私の恥ずかしい話

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私が5歳の頃の話である。 *** 「ユイちゃん、”どっぺるげんがー”って、知ってる??」 保育園の自由時間、一緒に砂遊びをしていたミホちゃんが話してきた。 今の私なら、ドッペルゲンガーが何なのか知っている。けれども、当時の私にとってその言葉の響きは新鮮だった。 「なにそれ?」 「あのねー、自分と同じ顔の人のことをいうんだって!それでね、”どっぺるげんがー”を見た人は死んじゃうんだって!!」 「えー、死んじゃうの……」 当時の私は身震いしたものだ。 死というのはどういうものか、私はこの年齢で理解していたのだ。 「でもね、どっぺるげんがーに会っても、悪口を言ったら助かるんだって!!」 ミホちゃんは笑いながら言った。 彼女はこういう怖い話が幼い頃から好きだったのだ。 現在、高校のホラー研究会に所属しているのもそのせいである。 一方の私は笑えなかった。 怖い話を聞いたせいで、その後のお昼寝の時間に、自分のドッペルゲンガーと出会った夢を見てしまった。そして、おねしょをしてしまい、先生に迷惑を掛けてしまった。他の園児には笑われてしまった。そのときの恥ずかしさは、今でも鮮明に覚えている。 保育園が終わり、私はお母さんに迎えに来てもらって、家に帰った。 家に帰ってからも、私はドッペルゲンガーの話で頭がいっぱいだった。 ーーードッペルゲンガーに会って死んじゃったらどうしよう。 大好きなお父さんとお母さんと離れ離れになっちゃう。 保育園とのお友達とも遊べない。 嫌だ。嫌だ。 私は、うわーーん!!と泣き出してしまった。 それに驚いたお母さんが、晩御飯を作る手を止めて、私に駆け寄ってくれた。 「どうしたの??どこか痛いの?」 お母さんが私の背中をさすった。 「ちがう……ちがうよ……」 私は首を振った。 「じゃあ、何で泣いているの?」 ちょうど、「ただいま」と玄関から聞こえた。お父さんである。いつもは仕事が忙しくて帰るのが遅いが、たまに早く帰って来るときもある。 「ただいま。……って、結衣!?どうしたんだ!?」 リビングに入ってきたお父さんが、私の泣く姿を見て、これまた驚いている。お母さんよりも。 「何かあったのか?保育園でいじめられたのか!?」 お父さんは、私を抱っこしてくれた。 「うう……ちがうよ……」 私は涙をポロポロと流す。お父さんの高級なスーツが涙まみれになってしまったけど、お父さんは怒らなかった。 「大丈夫、落ち着いて。ゆっくりで良いから話してごらん」 お父さんの眼差しは温かった。 私は、泣いて途切れ途切れになりながら、ミホちゃんから聞いたドッペルゲンガーの話をした。 それを聞いたお父さんとお母さんは目を丸くしていた。 「ドッペルゲンガーなんて、保育園の子も知っているのねえ」 お母さんの言葉を聞いた私は、ドッペルゲンガーは有名なんだと思った。 お父さんは、私を抱っこしながら、 「結衣。……ドッペルゲンガーなんていない」 「えっ、そうなの??」 「前にお父さんが言ったのを覚えてるか?幽霊も妖怪も魔法使いも、物語の世界だけにしかいないって」 「うん」 「ドッペルゲンガーも同じだ。物語の世界にしかいない。……ドッペルゲンガーに会ったら死ぬなんて非現実的すぎる。何が原因で死ぬんだ?驚いてショック死する?きっと、心臓が悪い人だったんだな。 悪口を言ったら助かる?変な対処法だ。悪口を言われて心を病むのかもな。メンタルが弱いドッペルゲンガーだな」 お父さんのセリフは、段々と早口になるし、難しくて、当時の私にはちんぷんかんぷんだった。 お父さんは、子ども相手にも難しい言葉を使うことがあった。話はやけに理屈っぽいというか、論理的な考えをする人だった。 おそらく、弁護士という仕事をしているからだろう。ーーー当時の私は、弁護士という仕事が何なのかも分からなかったけど。 「あなた、結衣にそんなこと話しても分からないわよ」 お母さんが言った。 お父さんは、私を下ろした。そして、ポンポン、と私の頭を撫でた。 「まあ、とにかく。ドッペルゲンガーはいない。安心して良いんだよ」 お父さんにそう言われると、本当に安心した。 「うん!!」 ぐうぅぅぅぅ……と、感動的なシーンなのに気の抜けた音がした。 「おや、安心したらお腹が減ったのかな」 お父さんは笑った。私は恥ずかしかった。おそらく、私の顔は真っ赤になっていただろう。 「……うん」 お母さんはにっこり微笑んで、 「今日は、結衣の好きなハンバーグよ。もう少し待ってね」 「はーーーい!」 *** とある日曜日。 ドッペルゲンガーの話を聞いてから、半年は経っていたと思う。 私は、家族でショッピングセンターに出掛けた。ピンク色の看板で、アルファベットが書かれてある。どこにでもあるショッピングセンターだけど、当時の私にとっては夢のような場所だった。食べ物屋さんからお洋服屋さん、おもちゃ屋さんまでたくさんあるから。 私はボールプールの中で遊んだ。私と同じ年の子ども達がいて、すぐに仲良くなった。ボールの海の中を泳いだり潜ったり。男の子と「楽しいねー!」と言い合った。 ふと、お父さんとお母さんは?と思った。2人とも、ボールプールの柵の外にいると思う。 