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04 事態混迷、焦燥、謎
早いもので、会長捜索を始めてから一時間と三〇分が経過していた。だというのに、会長の行方は一向につかめていない。
ひょっとしてもう帰宅したのでは、という説も飛び出すぐらいだったが、そんな時に限って校内の手伝いに散った生徒会メンバーの残り半分から、会長目撃情報が上がって来る。
いずれも、瞳の色をはじめ彼の特徴を明確に捉えたものばかりで見間違いとは考えづらく、まだ会長が校内にいることに関しては、疑う余地が無いようだった。
「さっき、職員室で言われたんだけど」
このうえ更に、ダテが悪い報せを持ち帰って来た。
「生徒会室にある例の書類、必要になったから予定より一時間早く返してほしいって」
「カギの管理も雑なクセに何言ってんだよ……」
タイムリミットが急に一時間早まってしまったのである。まだ半分以上あると思われていた捜索時間は、これで残り一時間半。むしろ半分を切ってしまっていたのだ。
「『キチンと返却しないなら文化祭は中止と見做すぞ』だって」
「まさか、マジでそんなこと言ってくるのかよ……」
スバルは頭を抱えた。最悪の予想が、徐々に現実になりつつあるのに驚愕を禁じ得ない。
「単なる脅しだと思いたいけどな……だって、生徒会の集大成だぞ」
「全部、会長が悪いんだよ。自分の最後の仕事なのに、自分から危険に晒して」
彩中の文化祭は毎年この秋の季節に行われる。これが終わればすぐ、生徒会は解散して次の選挙が実施されるから、文化祭は実質的な区切り目だと見做されていた。
「アイツ、何処で一体何をやってんだよ……」
スバルたちの焦燥はひたすらに高まっていた。もう一度スマホに頼るべきだろうかと考えたその時、唐突にピンポンパンとチャイムが鳴り、全校放送で思ってもみなかったアナウンスが流れ始めた。
『えー、生徒会長のナガヤマくん。ナガヤマ・ユウイチくん、カギが開かないので、生徒会の人たちが困っています。至急、生徒会室までお越しください。繰り返します……』
「え、この放送なに」
「さてはこれ、イイジマの仕業だろ……」
スバルは頭痛がしてきた。書類返却リミットが残り半分を切ったと分かった直後、イイジマは慌てふためいた様子で何処へともなく走り去っていったのだ。その時点で何かイヤな予感はしていたのだが案の定、事が一段と大きくなってしまった。これで生徒会の置かれた現況か、学校中に知れ渡ってしまったことになる。
「そういえば放送部に知り合いがいる、とか言ってたよね前に」
「せめて相談してからにしてくれよ……」
「まあ、結果オーライなんじゃない」
ダテがとりなすように言った。
「これで流石に、会長も戻るか連絡一本ぐらいは寄越すでしょ」
「それもそうだな。姿見せたらとっちめてやらないと」
言葉とは裏腹に、スバル自身も心の何処かではホッとしていたのかもしれない。ナガヤマを待構えるべく、一同はひとまず生徒会室前に戻ることを決定した。
「会長が来なかったのは、ズバリ失恋のショックだと思う!」
「ただ単に、腹でも壊してたんじゃないか?」
「カイチョーマンになって悪者やっつけてたんですよ、きっと」
「うわー、それ懐かしー!」
気の緩んだ生徒会メンバーらは、いつの間にか口々に『生徒会長失踪事件』の真相当てっこ大会を始めており、手当たり次第に無責任な予想が飛び出しては消えていた。
カイチョーマンとはかつて新入生向けに生徒会で撮られた短編映画だ。ナガヤマが如何にもヒーロー然としたマントを羽織り、校内を巡ってはいじめっ子や校則違反者をやっつける絵に描いたような三文芝居だが、その時の影響から未だにナガヤマ=ヒーローという印象が一部に根付いているという。モリカワなどはその典型例だ。
「オマエそれ、一眼レフだっけ?」
