文字が降る街

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 応接間で佐々木と加賀美は向き合っていた。悠太が淹れた緑茶を一口飲んだ佐々木は、小夜子について話し始める。 「一緒に暮らすようになって、もう二〇年も経つ。周りから色々と言われたが、私と小夜子との生活は、春の日差しのように穏やかで幸福そのものだった……でも、彼女の死期が近い。だから、その前に感謝の気持ちをメッセージカードで伝えたいんだ」 「でも、それなら佐々木様が書いた直筆のメッセージカードの方が、小夜子様は喜ぶんじゃないですか?」  と、加賀美の傍にいる悠太が口を挟む。  佐々木はここでメッセージカードを作成することを決めたからいいものの、悠太も師匠によく似て客が逃げそうなことを正直に言う。  だが、悠太の言う通り。この街に降る文字は手書きの文字ではない。書体の違いは多少あるが、基本紋切り型の文字である。だから文書の作成依頼は個人に宛てたものより、国や契約書などの作成依頼が多いのだ。 「彼女は、生まれてすぐ罹った病のせいで視力があまり良くない。私の思ったことがすぐ顔に出る癖も、小夜子の前では無意味だ。でも、ここの文字なら彼女の心に私の想いが直接届くんじゃないかと、そう思ったんだ」    そう言ったあと、佐々木は付け加えるように加賀美を見て告げる。 「もちろん文字だけではなく、態度でも示し続けるつもりだがね」 「書く内容はお決まりですか? メッセージカードですから、あまり多くは書けません」  加賀美の問いに、佐々木はしばし黙った後に口を開いた。 「──『愛している』と。色々考えたんだが、どれもこれも長ったらしくなってな。手あかがついた表現だが、これ以上難しいと小夜子もわからないだろうから。私はこの五文字に願いを託そう」 「直球でいいと思いますよ。変に凝ると相手に届かないなんてことありますか ら……では、作りましょうか」  立ち上がった加賀美は、悠太に指示を出す。 「悠太。『雪』を取りに行くから、作業場から台車と箱……それと日本語用のシャベルを持ってきて」 「箱はいくつ?」 「今回は、メッセージカードだから二つで」 「はーい」  お使いを頼まれた悠太は、作成所の奥へ駆け出す。 「加賀美さん、『雪』とは?」 「私たちの業界用語みたいなものです……佐々木様。今回は特別に観光を兼ねて、面白いものをお見せしましょう」  空の箱を乗せた台車を引いてきた悠太と合流し、佐々木は加賀美たちと共に街の奥にある建物へ向かう。受付で加賀美が身分証らしきものを見せると、中に通された。そして建物内を進んだ先には広い中庭があった。しかし、その中庭には一面黒いものが積もっている。  加賀美が積もった黒いものを手で掬ってみせる。それは小さな黒い粒の集合体であり、この街に来た時に佐々木が見た──。 「これが『雪』。この街の文字です」 「それは、わかる。だが、触ったらここの文字は消えてしまうはずだ。積もることだって」 「でも寒ければ溶けずに、そのまま積もるでしょう。要は条件次第なんです……積もったり、触っても消えない仕組みについては企業秘密ですが」  加賀美はいたずらが成功した子供のように笑った。  こうしているうちにも、吹き抜けの上空から絶えず降る文字が、地面に積もっている。悠太は作業用の手袋をはめると、積もったばかりの文字をシャベルで掬って箱に入れていく。しかし大きなシャベルで掬った割に、なかなか溜まらない。 「降ってきた文字を一つ一つ見ましたか?」  と、加賀美が聞いてきた。 「あぁ、それぞれ違う国の文字だった」 「ここに降り積もっている文字は言わば新雪で、色んな国の文字が入り混じっている状態です。この状態から特定の言語の文を作るのは、とても面倒で……だから、日本語だけを掬ってるんです」 「そんな器用なことが出来るのか」 「あのシャベルは、日本語用なので。他の言語は勝手にふるい落としてくれるんですよ……まぁ、時間がかかるのが難点ですけどね」 「師匠! 暇なら手伝ってー!」 「見習いの仕事は、まず雪の運搬って決まってるんだ! きびきび動け!」  ある程度、雪が貯まってきたところで加賀美が箱の中の文字を押し固めた。そして押し固めて減った分、悠太が文字を追加して……これを繰り返し、固まった文字が一箱。固めず、ただ文字が入っただけの箱がもう一つ出来たところで、作業は終了した。  重くなった台車を引いて作成所に戻ってきた一行は、奥の作業場に向かう。作業場は外観の見た目に反して広く、壁には様々な道具が掛けられていた。 「さて、今度は私の番ですね。佐々木様は悠太と見学していてください」  加賀美は作業台の上に箱から出した押し固めた文字を乗せ、白いスプレーであたりをつける。そして道具を使い、文字の塊を削り始めた。  削っていく様を見るのは楽しいが、如何せん無言で座っているのは辛い。しかも、佐々木はメッセージカードを作るのに、何故文字の塊を削り始めたのか、その訳を加賀美に聞きそびれていた。加賀美は大変集中しているようなので、声を掛けづらい。 「この業界で文字を『雪』って言うのは、文書の作り方が雪像作りに似ているからなんだって」  隣で椅子に座っている悠太が、佐々木を見かねてか説明をしてくれた。 