柵の外を見遣った私は、ビクッとした。 ……ドッペルゲンガーだ…… お父さんとお母さんの前に、1人の男の人がいた。その男の人の顔が……お父さんそっくりだった。 (いるじゃん!!ドッペルゲンガー!!) お父さんの嘘つき、と私はそのとき思った。 お父さんとお母さんは、お父さんのドッペルゲンガーと、何だか楽しげに話していた。みんな笑顔である。 (ドッペルゲンガーに会ったら死ぬ……) ミホちゃんから聞いたことを、私は思い出した。……今は楽しそうだけど、死んでしまうの? 早く助けなければ、と思ったら。   (えっ……!?もう一人増えた!?) また、お父さんのドッペルゲンガーが現れた。これで2人目。新たに現れたドッペルゲンガーに対しても、お父さんとお母さんは笑いかけている。 (どうしよう、どうしよう) それでも私は内心、パニックになっていた。このままだと死んでしまう、本気でそう思っていた。 (……そうだ!ミホちゃんが言うには、悪口を言えば助かるんだ!) 私はすぐさま、お父さん達の元に行った。 「あら結衣、もう遊び終わったの?」 お母さんが話してくる。 私は、お父さんと、お父さんのドッペルゲンガー2人を見た。本当に顔が同じ。どうしよう。悪口を言わなきゃ…… 私は焦って泣いてしまった。悪口が思いつかなかった。 「結衣?」 お父さんが心配する。そして、ドッペルゲンガー2人も、お父さんと同じく心配そうな顔をした。 ……当時の私が唯一思いついた悪口が、 「……バカ!!」 だった。 「結衣!そんな言葉、使っちゃダメって言ったでしょ」 お母さんが、私の肩を抱いた。 「だってぇ……だってぇ……お父さんが死んじゃうんだもん……」 お父さんが首をかしげた。 「何でお父さんが死ぬと思うの?」 私は、同じ顔の2人を指差して、 「お父さんのドッペルゲンガーだもん!!!!悪口を言わないと死んじゃうよ!!」 *** 12年経った今でも、親戚が集まった際にこの話はネタにされる。 「結衣ちゃんにバカって言われたときは驚いたよー」 「腹を抱えて笑ってしまったな」 ……恥ずかしいからやめてほしいのに。 ……気付いている人も多いと思うが、タネを明かせば、お父さんは三つ子だったという、今聞けば「なーんだ、そんなことか」と肩すかしをくらう話である。三つ子のネタなんて、物語でもありふれている。 けれども、当時の私は、お父さんが三つ子だったことは知らなかったし、双子や三つ子という概念もなかった気がする。(死は知っていたのに、という突っ込みは置いといて) *** 私はお母さんと、大きなホールに来ていた。 ホールには多くのチラシが貼られていて、 『桜家花麟(さくらやかりん)独演会』と書かれていた。 私のお父さんは、三つ子の2番目。お兄さんはお医者さんで、弟さんは、このチラシに書かれている”桜家花麟”という芸名で、落語家をしている。 私は、敬意を込めて、”花麟師匠”と呼んでいる。ーーー私にとっては叔父さんだけど、なぜか”おじさん”と呼ぶのはためらった。お父さんもだけど、年齢の割には若々しく見えて、おじさんとは呼びにくかったから。 お父さんの弟が落語家だと知ってから、私は落語を聴くようになった。幼い頃は意味が分からないことがあったのだが、高校生になった今では少しずつ分かるようになってきた気がする。 そして、こうやってお母さんと落語会に行くことも多々あった。 お父さんは、落語には興味がないし、今日は仕事があったので来なかった。 花麟師匠は、初めに、白い犬が人間になるという噺をした。とても面白かった。 次の噺に入る前、花麟師匠はこんな話をした。 「……私は三つ子で、顔がそっくりな兄がいるんですが……本当にそっくりで、間違われることがあります。……想像してください。同じ顔が3人いたら怖いでしょう?」 観客は笑っていた。 「……兄の娘、つまり、姪がいるんですけど。今は高校生ですが、確かその子が5歳くらいの時ですかね。たまたま、ショッピングセンターで、私と、兄2人が出会ったんです。兄は、奥さんと姪と来ていまして。その姪が、私達三つ子を指差して、泣きながらこう言ったんです。 『ドッペルゲンガー!!!!』 って」 観客はドッと笑った。 私は恥ずかしすぎて、肩をすぼめた。もちろん、他の人は、私がその姪だということに気づいていないだろうが。むしろ、堂々としていないと怪しまれる。 でも、なぜ今この話をしたの? その謎はすぐに解けた。後で聞いたが、花麟師匠は『松山鏡』という話をした。 親孝行の男。両親が亡くなって18年間墓参りを欠かさなかった。このことがお上に届き、褒美が出ることになった。 男は、「父に会わせてほしい」と言う。 父とその男は似ているというので、鏡を渡した。箱の中を覗くと父親が居て、涙を流して話しかけた。
ーーー男は鏡を見たことがなかったので、鏡に映った自分を、父親だと思い込んだのだった。 顔がそっくりで勘違いをする、という導入で話したのだろう。 後で、花麟師匠に聞いてみると、 「松山鏡のマクラでは、よく結衣ちゃんの話をするよ。だって面白いんだもん」 私の恥ずかしい話は、親戚の間だけではなく、こうやって日本中に広がっていくんだろうと思った。 〜終〜
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