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第一話
“どこへ逃げようとも、不運につきまとわれる身です。
どこに腰を下ろそうとしても、不運が近づいてくるのです”
ニーベルングの指輪 ヴァルキューレ第一幕より
終わりのない夢をずっとみている。
それはいつも繰り返しでずっと同じ。誰かが終わらせない限り永遠に繰り返す。
昨日は剣のけいこを、明日はダンスのれんしゅうを。
今日は、おじさまとひみつのへや。誰とも知らぬ人と、ひみつのへや。
週末には薔薇を飾ろう。母さんの好きな薔薇を。
赤薔薇、黄薔薇、黒い薔薇。
砂糖抜きの紅茶にワルツの第三番。硝子細工と七色に光る宝石たち。
舞踏会の夜は朝までおしゃべり。
なんてすてき!みんな大好きなものばかり!!
次は何?
あぁ、そうか、世界を壊さなきゃ。
世界も家族も僕も思い出も、
ぜんぶ。
母さんが嫌いなものは全部壊さなきゃ。
大丈夫。
僕は母さんの言うとおりのいい子になるよ。
だから母さん、
おねがい、僕を・・・・・・僕を愛してね?
今、ヴァルハラ家は薔薇祭の真最中である。湖を眼下に見下ろす丘にそびえ建つ白亞の城は、百万の薔薇にうめつくされて盛大なパーディーが催されていた。
薔薇祭というのは、人の死後四年経つと行われるヴァルティ特有の魂送の儀式である。ヴァルティは人の魂というものは死後四年この世に留まり、それから天上に旅立つものだと考えていた。そして魂が天上へ旅立つ際、家中を薔薇の花で飾り立て血縁の者や生前の友人を招いてパーティーを催し、華やかに故人の魂を送り出すのである。ヴァルティは、“昇天することはめでたいこと”という概念を持っているようである。
今回、このヴァルハラ家で送り出される魂はもちろんエルダなのであるが、彼女は一国の長だっただけあり、その薔薇祭の絢爛豪華さは類を見ないほど素晴らしいものであった。
ヴァルハラ城の大広間。そこではダンスパーティーが開かれており、管弦楽の調べと共に美しく着飾った紳士淑女たちが優雅に踊っていた。
ここにいる人々は皆、王族や由緒ある貴族たちばかりである。他の国々の王家に比べ特殊な位置にあるヴァルハラの城には“選ばれし者”しか入ることができない。逆に言うと、ヴァルハラの城に招かれるということは大変名誉なことであり上流階級者たちの特権、ステータスでもあった。
そんな名誉ある貴族のご婦人方の何人かは踊り疲れたのか、はたまたそれが本日の真の目的であったのか、大広間のに集まって世間話に華を咲かせていた。
「サラ様は相変わらずお美しいわね。白いドレスがよくお似合いだこと。」
派手に着飾った一人の貴婦人がうっとりしながらそう言うと、隣にいる頭に大きな羽飾りをつけた貴婦人は、
「ええ。サラ様は私達ネオの誇りですわ。」
と、答えた。すると水色のドレスを纏った貴婦人は、ふふっと笑った。
「みなさん、今日の主役はエルダ様ですわよ。サラ様の話ばかりしていては、嫉妬深いエルダ様が怒りますわ。」
それを聞いて皆、“どうしましょう!”と口々に言いながら扇子を広げて笑い合う。
「そういえば、今日はジークフリート様もお見えの様よ。」
太った貴婦人がそう言うと、羽飾りの貴婦人は、「まあ!」と思わず声を上げた。
「私、実は今まで一度もジークフリート様のお顔を拝見したことがありませんの。」
「私もよ。弟のジークムント様とは違って、滅多に公共の場にはお顔をおだしになりませんものね。」
「何でもお体が弱いとか・・・。」
「でも、今日はお母様の薔薇祭ですものね。」
ジークフリートという言葉を聞いて、貴婦人達は一気に盛り上がった。その中でも羽飾りの貴婦人は興味津々と言った様子で、太った貴婦人に質問を投げかける。
「貴女は一度、拝見したことがあるのでしょう?どのような方でいらして?エルダ様に似てお美しい方だと聞くけれど・・・。」
「ええ、ええ。それはもう・・・・・・あら?噂をすれば・・・・・・ほら、御覧なさい、あの方がジークフリート様よ。」
それを聞き、貴婦人達は一様に彼女の見ている方向に目をやった。
「まぁ・・・。」
女達の目線の先には貴婦人の手をとり、正に今踊らんとしている青年の姿があった。
漆黒の髪にどこか愁いを帯びた紫の瞳。白磁のごとき肌に薔薇色の唇。白い軍服が映えるその美しい容姿は、さながら彫刻のように完璧である。
