしたって言って欲しい気持ちに蓋をする。甘ったれな自分から早く卒業したいからね。  何も気にしていない風を装って、たいして凝り固まってもいない肩を揉んでいる林仲君に、努めて明るく声をかける。 「あ、そういえば、さっき林仲君の油画見たよ。今回のモデルの女の人めちゃくちゃ綺麗だね」  俺の問いかけに、林仲君の顔がぱぁっと明るくなる。あのモデルさんのこと、よっぽど話したかったんだな。いつもはクールなのに、今日はちょっと可愛い感じがする。林仲君の新たな一面を発見っ。 「そうだろ? 彼女は僕のミューズなんだ。やっと出逢えた。そう思ってるよ」 「ミューズ? 」 「そう。彼女と一緒にいると、創作意欲が湧くんだ。彼女のちょっとした仕草や笑う声。いや、彼女という存在が僕に様々なインスピレーションを湧き上がらせるんだ。僕はもう彼女なしでは生きられないと思う。あ、でも勘違いしないでよね。恋人とは別物だから」 ミューズといっても、有名な薬用石鹸のことではなかったらしい。あの綺麗な人は林仲君のミューズ。彼女なしでは生きられないとさえ言わせる程、彼の創作に必要な人。 なるほど、そうか。提出する度に低迷していく課題の評価。それに追い打ちをかける様に消え去っていくモチベーション。今のこの状況を打開するにはミューズが必要なんだ。インスピレーションの源……ミューズ‼︎ 「ミューズね。いいこと聞いた。いつもいつも貴重な情報をありがとう林仲君。やっぱり人生の経験値が高い人は言うことが違うね」 「そんなに経験値は変わらないと思うけど? 恋愛に関しては立花の方が断然上だしね。まぁ、少しでも役に立てたのなら嬉しいよ。立花はとりあえずミジンコのことでも調べてみたら? 」 「何故、ミジンコ? 」 「いや、さっき自分で言ってただろ。あの透き通った丸いフォルムといい、両腕を同時に振って泳ぐ面白いスタイルといい、何かを閃かせてくれそうな気がしない? 」 「まぁ、確かにそんな気がしないでもないけど。絵画ならともかく建築にミジンコを取り込むって難易度高いよ。それに、俺も林仲君みたいに美人のミューズが欲しいな。こんなこと言ったら、ミジンコに失礼かな」 ミジンコミューズ説をやんわりと否定すると、林仲君は吹き出すように笑い 「ミジンコに謝れよ」  そう言った。 その後、ミジンコの目は左右が融合した複眼で、真正面から見ると一つ目のお化けの様に見えるという、これまた貴重な情報を残し 「ミューズが来る時間だから」  と、足早にアトリエに戻って行った。 林仲君の背中を見送った後、無意識のうちに握りしめていた課題を粉々に破いて、校舎の吹き抜けからばらまいた。雪みたいにとはいかなかったけれど、なかなかに綺麗だった。  その後、舞い散った紙切れを全て回収させられたのは言うまでもない。
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