雪椿

2/2
前へ
/2ページ
次へ
 彼女は、雪の降り積もる景色が見たいと言うが、今から数時間でそんなに降り積もるかは分からない。だけど、今年初めて降る雪は勢いがありそうだ。雪が降り積もるまで時間がかかると思い、僕たちは遅めの昼食を摂ることにした。少女も昼食を食べずに病院を出て来たという。  「わぁ!メニューがいっぱい!入院中の食事って、すごく物足りないから、感動するわ」 「入院中の食事ってどんな感じなの?」 「予算をケチってるから、お肉なんて少ししか出ないわよ。だから、今日は、お肉を食べたいの……ハンバーグにするわ」  威勢よくハンバーグと無量の大盛りライスを頼んだ少女だったが、半分以上残していた。 「うう〜。こんなに食べれないなんて……」 僕はステーキを平らげ 「大盛りにしなきゃよかったじゃん。入院して胃が小さくなってるんだよ」 そう言うと彼女は悔しがっていた。 「そういえば、名前なんて言うの?」 ずっと名前を聞いていなかったことに気づいて、今更、名前を尋ねた。 「私は、椿(つばき)。冬に咲く花の名前なの。だから、冬に憧れていてね。椿って呼んでいいわよ」 「そうか。椿って言うんだ。僕は、健人。名前の通り健康だけが取り柄なんだ。椿みたいに入院もしたこともないから、椿が心配だよ」 お互いに自己紹介すると椿が驚いた顔をした。 「健人?もしかして、幼稚園の頃、私がハンカチを貸した男の子?」 「ハンカチ?僕は幼稚園の頃から白いハンカチを使ってるけど、関係あるのかな?」 そう言うと、雪の結晶の模様のついた真っ白なハンカチを僕は取り出した。 「それ、私のハンカチよ。雪の結晶のついたお気に入りだったの。まあ、いいわよ。気に入ってたハンカチだから同じものを買ってもらったし。そんなことより幼稚園一緒だったのね」 「そうかもしれないけど、よく覚えてないなぁ。引っ越す前だったから」 「健人はよく鼻水垂らしてて、ティッシュの使い方がわからないから、私のハンカチで鼻をかんでいたわよね。私は、その度に泣いていたわ」 「アハハ。そうだっけ。ごめんごめん」 「あの時は、まだ私が病気になる前だったわね」 そんな雑談をしていると、外は雪景色になっていた。僕たちは、外に出た。  いつもの街は、すっかりと銀世界になっていた。降り積もった雪には、足跡が幾重にも交差していた。夜になった白銀の街では、暖色の街灯が暖かな光で行き交う人々を照らしていた。 「わぁ……綺麗……」 椿は、美しい雪の街に見惚れていた。しかし、儚げに白い吐息に震えている彼女は、少し苦しそうにも見えた。 「大丈夫?苦しそうに見えるけど」 「ちょっと寒くなってきちゃったからね」 「もう、18時すぎちゃったよ。病院に帰らないと」 「うん。でも、もう少し、雪の街を見ていたいな……」 椿は、辛そうに、願うように、呟いた。 「それなら、帰りながらでも見れるだろ?」 「そうだね。ゆっくり帰ろう」  雪は視界を埋めるほど激しく降り続けている。雪の降り積もる街を歩く、少女の足取りはふらふらと危うげで、倒れそうになる彼女を何度か支えながら歩いた。だんだん、椿は、歩けなくなっていき、僕は、完全に彼女を支えながら歩くことになった。しかし、椿は、誰にも踏まれていない新雪の上で倒れてしまった。 「ごめんなさい。私、もう歩けない」 「こんなところで寝てると風邪ひいちゃうよ」 「こんなに雪が降るとは思わなかったわ。雪って冷たいのね」 そう言うと彼女の白い吐息はだんだんと小さくなっていった。雪が、椿の顔に降り注ぎ、彼女は苦しそうにした。僕は、椿がくれたという雪の結晶の模様の白いハンカチで、彼女の顔を拭く。すると椿が掠れた透明な声で呟いた。 「私たち、雪の降らないところに住んでたから、いつか、一緒に雪を見ようねって約束したよね……私、健人と雪を見れて嬉しかった……」 そう言い終わると、椿の呼吸が止まった……僕は焦った。 「椿、死んじゃダメだ!雪を見れたくらいで、人生の目標を果たしたことにはならない」 椿の返事はなかった。手元には白い布……椿を抱き抱え、病院へと走った。 「そんなに走ると、揺れちゃって、気持ち悪いわよ。ちょっと死んだふりしただけだから大丈夫。私は、ちょっと体が弱いだけなんだから。健人が暖めてくれれば治るわ……」 少し眠そうに椿は言った。僕は椿を抱きしめた。しかし、椿はどんどん冷たくなっていく。椿の心臓は停まっていた。僕は、椿を何度も暖めた。でも、椿は息をしなかった。僕は椿を雪の上に寝かせて、顔の上に白いハンカチを被せた……臨終だからではない。雪が顔にかからないようにだ……椿を抱えて走ったら、彼女の容体が悪化する。だから、僕は、医師を呼んで、椿を治してもらうことにした。  まだ、きっと助かる……そう信じて、暗い吹雪の中、僕は駆け出していた。  足元の雪道には、狂い咲いた赤いツバキの花が、儚く散っていた。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加