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第八話
「ミカエル様を名前で呼ぶなんて。遠慮するべきなのに。どういう神経なのかしら!」
すみれを帰るのを見届けた後、嫌悪に満ちた目でみちるが悪態をつく。
それに対して、れいこはいつもの鉄壁の笑顔で言う。
「ねぇ、少し黙ってくれない?」
表情は笑っているのに、声はいたって穏やかなのに、みちるは凍りついた。
「すみません、私っ・・・!!」
そう言うみちるの言葉を遮るようにれいこは彼女の唇に人差し指を当てる。
「ねぇ、黙ってって言ってるよね。」
笑顔はいつものミカエル様なのに、こんなにも彼女を怖いと思ったことはない。
みちるが目に涙を浮かべようとも、れいこは拭ってはくれないし、ましてや可愛いなんて言ってくれない。
恐ろしい、悲しい、そして悔しい。
沢山の負の感情が押し寄せてきてみちるが肩を震わせていると、れいこは、吐き捨てるように言う。
「いつもはね、貴女のそういうところが好きなのだけれど、今はとても鬱陶しい。」
そして、みちるの肩を冷たくぽんと叩くと彼女に背を向けた。
「今日はここまでにしましょう。私もこれ以上貴女を嫌いになりたくないし。」
れいこは、みちるに振り返ることなく帰っていく。
その姿をみちるはなすすべもなく、ただ見つめるしかない。
ミカエル様はどうして私にこんなことをおっしゃるの?
どうしてこんな仕打ちをなさるの?
みちるはふつふつと怒りが込み上げてきたが、決してその矛先はれいこではない。
すべては、あの子が、徳島すみれが悪いのだ。
今まで築いてきたれいことみちるとの関係をすべて壊した挙句、か弱い可愛い子を装ってれいこを騙そうとしている。
ずっとそばにいるのに名字でしか呼んでくださらない。
それをあの子は・・・。
なんて、汚い、いやらしい、最低な人間。
今まで、れいこに清らかな思慕の念でずっと接していたみちる。勿論、日常においても彼女は品行方正狂いのない優しい女の子であった。
だが、今、抱いたこともない恐ろしいほどの憎しみの感情が彼女の中に渦巻いている。
「徳島すみれ、絶対に許さない。私は貴女を絶対に許さない。」
みちるは悔しさに涙をにじませながらそう何度も言い続けたのだった。
「貴女。知ってる?可愛い子うさぎちゃんは一人ぼっちで寂しくなると死んじゃうのよ?」
温室を出ようとするれいこの背後から、聞き覚えのある声で言われた。
見ると、そこには麗しい大天使ガブリエル様が立っていた。
「何よ、ゆり。見てたの?」
「だって面白いのだもの!!貴女たち!!」
ゆりは、またいつぞやの嫌味な笑いをする。
「私の知ったことじゃないわ。勝手に死ねばいいのよ。そうしたら代わりを見つけるまでだし。」
「こわぁ~い。大天使なんて嘘もいいところね。」
「五月蠅い。」
煩わしく感じたれいこがゆりを無視して行こうとすると、彼女はれいこの前に躍り出た。
「子うさぎちゃんは、置いておいて。あの子?貴女のお気に入りは。」
すみれの話題になると、途端にれいこの目は輝き出す。
「見た?見た?あの子、とてもとても可愛いでしょ?」
「そうね。それ以上に貴女が好きそうな顔だわ。」
「そうなのよ!何も知らない純粋な子。そんな可愛さがあるのよね。そんな子をよ!あー、乱したい滅茶苦茶にしたい壊したい!!」
1人で盛り上がるれいこにゆりはうんざりしながら冷めた目で見る。
「本当に最低な女。」
「最高の褒め言葉ね。あぁっ!もう!思い出してきたじゃない!聞いた?あの子、震えながら私のこと、れいこさんって呼んだのよ。あぁ、可愛かった!あの目、見た?たまらない!はやく、私のものにしたい。あぁぁ、どうしよう!壊したい!壊したい!!壊したい!!!」
恍惚とした表情でれいこは両手で顔を覆う。そしていきなりゆりに口付けた。
「ちょっ!ちょっと!こんなところでやめてよ。誰かに見られたら・・・。」
「いいのよ、見られたって。私は今それどころではないの。私の部屋に来なさいよ。」
「はぁ!?い、嫌よ。このままだと、また私を道具みたいに滅茶苦茶にするんでしょう!?」
すると、れいこはゆりの腕を掴んで自分に思い切り引き寄せる。
「いつもならね。でも今は違うの。私が滅茶苦茶になりたいの。」
れいこは、そう言うと制服の袖を捲り自分の腕にゆっくり舌を這わせた。そしてそのまま自分の指を舐めて陶酔しきった顔をする。
その仕草がその表情が、この上なく官能的で、ゆりは恐ろしささえ感じた。
整った美しい顔が欲にまみれ壊れていく様はこれほどまでに恐ろしく、人をどれほど惹きつけるのか、計り知れない。
彼女が今以上に乱れたら、どんなに美しいことかと、そして自分はその美しさに耐えられるのだろうかと、ゆりは身震いをする。
でも、だからこそ。
「いいわ、見てあげる。貴女が滅茶苦茶になる様を。私だけがそれを見てあげる。」
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