もふもふの災厄

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 初日こそ急遽休みになった幸運に歓喜の声がネット上にも拡がっていたが次第にそれは不安に変わっていくことになった。交通が麻痺するということは物流が止まる。3日目くらいから店頭に並ぶ品が減っていく。荷物も手紙も滞り始めた。だがそれよりも恐怖を感じたのは、  「出勤しようと外に出た人が鬱状態になって家から出れなくなったんだって」  「もふもふが体に積もると触った感じは軽いのに、重たく感じてきて疲れるから気を付けろ」  「スマホを灰色モフに突っ込んだら壊れる」  正体がわからないまま、生活が問答無用で遮断され始めている。内斗はいつの間にか膝の高さまで積もっているもふもふの中に足を踏み入れた。一番近しい感覚は綿ゴミだ。足でも簡単に押しやれる。でも手にすくってみると少し冷たいようなちりちりとした感じがする。  「……別に、鬱になる感じはしないんだけどな」  むしろ、落ち着いてしまっている自分は何なのか。考え込んでいる間にも内斗の体にもふもふが降りつもる。ただただ積もる。1週間経っても止まない。いつまで続くのだろう。物流が、人流が、社会が止まっていく。世界が静かだ。見上げる空に霞んでいるけれど太陽がある。晴れでも、曇りでも関係ない。降り続ける謎のもふもふ。  「焦らないものなんだな」  内斗は自嘲する。相変わらず仕事に行かなくていいのはどこかでホッとしているし、このまま世界が終わると言われてもそんなに取り乱さずに「そうなんだ」と受け入れてしまう気がする。夢とか、希望とか、やりがいとか、そんなものと無縁であるような人生はあきれるほど灰色だ。ちょうど今降っているもふもふのように。家の中からスマホの着信音が聴こえてきて特に急がずに取って返す。遠くの県に住んでいる友人からだ。  「もしもし?」  『内斗! 生きてたか、良かったー』  「いや、生きてるし。そっちは? なんか影響出てる?」  『あー……仕事に行けない』  「お前が?」  友人は明るくて活発で前向きで、とにかく人事が求める理想的人材というやつだった。多少の困難はふっ飛ばせという行動派。それが行けていないなんて考えられない。  「どうして……」  『あの灰色を浴びたら、なんか……すっげーしんどくなったんだ。涙が止まらなくなって、仕事に行くのがこんなに気が重いって、初めての感覚で……何回かトライしたんだけどな』  初めて聴く苦笑交じりの落ち込んだ声。そんな状態なのに自分を心配してくれたのかと内斗は心がじんとするのを感じた。  「彩人……あんま、無理すんなよ。俺はむしろ元気だから」  『……サンキュ。……そういえば、内斗は仕事行くの嫌だってよく言ってたっけな』  「うん」  『こんな、気持ちだったか? 明確な理由も浮かばないのに気が重くって、行く理由を連ねて日々何とか動くような、気持ち』  「ああ」  そう、そんな気持ちだった。細かくあげれば嫌なことはたくさんあるけれど、それが本当に理由なのかと聞かれればうつむいてしまうような中身で、だから仕事を休むと連絡するほどじゃない。仕事をしなければお金がないから、お金がないと何もできないから、仕事していないと周囲からの目が厳しいから、そんな理由を毎日のように呟いて行きたくないと言いながら出勤して、疲れ果てて帰宅して。そんなのの繰り返し。  『しんどいな。……お前、しんどかったんだな』  「!」  つぅっと不意に涙が零れた。こんな年になって泣くなんて、例え電話で顔が見えないとしても慌てた。けれど、友人の、彩人の言葉はとても実感が籠っていて、初めて本当の意味で歩み寄ってもらったような気がしたのだ。  『おれ、無神経だったな……頑張れなんて。もっと気楽になんて。これが内斗の抱えている気持ちに近いものなら、すっげー無神経だったと思う。なぁ、内斗。おれ、同じようにお前も、周りも傷付けていたのかな』  内斗ははっとした。彩人も泣いている。顔を見なくたってわかる。後悔に顔を歪めて、自分を責めて、申し訳ないと泣いている。  「……傷付いては、いなかったよ。ただ、羨ましかった」  彩人のようにいつでも前向きに楽しそうに動けたら人生はどれほど楽しいのだろう。自分にはそうなろうと努力する気持ちすらなかったから、ただあいつと俺は違うからと諦めていた。いいな、と思いながら。  『そっか、そっか……ごめんな、ごめん……ごめん、鈍感で、ごめん……』  「泣くなよ……泣くな……っ、謝るなよ……っ」  2人はしばらくスマホを握り締めて泣き続けた。  
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