「雪像作りに?」 「うん。文書は無限にある文字を、必要な言葉にして文章を綴るでしょ? 雪像も沢山の雪の結晶を固めて、積み上げて、目指す形に削る」  悠太は先ほどの文字の運搬で疲れたのか、敬語が取れて年相応の喋り方になっていた。 「あれも適当に削ってるんじゃなくて、ちゃんと佐々木様が言った言葉以外の文字を削ってるんだよ。あ、あれはカタカナだから削ったね」 「あんな真っ黒な塊なのにわかるのか?」 「職人になるには技術も必要だけど、一番必要なのは文字を読み取れる『目』が生まれつきなきゃ無理なんだって。だからこの店もだけど……えっと、せ、世襲制? じゃないって師匠が言ってた」  加賀美は、時々削った文字の塊に、もう一つの箱に溜めておいた固めてない文字を足しては削りを繰り返し、形を調整している。 「じゃあ今、加賀美さんがやっているのは?」 「雪像の形の調整──『雪化粧』って言うんだ。それでね、あれは文章の推敲に似てるの」 「なるほど」    確かにそう言われてみてば、文章を綴るのと雪像作りは似ている。ならば、この街の職人は『小説家』もしくは、『芸術家』に近いのかもしれない。 「僕も早くやりたいのに。師匠、全然やらせてくれないんだ」 「前に文字の押し固めをさせたら酷い出来だったのは、どこの誰だ」  いつの間にか作業が終わったのか、加賀美がこっちを見ていた。悠太というと、バツが悪そうにしている。 「一人前になるには、何だっけ? 悠太」 「押し固めに三年。削りに三年。雪化粧に五年……です」 「わかってるなら、よろしい」 「絶対、僕も師匠みたいに数年でなるんだ!」 「へぇ、やれるものならやってみな」  悔しそうにしている悠太を無視し、加賀美は佐々木に作った雪像を見せた。  加賀美が作り上げた雪像は、小さな一匹の猫だった。黒い文字で出来ているため、黒猫と言えるだろう。目を閉じているものの、穏やかな顔をしており、一つの芸術品としても完成度は高かった。 「説明もせずに申し訳ございません。ある程度は弟子が説明してくれたようですが……活版印刷はご存じですよね?」  それなら、佐々木も知っている。凸版印刷の一つで、活字を並べて文章にした板──活字組版にインクをつけ、スタンプのように紙に転写することだ。 「その活字組版と同じように、この街の文字は紙に写す前に一つの作品として、形を与える必要があるんです……そうしないと紙の上で文章を保てない」  加賀美は上質な紙で出来た白紙のカードを取り出し、カードを猫の雪像にかざした。すると、雪像はたちまち消え、代わりにカードに文字が浮かび上がった。  それは「愛している」の五文字だった。 「一回きりの活字組版ですけどね」 「すごい、魔法のようだ……これで完成か」 「いえ、転写しただけで文字が不安定な状態ですので、最後の仕上げが残っています……そして、これは佐々木様にしかできないことです」 「私に?」 「このメッセージカードに、小夜子様への想いを込めてください」  加賀美はカードを佐々木に渡した。 「雪像も最後、全体に水をかけて凍らせて頑丈にします。それと同じです」  佐々木は、目を閉じて小夜子への想いを込めた。二〇年も連れ添ってくれた感謝、そして恥ずかしくてなかなか言うことが出来なかった愛を込めて。 「──もう大丈夫ですよ」  加賀美に声を掛けられ、佐々木は目を開ける。手元のメッセージカードを見ると、文字の色やカードのデザインに変化があった。  先程まで真っ黒だった文字は光沢が生まれ、光の当たり具合ではワインレッドのように見える。白紙だったカードの縁も、赤いリボンの絵で装飾されていた。赤いリボンは小夜子が好んで身に着けているものだ。  佐々木は、加賀美に礼を述べた。 「……ありがとう」 「満足していただけて良かったです」 「早く帰って小夜子に会いたくなった」 「きっと小夜子様も佐々木様の帰りを待ってますよ」 「そうだな。今まで、忘れられないように三日以上は家を空けないようにしていたんだが、愛想をつかされていないことを祈ろう」 「悠太。奥からメッセージカードを入れる封筒持ってきて、カードに合わせて赤で頼む」 「はぁい」  悠太がいなくなったのを見計らって、加賀美は窓から降る文字を見つつ言った。 「佐々木様は先ほど、小夜子様との生活は春の日差しのようだと言いましたが、私は雪のようだと思うんです」 「それまた、どうして」 「この街では文字が目に見えて降りますけど、見えないものも降っていいんじゃないかなと思いまして。例えば、愛情とか……一緒に暮らすうちに絶えず降り続けた愛情は心の中に積もって、そして溶けない永久凍土みたいに固い信頼の地盤を作る……だから、小夜子様も佐々木様に愛想なんて尽かさないですよ」 「随分、詩的な表現をするんだな」 「恥ずかしい話。先代に拾われる前は、売れない小説家だったので」 「……え」 「悠太には内緒ですよ。まだまだ師匠面したいので」 「わかった。内緒にしておこう」 「ありがとうございます。最後にお聞きしたいのですが、小夜子様はもしかして──」
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