すぐ隣でダテが馬鹿デカいカメラを取り出し、生徒会メンバーの様子を撮り始めていたのでスバルは思わず訊ねてしまう。よく見ると、フォトではなく動画モードのようだ。
「折角だから、後で編集して打上げの時にでも流してやろうかなって」
ダテは生徒会以外では写真部に属している。そういえば件のカイチョーマン映画も、彼女のカメラワークと編集が、三文芝居を尤もらしく見せるのに貢献していたのだった。
「めっちゃ堂々と使ってるけど、大丈夫なのか?」
「文化祭準備を記録したいんで、って先生たちに相談したら普通にオッケーって言ってたよ」
「じゃあもう、スマホも良いんじゃないのか?」
「なんか、スマホは駄目なんだって」
「理由は?」
「さぁ……」
それはスバルも予想していた答えだ。単に写真や動画を撮るだけなら、もはやスマホ一台で事足りるのに何故かそれは許可されず、敢えてデカくてかさばり、データ共有にさえ手間取る専用カメラを使わなければならない。駄目なものは駄目、ルールはルール、理由は自分たちで考えろ。そうやって意味不明な不便さを強要され、一方的な正解探しゲームをさせられるのにスバルは納得のいったことがない。
いや、多分万が一の責任とか色々あるのだろうと頭では理解出来るのだ。だが、どうしても胸の内側にモヤモヤとしたものが残ってしまう。今回の件だってそもそも、最初からスマホが使えていればこんな話がややこしくならずに済んだんじゃないだろうか?
「すばっち、すばっち、何だか顔が怖いですぞ」
ヒカリの声でスバルは咄嗟に我に返る。ナガヤマ捜索であっちこっち振り回された影響か、見るからにイライラした顔をしていたらしい。周囲を不安にさせてしまったようだ。
「ごめん、何でもないんだ」
普段みたいなキラキラの思考回路で茶化してくれれば良いものを、ヒカリはその時に限って何故か何も言ってはこなかった。
なんだか居心地が悪くなってしまい、誤魔化す様に自分のスマホを取り出すと全校放送から三〇分が経過しようとしていた。ナガヤマは未だ姿も現さなければ、連絡一本寄越す気配すらない。スバルは次第に何もかも馬鹿らしくなってきた。
「もういいや、こうなったらアイツが出るまで無限に電話し続けてやる」
「大丈夫? 危なくないかな、色々」
「迷うだけ時間の無駄だよ。ちょっとみんな、先生が来ないか見張ってて――」
思えば、疲れやイライラの反動で大胆になり過ぎたのかもしれない。
いわば根競べに訴えようとしたスバルだったが、そんな時に限って、何とも間の悪い事態が起きるもの。生徒会室へと通じる唯一の階段を指差し、自分はナガヤマの連絡先をタップしたその瞬間、そこに一人の初老の男性教諭が姿を現したのだ。
「ああ、いた。お前たち、書類を返さないと思ったら変なことで手間取ってたんだな」
スバルは心臓が飛び出すかと思った。それは生徒会顧問であり、スバルとナガヤマが属する三年四組の担任教師であるキザワ先生だった。寄りに寄ってこの大事な時に、校内でスマホを使おうとした場面を思いっきり学校側に目撃されてしまったのだ。
「……さっきの放送を聞いて来たんだが、」
が、何故かスマホの件に先生は一切触れようとしなかった。文化祭中止という文言が脳内を駆け巡るほど内心パニックだったスバルは、予想とのあまりの落差に面食らってしまう。
「ナガヤマならさっき、体育館に入っていくのを見たぞ」
「え……ま、マジですか?」
「事情は分からんが、今行けばまだ捕まえられるんじゃないか?」
キザワ先生の言葉に、一同は顔を見合わせた。幸い校内の飾りつけを終えたメンバーたちが三々五々合流してきたのもあり、捜索開始当初よりも人手はかなり増えている。ようやく落ち着きを取り戻してきたスバルは、ダテたちと静かに頷き合う。
「これだけ大勢いれば、体育館の出入口は固められるな」
「今度こそ、終わりにしよう」
そう言って全員で動き出そうとした矢先、「ああちょっと待て」とキザワ先生がスバルだけを立ち止まらせる。スバルは再び血の気が引いていくのを感じた。