この青年こそ、エルダとエドガーの子にしてディアトスの第一王子、ジークフリート・ヴォルフェ・ヴァルハラである。
「あぁ・・・素敵ですわ。」
「ダンスの相手は・・・ウエズリー夫人!!」
「さすがのジークフリート様もウエズリー公爵夫人の誘いは無下にできませんものね。」
「羨ましいわ!」
貴婦人達は興奮して次々に口を開く。
しかしジークフリートが一度踊り始めると、先程までの盛り上がりは一転して水を打ったように静まり返り、その姿を羨望のまなざしで見つめた。ジークフリートを見つめていたのは何も彼女達に限ったことではない。その広間にいる多くの人々が恍惚として彼の姿を追っていた。
ジークフリートが舞踏する様は、まるで花びらが宙を舞うか如く美しく軽やかで人々を魅了した。しかしそれでいても彼の表情はなおも虚ろであったが、かえってそれが人々の心を動かした。
この美しい時は夢のように過ぎて行き、曲の終わりと共にジークフリートが踊り終わるとあちこちから拍手が沸き起こった。
ジークフリートはそれを聞いて、はっと我に返る。そして辺りを見回し、その拍手が自分へ向けられているものだとわかると苦笑いをしてうつむいてしまった。
しかし、人々は猶も羨望のまなざしで彼を見ている。その視線が重く、苦しく、いてもたってもいられなくなってジークフリートは軽く皆に会釈すると逃げるかのようにして広間から出て行った。
「ああ、また行ってしまわれたわ。」
残念そうに水色のドレスの貴婦人が言うと、続いて羽飾りの貴婦人がため息まじりで口を開く。
「素敵でしたわ・・・ウエズリー夫人もお美しい方ですけれど、ジークフリート様はもっとお美しかったわ。」
「そりゃあ、薔薇の恋人の息子ですからね。」
急に貴婦人達の後ろから男の声が聞こえた。
彼女達は驚き、皆一斉に振り返る。
するとそこには、一人の若い男がにこにこしながら立っていた。
金髪に深い緑色の目、鼻筋の通った端正な顔立ち。一般的なヴァルティ顔の特徴を兼ね備えているといったところだろうか。彼を見るなり、貴婦人達は黄色い声を上げた。
「まあ!ヴァルター様!?ヴァルター様もいらしていたのね!」
「お会いできて光栄ですわ!」
「素敵!ヴァルター様にもお会いできるなんて!!今日はよい事尽くしですわ。」
貴婦人達に騒がれているこの男の名前はヴァルター・アデナウアーといい、職業は小説家兼詩人である。
彼はヴァルティであったが、詩の美しさ、そしてその容姿があいまって貴族の女性たちの間で人気を博していた。若い娘達は、己が国の歴代の王の名前は言えずとも彼の物語の登場人物の名はすべて言えたし、嫁いだ女性の大半の嫁入り道具の中には彼の本があるというほど彼の人気は高かった。
もっとも、人気があるのは女性達の間だけであり、男性達は専ら彼を嫌悪していたのだが。
エルダはヴァルターの詩を他の女性たち同様にいたく気に入っており、生前彼をよく城に招いていた。
「こちらこそ、お会いできて光栄ですよ。レディ。」
そう言うとヴァルターは、手馴れた手つきで貴婦人達一人一人に握手していく。
「ヴァルター様は、ジークフリート様に何度かお会いしたことがあるのではなくって?」
一人の貴婦人がそう尋ねると、ヴァルターは笑顔で答えた。
「ええ、まあ。エルダ様が生きておられた頃に何度か。でも、あの頃はジークフリート様も幼かったですから・・・・・・。今日見て驚きました。立派になられたものだ。ますます母上に似て美しい。」
「本当に似ておられますわよね。私、はじめて見た時に驚きましたわ。薔薇の恋人と謳われたエルダ様そのものですもの。」
それを聞き、ヴァルターは、ふむと口に手を当てる。
「エルダ様そのもの・・・ね。・・・・・・それならば、彼もまた薔薇の恋人!これは実に面白い!!」
「まぁ、ヴァルター様、一体何が面白いというのですか?」
するとヴァルターは両手を広げ、少しおどけながら言った。
「薔薇の恋人ですよ?世界が放って置くわけがない。ましてや、あの奸婦が頬って置いたわけがない!そうでしょう?」
これは面白くなってきたと、一人で盛り上がるヴァルターを横目に貴婦人達は全く理解できないといった様子でお互い顔を見合わせた。
この一風変わった男、ヴァルター・アデナウアーとジークフリートが再び出会い言葉を交わすのはもう少し先のことになる。
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