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日本を発ち、飛行機で数十時間の空の旅をしてX国に到着した佐々木は、そこからタクシーに乗って、目的の街にようやく辿り着いた。
ここは如何なる国の干渉を受けないし、干渉しない永世中立国──いや、中立街と言うべきか? よくわからない人は、イタリア内にあるバチカン市国のようだと思って欲しい。
そんな、この街の名前は「文字が降る街」。比喩でもなく、そのまんまなのだ。かつてはX国の言語で名付けられた名があったらしいが、中立の立場になる際に捨てたという。
名前からわかる通り、この街の最大の特徴は「文字が降ってくること」だ。
現に、街を覆う厚い雲から小さな黒い文字が降って来ている。ここの文字は何かに触れると雪が体温で溶けるように、すぐに消えてしまうため積もらない。
それでも佐々木は手のひらを上に向け、文字を受け止めた。案の定すぐ消えてしまったが、その直前に見えた文字は「え」「Д」「P」「아」と、様々な国の文字だった。
降って来る文字のように、街は様々な人種と異国の建物で構成されており、観光と文書依頼の収入で成り立っている。
その中でも、こぢんまりとした和風の建物の前に、佐々木は立っていた。日本語で書かれた看板には「文書作成所『徒然』」ある。
──ここだ。
佐々木は勇気を出し、引き戸を開けて中に入った。
「いらっしゃいませ」
中にいたのは、従業員らしき一人の若い男──二〇代後半ぐらいか──だった。和風の外観だったので、従業員も和風な装いかと思ったが、シャツにジーパンとラフな洋服を着ている。
「予約していた佐々木だが」
「お待ちしておりました。私は、ここの店主の加賀美です」
なんと。若いから従業員かと思っていたが、店主とは。佐々木が内心驚いていると、加賀美が可笑しそうに吹き出した。
「はは、大丈夫ですよ。これでも先代のお墨付きなので」
「……え」
「顔に出てたので。私はここの三代目なんです」
先ほどのタクシーでの会話と言い、そんなに顔に出やすいのか。佐々木は恥ずかしさのあまり、穴があったら入りたい気持ちになった。
そこへ一〇歳くらいの男の子が、ドタドタと階段を駆け下りて来る。
「師匠! お客様ですか!」
「いつも言ってるが、静かに来い! 昨日、予約客が来るって伝えておいただろうに……佐々木様、こちら弟子の」
「麻田悠太です!」
と、悠太は綺麗に九〇度のお辞儀をし、挨拶をした。そして顔をあげた悠太は、加賀美に褒めて欲しいという目線を向けている。そんな悠太に、加賀美は「やれやれ」という表情だ。
佐々木はそれを見て、頬が緩んだ。子供もおらず、もうすぐ五〇後半の佐々木からすれば、親子、または歳の離れた兄弟のような師弟の姿が、ほほえましく感じたのだ。
加賀美は、場を仕切り直すように咳払いをする。
「さて、ご依頼の文書についてですが……愛する方へのメッセージカードの作成でしたね」
「あぁ。ここまで来て聞くのもなんだが、この街の文字には不思議な力があると言うのは本当なんだろうな?」
一〇〇年前、降って来る文字を紙に写す技術が開発された。そして、降ってきた文字で書かれた文書は劣化しないどころか、不思議な効力を発揮する。
例えば、多発する犯罪に困ったとある国は、治安が良くなることを祈り、この街の文字で法令の文書を作成したところ、その後の犯罪率がガクッと下がった。また友人の病の完治を願う手紙をここの文字で書いて送ったところ、その不治の病が奇跡的に治り元気になったなど……似たようなエピソードは沢山ある。
「さぁ」
「『さぁ』って」
加賀美の返しに、思わず佐々木はオウム返ししてしまう。
「あると言われていますけどね。私たちの国、日本で言う『言霊』……言葉には不思議な力があって、口に出すことで現実に作用するという考え方に似ているんだと思います。ここでは、文字を文章にすることで作用する──文字だから『文霊』というべきでしょうか」
「師匠、ネーミングセンスが」
「うるさい……もし現実に作用したとしても、それは全て文字の力だけではないと思います。先程、佐々木様がおっしゃった過去の例……犯罪率が低下した国だって法令の作成だけではなく、その国の方たちが犯罪防止に努めたからかもしれない。病気の方も、その手紙に勇気づけられて、治療を諦めずに頑張ったから完治したのかもしれない」
「『かもしれない』だらけだ」
「世界の物事は大体、見えないものによって動かされていますから……特に心は」
「なるほど。私はここに来て正解だったようだ」
「と、言いますと?」
「街のことを知った時、最初は大手の作成所に行くことを考えた。けれど、友人にここを勧められてな……依頼人に寄り添ってくれる腕のいい職人がいると」
「それは光栄です」
「半信半疑だった私に、正直に話してくれて嬉しかったよ。これで『不思議な力があります!』なんて言われたら、余計信じられなくなっていただろう……そうか、大事なのはここの文字だけではないか」
佐々木はどこか晴れ晴れとした顔をしている。
「よろしくお願いします……彼女、小夜子へのメッセージカードを」
「改めて承りました」
すると、傍にいた悠太が安堵の息を吐く。
「よかったぁ。また、お客様に逃げられたらどうしようかと! この前だって──」
加賀美は、喋り続ける悠太の口を塞ぎ、命じた。
「いいから。お茶淹れてこい」
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