「……ええっと、なんでしょう先生」
「俺が老眼でよく見えなかったから良いけど、お前もうちょっとバレないようにやれよ」
「……えっ?」
「ホレ、行け」
先生の言葉の意味が分からずキョトンとしていると、ニヤリと笑って背中を叩かれる。訳も分からないまま取り敢えずスバルは礼を言い、慌てて他のメンバーの後を追いかけた。
そういえば、とスバルはこの一年を思い出す。顧問であるというのを差し引いても、キザワ先生は何故か、生徒会に対しては驚くぐらい協力的であった。この学校全体で観れば、むしろ違和感を覚えるほどに。
ただひとつ身に染みたのは、スバルも結局まだ子供であるということだった。
スバルが一足遅れて体育館前へとやって来ると、ちょうど目の前を校内ランニングに向かう女子バレー部員たちが小走りで通過していった。こんな日でも運動部員たちはトレーニングに励んでいる。彼女たちもいつも通り、館内で練習していたのだろう。
「すばっち、早く早く!」
スバルは呼ばれて、慌てて体育館の正面入り口前にいたヒカリの元へと向かう。よく見ると既に、数か所ある他の出入口も生徒会メンバーによって固められている様子だった。目と目で合図し合ったスバルたちは、タイミングを図って一斉に体育館へ踏み込む。
キュキュッ! という床を上履きが踏みしめる音がそこかしこに鳴り響く……が、一転してスバルたちは拍子抜けした。
端的に言うと、その場に殆んど人影が無いのだ。いるのは何か基礎練習をしていると思しき少数の下級生のみ。しかも全員女子だ。ナガヤマらしき姿は何処にも見当たらない。
来るのが遅かったということだろうか?
「念のため、ステージ裏も見てみ――」
「――ああっ!?」
いきなりダテが大声を出すので、気を張り詰めていた生徒会一同は飛び上がってしまう。というか、いつも冷静な彼女がこんな声を出すだなんて珍しい。彼女は自身の一眼レフカメラのモニター部分を覗き込んでいるようだった。
「おい、急にどうした!?」
「ねえ、これひょっとしてナガヤマじゃない!?」
ダテが指し示したのは、さっき体育館から出た女子バレー部を写した映像だった。どうやらずっと動画モードで録画を続けていたらしく、彼女が指摘したのは、その最後尾に映っていた人物だ。体操着に長い黒髪を揺らすあまり見慣れない少女だが、よく見るとその顔には何より見慣れた青い瞳がチラついているのだ。
それは紛れもなく、ナガヤマの女装姿だった。
「じゃあさっき、うちらとすれ違ったんですかぁ?」
「いやいやいやいや、アイツ何やってんだよこんな格好までして!」
「まー、美形だからねー、アイツ……」
「そういう問題か? つーか、このカツラなに!?」
スバルは敢えて言葉にはしなかったが、ご丁寧に胸まで盛ってある力の入り様だった。
「あっ、もしかして」
そう呟いたのはイイジマだった。彼は体育館のステージ裏にピューッとすっ飛んでいったと思うと二、三分でたちまち戻ってきて、息せき切った様子で報告してきた。
「無くなってました、演劇部の小道具!」
「これ、オマエんとこのやつなの?」
「明日の劇で使うんです!」
そういえば、演劇部は毎年文化祭では体育館ステージを使って大々的に発表を行っている。開催が近づくとその備品は早い段階からステージ裏へと運び込まれているということだから、ナガヤマはそれを知った上で包囲網脱出のために拝借したに違いない。
「……これで、ハッキリしたね。理由はまだ分からないけど」
ダテが静かにそう口を開いた。
「ナガヤマは、敢えて私たちから逃げ回ってるんだよ」
それはスバルがなるべく考えまいとしていた、ある意味で最悪の結論だった。
書類の返却期限は、気付けば残りあと一時間まで迫っていた。
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