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「……商売を優先されてませんか?」 「栗ちゃん、明日は文化祭の振り替えだっけ?」 痛い指摘を苦笑いで受け流して、 横宮さんは私の予定を尋ねてくる。 まぁ、ほとんどダイレクトメールな手紙だろうと、 また時計屋さんと会えるのは嬉しい。 「はい、お休みですよ。……でも、急すぎません? もう夕方だし、今からお返事しても……」 「大丈夫でしょう。 じゃあ、ちょっと電話してくるね」 「へ?」 ……ああ、電話か。 居間へ引き返す背中を見送りながら、 こっそりと頬を押さえる。 そうだ、ここにも電話はある……じゃなくて、 相手が手紙だったから、 つい手紙で返すつもりになっていた。 夕色の陽が少しずつ傾く。 封筒と一緒に運ばれたほうじ茶に手をつけながら、 私はふと首を回した。 座卓に近い棚の上。 陽光を銀色に跳ね返す、懐中時計が置かれた場所。 屋根裏から出てきたのが一年前のクリスマスで、 時計屋で修理した後もお隣さんが全く持ち歩かないから、そのままインテリアと化してしまっている。 明日時計屋へ行くのなら、 あの人もまた身に着けるだろうか。 精緻な上蓋をいつ開けても時刻が狂ったことはないのに、横宮さんはそうして私が頼む時以外、 なぜかあの時計に触らない。 そばを通る時、そっと一瞥するだけだ。
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