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彼女は、雪の降り積もる景色が見たいと言うが、今から数時間でそんなに降り積もるかは分からない。だけど、今年初めて降る雪は勢いがありそうだ。雪が降り積もるまで時間がかかると思い、僕たちは遅めの昼食を摂ることにした。少女も昼食を食べずに病院を出て来たという。
「わぁ!メニューがいっぱい!入院中の食事って、すごく物足りないから、感動するわ」
「入院中の食事ってどんな感じなの?」
「予算をケチってるから、お肉なんて少ししか出ないわよ。だから、今日は、お肉を食べたいの……ハンバーグにするわ」
威勢よくハンバーグと無量の大盛りライスを頼んだ少女だったが、半分以上残していた。
「うう〜。こんなに食べれないなんて……」
僕はステーキを平らげ
「大盛りにしなきゃよかったじゃん。入院して胃が小さくなってるんだよ」
そう言うと彼女は悔しがっていた。
「そういえば、名前なんて言うの?」
ずっと名前を聞いていなかったことに気づいて、今更、名前を尋ねた。
「私は、椿。冬に咲く花の名前なの。だから、冬に憧れていてね。椿って呼んでいいわよ」
「そうか。椿って言うんだ。僕は、健人。名前の通り健康だけが取り柄なんだ。椿みたいに入院もしたこともないから、椿が心配だよ」
お互いに自己紹介すると椿が驚いた顔をした。
「健人?もしかして、幼稚園の頃、私がハンカチを貸した男の子?」
「ハンカチ?僕は幼稚園の頃から白いハンカチを使ってるけど、関係あるのかな?」
そう言うと、雪の結晶の模様のついた真っ白なハンカチを僕は取り出した。
「それ、私のハンカチよ。雪の結晶のついたお気に入りだったの。まあ、いいわよ。気に入ってたハンカチだから同じものを買ってもらったし。そんなことより幼稚園一緒だったのね」
「そうかもしれないけど、よく覚えてないなぁ。引っ越す前だったから」
「健人はよく鼻水垂らしてて、ティッシュの使い方がわからないから、私のハンカチで鼻をかんでいたわよね。私は、その度に泣いていたわ」
「アハハ。そうだっけ。ごめんごめん」
「あの時は、まだ私が病気になる前だったわね」
そんな雑談をしていると、外は雪景色になっていた。僕たちは、外に出た。
いつもの街は、すっかりと銀世界になっていた。降り積もった雪には、足跡が幾重にも交差していた。夜になった白銀の街では、暖色の街灯が暖かな光で行き交う人々を照らしていた。
「わぁ……綺麗……」
椿は、美しい雪の街に見惚れていた。しかし、儚げに白い吐息に震えている彼女は、少し苦しそうにも見えた。
「大丈夫?苦しそうに見えるけど」
「ちょっと寒くなってきちゃったからね」
「もう、18時すぎちゃったよ。病院に帰らないと」
「うん。でも、もう少し、雪の街を見ていたいな……」
椿は、辛そうに、願うように、呟いた。
「それなら、帰りながらでも見れるだろ?」
「そうだね。ゆっくり帰ろう」
雪は視界を埋めるほど激しく降り続けている。雪の降り積もる街を歩く、少女の足取りはふらふらと危うげで、倒れそうになる彼女を何度か支えながら歩いた。だんだん、椿は、歩けなくなっていき、僕は、完全に彼女を支えながら歩くことになった。しかし、椿は、誰にも踏まれていない新雪の上で倒れてしまった。
「ごめんなさい。私、もう歩けない」
「こんなところで寝てると風邪ひいちゃうよ」
「こんなに雪が降るとは思わなかったわ。雪って冷たいのね」
そう言うと彼女の白い吐息はだんだんと小さくなっていった。雪が、椿の顔に降り注ぎ、彼女は苦しそうにした。僕は、椿がくれたという雪の結晶の模様の白いハンカチで、彼女の顔を拭く。すると椿が掠れた透明な声で呟いた。
「私たち、雪の降らないところに住んでたから、いつか、一緒に雪を見ようねって約束したよね……私、健人と雪を見れて嬉しかった……」
そう言い終わると、椿の呼吸が止まった……僕は焦った。
「椿、死んじゃダメだ!雪を見れたくらいで、人生の目標を果たしたことにはならない」
椿の返事はなかった。手元には白い布……椿を抱き抱え、病院へと走った。
「そんなに走ると、揺れちゃって、気持ち悪いわよ。ちょっと死んだふりしただけだから大丈夫。私は、ちょっと体が弱いだけなんだから。健人が暖めてくれれば治るわ……」
少し眠そうに椿は言った。僕は椿を抱きしめた。しかし、椿はどんどん冷たくなっていく。椿の心臓は停まっていた。僕は、椿を何度も暖めた。でも、椿は息をしなかった。僕は椿を雪の上に寝かせて、顔の上に白いハンカチを被せた……臨終だからではない。雪が顔にかからないようにだ……椿を抱えて走ったら、彼女の容体が悪化する。だから、僕は、医師を呼んで、椿を治してもらうことにした。
まだ、きっと助かる……そう信じて、暗い吹雪の中、僕は駆け出していた。
足元の雪道には、狂い咲いた赤いツバキの花が、儚く散っていた。
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