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第十一話
「ねぇ、れいこ。ねぇ!」
夜が明けようとしている。
れいこはというと、死んだように眠っていた。
いつもひとしきり興奮しつくすと、子供のように深い眠りに落ちてしまう。
今回は興奮の度合いが違ったので眠りもことさら深いのだろう。
毎度ながらゆりはこれに呆れていた。
だが呆れている反面、ゆりはそれがとても好きだった。
れいこの頬を触っても身体中を触っても起きないし文句ももちろん言われない。
「可愛い。動物園の豹みたい。」
動物園という例えは彼女なりの皮肉であり、豹という例えは誰よりも美しさを認めているということであろう。
「私だけが知っている、れいこ。本当のれいこを知っているのは私だけでいいの。」
暫くれいこの髪を触って戯れる。
「私たち誓ったわよね。あの日。あの夜。教会で。私と貴女は特別。貴女とずっと一緒にいるわ。本当のれいこを私だけが知っているの。」
そうして、ゆりは何度もれいこの頭を撫でる。
「あーあ、私も頭がおかしくなったのかも!!」
ゆりは自分の髪の毛を整え制服をなんの乱れもなく着た。
「またね、れいこ。」
手を振りながら彼女はれいこの部屋を後にしたのだった。
「ん・・・?ゆり・・・?・・・いない?・・・あいついい度胸ね。私を置いていくなんて。」
れいこは、うーんと背伸びをすると、洗っている制服をもう一着出してきてそれに着替えた。
「あー。シーツぐちゃぐちゃ。面倒だから捨てるか。」
後先の考えなく衝動に走るのは悪い癖だと思っているが、それが長所でもあるとれいこは思っていた。
兎にも角にも、今は朝。学校に行かねばならない。
勿論、優しく清らかな大天使様として。
「ミカエル様!おはようございます!!」
「おはようございます!ミカエル様!!」
「おはよう、みなさん。」
羨望の眼差しの女学生たち。
優しさに満ち溢れた麗しいミカエル様。
いつもの朝の光景である。
「み、ミカエル様!!おはようございます。昨日は・・・私。」
そう言ってれいこの前に出てきたのは、山代みちるである。
みちるはひたすら頭を下げ続ける。
「あら、山代さん。おはよう。ごめんね。昨日は私もイライラしていたみたい。許してね。」
「ミカエル様・・・。」
よかった。いつものミカエル様だわ。
みちるは安堵して、れいこを見つめた。
だが、れいこの苛立ちは全部収まったわけではないらしい。
みちるの頭を撫でると、耳元でこう言い加える。
「今度、同じ事言ったら・・・貴女、本当に捨てるわよ。」
「あ・・・。」
怯えるみちるの肩をぽんっと叩くと、れいこはまたあの微笑み。
「山代さん、いつものように鞄、持ってくださらない?」
「は・・・はい・・・。」
みちるは、いつものようにれいこの鞄を持つと三歩後ろからついていく。
これも何もかも徳島すみれが悪い。
あの子が全部悪いのよ。
ただその憎悪だけがみちるの心に募っていくのだった。
同刻。
すみれとなおは談笑しながら登校していた。
すみれは昨夜、なおにたくさん遊んでもらったので上機嫌だった。
「昨日、楽しかった!私、あの遊び好き。」
「よかった。すみれ、またしようね。」
笑顔のなおを見てすみれの機嫌もさらに良くなる。
その時だ。
すみれは、はたと足を止める。目線の先には、『大天使ミカエル様』・・・いや、『れいこさん』が歩いていた。
れいこは、笑顔で女学生たちの挨拶に応えている。女学生たちはそれを羨望の眼差しを送り騒ぐ。
れいこさん・・・やっぱり綺麗だな。カッコいいな。
みんなにも優しい笑顔で挨拶して素敵。
でも、私、れいこさんに名前で呼ばれている。名前でれいこさんのこと呼んでいる!
これってきっとすごいことなのよね!!
そんなことを考えながらじっと遠くにいるれいこを見ていると、なおはそれに気づいてすみれの手をぎゅっと握った。
「すみれ、昨日のことまた忘れていない?」
「あ・・・。」
「もうあの人を見ちゃ駄目、近づいては駄目。わかった?」
「う、うん。わかってる。」
なおは、すみれの手を引っ張って連れて行こうとする。
最後にちらりとだけすみれは、れいこを見つめた。するとその気配に気づいたのか、れいこもすみれを見つけて微笑んだ。
しかし、すみれは自分を無視して行ってしまう。
見ていたと思っていたけれど、私の気のせいだったのかしら。
不思議に思いながらもれいこは、余裕のある気持と表情であった。
なぜなら、すみれは絶対に自分のことが好きだから。
そう彼女はまた得意の勝手解釈をしたのであった。
数日後。
おかしい。
それにしてもおかしい。
れいこは自分の教室で珍しく足を組みながらイライラしていた。
「もしかして嫌われたの?」
自分の言葉を代弁するかのように、ゆりがのぞきながらそう言った。
ゆりはれいこと同じクラスで他の生徒からは天上クラスと呼ばれている。このクラスになった人はまこと光栄なことだと言われていた。
ただ、れいこにとってゆりと同じクラスなんて人気は二分されるし、嫌味を言われるし、鬱陶しいだけであったが。
「なによ、ゆり。」
「この頃、ぜーんぜん来ないんじゃないの?あの子。すれ違っても挨拶もしないし。」
「そういうことはよく見ているのね。」
「楽しいから。」
「性悪女。」
れいこは頬杖をつきながら、そっぽを向く。
「あーあ、ミカエル様、拗ねちゃった。」
れいこのイラつきは頂点に達して、ゆりの手の甲を思いっきり抓った。
「いたっ!何するのよ!!」
「あーあ、ガブリエル様、怒っちゃった。」
やられたらやり返すのがれいこ。
そこが、また子供じみているところである。
彼女はなんだかんだと人を馬鹿にして見下しているくせに、そういうところは子供から成長してないように見える。
ゆりは、ゆりでイラつきが頂点に達したらしく、悪態をつき始める。
「ばかっ!!」
「ばーか!!」
「何よ!?この淫乱ドS女!!」
「なんですって!?この変態ドM女!!」
「れいこは、鞭を持って場末のSMショーに出れば?さぞかし人気が出るでしょうね!!」
「ゆりこそ、男どもに腰振ふりまくるそいう女優になればいいのよ。さぞかし人気が出るでしょうね!!」
「ばか!ばーか!!」
「ばーか!ばーか!!ばーか!!!」
こうなっては二人を止められない。まさに子供の喧嘩のように低俗な争いをする。
だが、そこは大天使様。心得てはいる。
鉄壁の笑顔で言い合いをしているので、周りから見た生徒たちにとっては、“麗しい大天使様がお二人でお話をされている。きっと、私たちには到底理解が及ばない知的なお話しされているのだわ”と思わせてしまう、なんとも下らない現象になっていた。
確かに到底理解が及ばない内容なのは当たっている。
「あー!!イライラする!!私、外の空気吸ってくる。」
「れいこのせいで教室の空気がよどむからさっさと出ていきなさいよ。」
れいこは、むすっとしながら立ち上がる。
すると女学生たちがまるでモーセが海を割ったかのように、さっと分かれてれいこの歩く道を作った。
それをれいこは当たり前のように歩き教室の扉まで来ると、ゆりに振り返ってにこっと微笑んだ。
「ごきげんよう、早見さん。」
それに対して、ゆりも手を振って応える。
「ええ、ごきげんよう、犬飼さん。」
そのあとの教室には女学生たちの憧れを含んだため息の音だけがこだましていた。
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